”チャーチルの生き様”も気が付いたら、長々と6話目になりました。本当は”チューブアロイズ計画”の真相を中心に書こうと思ってたんですが。いつの間にかチャーチルの人柄というか、独裁者にしては珍しい憐れな人間性というか、そういうものに惹きつけられたんですかね。
という事で、この”その7”の第6話でチャーチル物語は終了という事で、その後は再び、チューブアロイズ計画の真相に舞い戻ります。
チャーチルの憂鬱と挫折
前回で述べた、”バトル・オブ・ブリテン”での奇跡の勝利でチャーチルは国民の英雄となり、アメリカの援助で大英帝国は復活するか見えました。
ここにてようやくアメリカの盾を得たチャーチルだが、地中海の覇権を狙うムッソリーニ率いるイタリア軍を、乏しい戦力ながら何とか撃破(1940年12月)。
しかしヒトラーは、ロンメル将軍を地中海に送り、英軍を蹴散らす(1941年2月)。その後、地中海では英軍はドイツ軍に降伏した。特に”ドブルク陥落”(1942年3月)は、この数か月前のシンガポール陥落と相まって、英国内に強い衝撃を与え、戦時中のチャーチル批判は1942年7月に最も強まった。
議会では内閣不信任案が提出された。挙国一致のオール与党だった為、不信任案は免れたが、チャーチルはこれを”深刻な挑戦状”と嘆いた。しかし、ロンメル将軍の進撃は長くは続かず、米軍の後押しを受けた英軍は復活し、翌年の3月にドイツ軍は北アフリカ戦線から撤退した。
一方、この北アフリカ戦線の最中にヒトラーは、東欧のソ連占領地域に侵攻し、独ソ戦が勃発(1941年6月)。
チャーチルはスターリンに無条件の協力を約束する電報を送り、”ヒトラーが地獄へ攻め入れば、私は地獄の大王を支援する”と語った。
一方スターリンはチャーチルに、フランスへ上陸し、”第二戦線”(西部戦線)を開くよう要求するも、チャーチルは受け入れない。ルーズベルトもこの作戦に乗り気だったが、チャーチルが直談判で中止させ、北アフリカ戦線に米英の戦力を投入した。お陰でロンメルの進撃を防ぐ事が出来たのだが。
結局、1944年6月のノルマンディー上陸作戦まで、この”第二戦線”が開かれる事はなかった。
ルーズベルトの目論見と大西洋憲章と
1941年8月、チャーチルとルーズベルトは両大西洋憲章を締結。これは領土不拡大や民族自決を盛り込んだ、国際連合憲章の原型となる米英の共同文書である。
チャーチルは、”この憲章の適用範囲には大英帝国の植民地であるアジア・アフリカは除外されるべき”と主張するも、大英帝国の破壊を目論むルーズベルトに拒否される。
両首脳は激しくぶつかった。”ファシスト奴隷制と闘いながら、同時に自分達の植民地支配体制から全世界を解放しないのは、おかしいじゃないか”とルーズベルトが言い放つと、チャーチルは激昂のあまり卒倒しかけた。
結局、この大西洋憲章の理念は全く無視され、チャーチルは植民地弾圧を緩める事なく、米英ソによる領土分割という最悪の事態を招く。
因みにこの会談では、東南アジアのフランス植民地に進駐した日本に対し、戦争も辞さない強硬な姿勢をとる事が、チャーチルの発案により、米英間で確認された。
そこでアメリカは日本に対し、”中国から撤兵し、満洲事変以前の状態に戻せ”と強硬要求を突き付ける。
これには、日本を戦争に追い込む為の挑発だったという説もあり、結局、日本を太平洋戦争に追いやったのも原爆投下もチャーチルの仕組んだ罠だったんですかね。
日本の参戦とチャーチルの歓喜と失墜と
1941年12月7日の日本陸軍による”マレー作戦”で日英間が開戦。チャーチルが売った喧嘩に日本が乗った形となった。その翌日には真珠湾を奇襲し、アメリカに宣戦布告する。
チャーチルは歓喜に浸った。”これで我々は同じ船に乗った。私は救われた、感謝の気持ちに溢れた人間として眠りに付くのだ”と語ってる。
あの憎き日本がアメリカをついに奇襲したのだ。アメリカが参戦した事で、チャーチルは九死に一生を得る。
”ついにアメリカが戦争に突入した。これで我々は戦争に勝った。イギリスと大英帝国は滅亡を免れた。ヒトラーの運命は決まった。ムッソリーニの運命も決まった。日本人にいたっては粉微塵に粉砕されるだろう”
しかしその後の大英帝国は、憎き日本との戦いも連戦連敗。東南アジアやインドでの戦いでは日本の電撃作戦に会い、マレー、香港、シンガポールと自慢の植民地は次々に陥落していく。その上、米ソの反発や反感を食らい、”老雄”チャーチルは孤立していった。
マレー開戦では、プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスが日本軍の爆撃機によって沈められ、チャーチルは”あの艦が”と絶句した。阿片戦争で獲得した永久領土の香港も、僅か18日間の戦いで日本軍の手に落ちた。
特に、大英帝国繁栄の象徴であったシンガポールの敗北は、チャーチルにとって信じ難い事で、”英国軍の歴史上最悪の惨事であり、最大の降伏”と、一時は首相辞任を考えた程でもあった。
インドやビルマでも、日本軍に苦戦を強いられ、アメリカからは東南アジアでの支配権を放棄せよと迫られる始末。しかし、チャーチルは断固拒絶する。お陰で太平洋戦争で英国が出る幕はなかった。
英国は小国で哀れなロバ
初めて米英ソの首脳が揃ったテヘラン会談(1943)では、チャーチルは再び鬱状態となり、イギリスを”小国で哀れなロバだ”と思い知る。
以下、会談での会話です。
先ずスターリンが、”ドイツ軍将校の5万人は銃殺すべきだな、特に参謀将校は全員銃殺だ”と口火を切れば、
チャーチルは、”そんな大量処刑は英国議会も黙ってはいない。そんな非道を許し、私と我が国の名誉を汚すぐらいなら、私は今銃殺された方がマシだ”と反発する。
するとルーズベルトが、”では中間策でいこう。4万9000人を銃殺だ”と。
全く笑わせますな。
勇ましい言葉で自国の力を誇示してきたチャーチル自身も、大戦中から自国の没落を肌で感じていた。この会談の際に、”我々が小国に堕ちた事を思い知らされた。ここにはロシアの大熊、アメリカの大牛、その間にイギリスの哀れなロバが座っていた”と秘書に漏らした。
第二次大戦後は勝戦国でありながら、以前から大英帝国の崩壊を目論んでた、ルーズベルトやスターリンに”弱小国”とコケにされ、大英帝国は植民地のほぼ全てを失い、消滅する。
チャーチルが率いた筈の大英英国は、世界一の植民地大国の座を失い、米ソの後塵を拝する島国に転落した。
つまり、大英帝国から単なる英国に成り下がるんです。大英帝国とは言っても、単なる詐欺帝国だったんですな、全くめでたいこって。
スターリンの台頭とチャーチルの復活
戦後のスターリンの台頭は、三度チャーチルを鬱にさせた。”第二次世界大戦の長い苦悩と努力の末に実現されたのは、一人の独裁者(ヒトラー)が、他の独裁者スターリンに代わっただけであった”と、チャーチルは嘆いた。
1945年7月、首相を辞任するも、野党になり下がった保守党の党首は続けたが。これまで反ソ・反スターリンを叫び続けてたチャーチルは、トルーマン率いるアメリカの後ろ盾を得て、6年の空白後?再び首相に返り咲く(1951年10月)。チャーチルが77歳の時だ。
それまで与党だった労働党だが。長きに渡る大英帝国のアジア中近東支配に終止符が打たれ、植民地破棄と共に手を引いた。ここにて事実上、大英帝国は滅亡する。
”我が大英帝国はアメリカの借款と同様に急速に減少してる。その急速さには慄然とさせられる。”逃亡”これが唯一ふさわしい言葉だ。労働党は我らの先人たちが200年の時を費やして行ってきた事全てを、インド帝国と共に投げ捨てた”と、チャーチルは批判した。
すっかりデブ老人になり、心臓病を患うチャーチルだが、貴族の称号を与えられ、めでたくサー・ウインストン・チャーチルと名乗る。
チャーチルの最後
憎きスターリンの死後(1953)、反ソ強硬路線は和らいだが。西ドイツをソ連のへ盾にし、再武装させ、粛々と反共政策を進めたが。この裏話がリークし、世界的な反発を呼んだ。
この1953年にはノーベル文学賞を受賞。しかし、その理由が笑わせる。”歴史や伝記の記述の熟達に加え、高揚した人間の価値についての雄弁な庇護者である”との事。
高揚というより暴走した独裁者を、単に庇護しただけだろうに。
その後も支配欲と戦闘欲は未だ衰えず、核実験を強行し、とうとう1952年に英国は、念願の世界第3の核保有国となる。
因みに、この1952年の時点で世界の核兵器の数は891個で、ピークはチェルノブイリ事故(1986)時の64099個。その後旧ソ連の崩壊を機に少しずつ減少し、今現在では全世界中に9920個の核兵器が存在してる。
80歳になったチャーチルの耳はすっかり遠くなり、閣議で昔話を語りだすばかりになっていた彼は、自ら首相を辞任した(1955)。
チャーチルの名誉の為に付け加えるが、1963年にはアメリカ名誉市民の称号が授与された。授与式では、”イギリスがおとなしい役割に追放された”という見解を拒否したが。当時の米国務長官からは、”イギリスは帝国を失い、新しい役割は未だ見つけられていない”と嫌味を返された。
1965年1月に脳卒中で左半身がマヒし、家族に見守られながら永眠したが、最後の言葉はなかった。奇遇にも1/24は父ランドルフの命日でもある。
長々と日本にとっては、憎き憎きチャーチルの物語を終えた所で、今日は終りにします。
次回”その8”では、チューブ・アロイズ(原爆計画)の真相と陰謀に迫ります。かなりムカつく内容ですが、宜しくです。
全く腹立ちますね。この無能なデブ爺には。
でも、戦時中はこんなバカが一気に蔓延るんですよ。まともな時代だったらこんなのは全くお呼びじゃないんですが。
だから戦争は怖い。無能が上に立ち、まともな人が兵士になり、数多く死ぬ。お陰で国力は落ち込みます。
考えるだけでも嫌になります。
本当にこのデブ親父には腹がたちます。今からでも遅くないから、極刑を下したい程です。
憎きブタは憎きブタのまま人生を終えたって感じですか。
Hoo嬢の怒りがここまで伝わってくる様でこっちが怖い?
でもしぶといブタよね、80で首相に復帰するんだから。焼いても煮ても叩いても何とかってヤツだわ。
何だか読んでて腹がたってきた。転んだサンも書いてて怒り怒りだったでしょ。