象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

ウィンストン•チャーチル、その7(20/6/19更新)〜老雄の最後と栄光と歓喜と、そして挫折と憂鬱と(第6話)〜

2019年03月19日 06時45分53秒 | 戦争・歴史ドキュメント

 ”チャーチルの生き様”も気が付いたら、長々と6話目になりました。本当は”チューブアロイズ計画”の真相を中心に書こうと思ってたんですが。いつの間にかチャーチルの人柄というか、独裁者にしては珍しい憐れな人間性というか、そういうものに惹きつけられたんですかね。
 という事で、この”その7”の第6話でチャーチル物語は終了という事で、その後は再び、チューブアロイズ計画の真相に舞い戻ります。 


チャーチルの憂鬱と挫折

 前回で述べた、”バトル・オブ・ブリテン”での奇跡の勝利でチャーチルは国民の英雄となり、アメリカの援助で大英帝国は復活するか見えました。
 ここにてようやくアメリカの盾を得たチャーチルだが、地中海の覇権を狙うムッソリーニ率いるイタリア軍を、乏しい戦力ながら何とか撃破(1940年12月)。
 しかしヒトラーは、ロンメル将軍を地中海に送り、英軍を蹴散らす(1941年2月)。その後、地中海では英軍はドイツ軍に降伏した。特に”ドブルク陥落”(1942年3月)は、この数か月前のシンガポール陥落と相まって、英国内に強い衝撃を与え、戦時中のチャーチル批判は1942年7月に最も強まった。
 議会では内閣不信任案が提出された。挙国一致のオール与党だった為、不信任案は免れたが、チャーチルはこれを”深刻な挑戦状”と嘆いた。しかし、ロンメル将軍の進撃は長くは続かず、米軍の後押しを受けた英軍は復活し、翌年の3月にドイツ軍は北アフリカ戦線から撤退した。

 一方、この北アフリカ戦線の最中にヒトラーは、東欧のソ連占領地域に侵攻し、独ソ戦が勃発(1941年6月)。
 チャーチルはスターリンに無条件の協力を約束する電報を送り、”ヒトラーが地獄へ攻め入れば、私は地獄の大王を支援する”と語った。 
 一方スターリンはチャーチルに、フランスへ上陸し、”第二戦線”(西部戦線)を開くよう要求するも、チャーチルは受け入れない。ルーズベルトもこの作戦に乗り気だったが、チャーチルが直談判で中止させ、北アフリカ戦線に米英の戦力を投入した。お陰でロンメルの進撃を防ぐ事が出来たのだが。
 結局、1944年6月のノルマンディー上陸作戦まで、この”第二戦線”が開かれる事はなかった。  

ルーズベルトの目論見と大西洋憲章と

 1941年8月、チャーチルとルーズベルトは両大西洋憲章を締結。これは領土不拡大や民族自決を盛り込んだ、国際連合憲章の原型となる米英の共同文書である。
 チャーチルは、この憲章の適用範囲には大英帝国の植民地であるアジア・アフリカは除外されるべき”と主張するも、大英帝国の破壊を目論むルーズベルトに拒否される。

 両首脳は激しくぶつかった。”ファシスト奴隷制と闘いながら、同時に自分達の植民地支配体制から全世界を解放しないのは、おかしいじゃないか”とルーズベルトが言い放つと、チャーチルは激昂のあまり卒倒しかけた。
 結局、この大西洋憲章の理念は全く無視され、チャーチルは植民地弾圧を緩める事なく、米英ソによる領土分割という最悪の事態を招く。  

 因みにこの会談では、東南アジアのフランス植民地に進駐した日本に対し、戦争も辞さない強硬な姿勢をとる事が、チャーチルの発案により、米英間で確認された。
 そこでアメリカは日本に対し、”中国から撤兵し、満洲事変以前の状態に戻せ”と強硬要求を突き付ける。
 これには、日本を戦争に追い込む為の挑発だったという説もあり、結局、日本を太平洋戦争に追いやったのも原爆投下もチャーチルの仕組んだ罠だったんですかね。 


日本の参戦とチャーチルの歓喜と失墜と

 1941年12月7日の日本陸軍による”マレー作戦”で日英間が開戦。チャーチルが売った喧嘩に日本が乗った形となった。その翌日には真珠湾を奇襲し、アメリカに宣戦布告する。

 チャーチルは歓喜に浸った。”これで我々は同じ船に乗った。私は救われた、感謝の気持ちに溢れた人間として眠りに付くのだ”と語ってる。
 あの憎き日本がアメリカをついに奇襲したのだ。アメリカが参戦した事で、チャーチルは九死に一生を得る。
 ”ついにアメリカが戦争に突入した。これで我々は戦争に勝った。イギリスと大英帝国は滅亡を免れた。ヒトラーの運命は決まった。ムッソリーニの運命も決まった。日本人にいたっては粉微塵に粉砕されるだろう”

 しかしその後の大英帝国は、憎き日本との戦いも連戦連敗。東南アジアやインドでの戦いでは日本の電撃作戦に会い、マレー、香港、シンガポールと自慢の植民地は次々に陥落していく。その上、米ソの反発や反感を食らい、”老雄”チャーチルは孤立していった。
 マレー開戦では、プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスが日本軍の爆撃機によって沈められ、チャーチルは”あの艦が”と絶句した。阿片戦争で獲得した永久領土の香港も、僅か18日間の戦いで日本軍の手に落ちた。
 特に、大英帝国繁栄の象徴であったシンガポールの敗北は、チャーチルにとって信じ難い事で、”英国軍の歴史上最悪の惨事であり、最大の降伏”と、一時は首相辞任を考えた程でもあった。

 インドやビルマでも、日本軍に苦戦を強いられ、アメリカからは東南アジアでの支配権を放棄せよと迫られる始末。しかし、チャーチルは断固拒絶する。お陰で太平洋戦争で英国が出る幕はなかった。

 
英国は小国で哀れなロバ

 初めて米英ソの首脳が揃ったテヘラン会談(1943)では、チャーチルは再び鬱状態となり、イギリスを”小国で哀れなロバだ”思い知る。
 以下、会談での会話です。

 先ずスターリンが、”ドイツ軍将校の5万人は銃殺すべきだな、特に参謀将校は全員銃殺だ”と口火を切れば、
 チャーチルは、”そんな大量処刑は英国議会も黙ってはいない。そんな非道を許し、私と我が国の名誉を汚すぐらいなら、私は今銃殺された方がマシだ”と反発する。
 するとルーズベルトが、”では中間策でいこう。4万9000人を銃殺だ”と。
 全く笑わせますな。

 勇ましい言葉で自国の力を誇示してきたチャーチル自身も、大戦中から自国の没落を肌で感じていた。この会談の際に、”我々が小国に堕ちた事を思い知らされた。ここにはロシアの大熊、アメリカの大牛、その間にイギリスの哀れなロバが座っていた”と秘書に漏らした。

 第二次大戦後は勝戦国でありながら、以前から大英帝国の崩壊を目論んでた、ルーズベルトやスターリンに”弱小国”とコケにされ、大英帝国は植民地のほぼ全てを失い、消滅する。
 チャーチルが率いた筈の大英英国は、世界一の植民地大国の座を失い、米ソの後塵を拝する島国に転落した。
 つまり、大英帝国から単なる英国に成り下がるんです。大英帝国とは言っても、単なる詐欺帝国だったんですな、全くめでたいこって。 


スターリンの台頭とチャーチルの復活

 戦後のスターリンの台頭は、三度チャーチルを鬱にさせた。”第二次世界大戦の長い苦悩と努力の末に実現されたのは、一人の独裁者(ヒトラー)が、他の独裁者スターリンに代わっただけであった”と、チャーチルは嘆いた。
 1945年7月、首相を辞任するも、野党になり下がった保守党の党首は続けたが。これまで反ソ・反スターリンを叫び続けてたチャーチルは、トルーマン率いるアメリカの後ろ盾を得て、6年の空白後?再び首相に返り咲く(1951年10月)。チャーチルが77歳の時だ。 
 それまで与党だった労働党だが。長きに渡る大英帝国のアジア中近東支配に終止符が打たれ、植民地破棄と共に手を引いた。ここにて事実上、大英帝国は滅亡する。

 ”我が大英帝国はアメリカの借款と同様に急速に減少してる。その急速さには慄然とさせられる。”逃亡”これが唯一ふさわしい言葉だ。労働党は我らの先人たちが200年の時を費やして行ってきた事全てを、インド帝国と共に投げ捨てた”と、チャーチルは批判した。
 すっかりデブ老人になり、心臓病を患うチャーチルだが、貴族の称号を与えられ、めでたくサー・ウインストン・チャーチルと名乗る。


チャーチルの最後

 憎きスターリンの死後(1953)、反ソ強硬路線は和らいだが。西ドイツをソ連のへ盾にし、再武装させ、粛々と反共政策を進めたが。この裏話がリークし、世界的な反発を呼んだ。
 この1953年にはノーベル文学賞を受賞。しかし、その理由が笑わせる。”歴史や伝記の記述の熟達に加え、高揚した人間の価値についての雄弁な庇護者である”との事。
 高揚というより暴走した独裁者を、単に庇護しただけだろうに。

 その後も支配欲と戦闘欲は未だ衰えず、核実験を強行し、とうとう1952年に英国は、念願の世界第3の核保有国となる。
 因みに、この1952年の時点で世界の核兵器の数は891個で、ピークはチェルノブイリ事故(1986)時の64099個。その後旧ソ連の崩壊を機に少しずつ減少し、今現在では全世界中に9920個の核兵器が存在してる。

 80歳になったチャーチルの耳はすっかり遠くなり、閣議で昔話を語りだすばかりになっていた彼は、自ら首相を辞任した(1955)。
 チャーチルの名誉の為に付け加えるが、1963年にはアメリカ名誉市民の称号が授与された。授与式では、”イギリスがおとなしい役割に追放された”という見解を拒否したが。当時の米国務長官からは、”イギリスは帝国を失い、新しい役割は未だ見つけられていない”と嫌味を返された。
 1965年1月に脳卒中で左半身がマヒし、家族に見守られながら永眠したが、最後の言葉はなかった。奇遇にも1/24は父ランドルフの命日でもある。

 長々と日本にとっては、憎き憎きチャーチルの物語を終えた所で、今日は終りにします。
 次回”その8”では、チューブ・アロイズ(原爆計画)の真相と陰謀に迫ります。かなりムカつく内容ですが、宜しくです。



4 コメント

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豚に真珠、チャーチルにノーベル賞 (lemonwater2017)
2019-03-28 19:51:45
tokoサン久しぶりです。

全く腹立ちますね。この無能なデブ爺には。
でも、戦時中はこんなバカが一気に蔓延るんですよ。まともな時代だったらこんなのは全くお呼びじゃないんですが。

だから戦争は怖い。無能が上に立ち、まともな人が兵士になり、数多く死ぬ。お陰で国力は落ち込みます。

考えるだけでも嫌になります。
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チャーチルっていうひと (tokotokoto )
2019-03-28 15:01:22
チャーチルはノーベル文学賞を剥奪すべきです。貴族の称号もアメリカの名誉市民もです。チャーチルからは全てを奪い去るべきです。このまま虚悪の独裁者が称賛されること自体、まだまだ第二次世界大戦は終わってはいないという事でしょうか。

本当にこのデブ親父には腹がたちます。今からでも遅くないから、極刑を下したい程です。
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Re.憐れなブタ (lemonwater2017)
2019-03-24 06:51:33
全6話に渡って難きチャーチルを消化したんですが。普通なら彼に武士の情けとかそういうものを感じてもいい筈なんですが。そういう気に全くならない所がチャーチルの凄い所でしょうか。

憎きブタは憎きブタのまま人生を終えたって感じですか。

Hoo嬢の怒りがここまで伝わってくる様でこっちが怖い?
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哀れなブタ? (HooRoo)
2019-03-23 15:33:05
イギリスが哀れなロバなら、チャーチルは哀れなブタね。独裁者というより哀れな老人って感じ。

でもしぶといブタよね、80で首相に復帰するんだから。焼いても煮ても叩いても何とかってヤツだわ。

何だか読んでて腹がたってきた。転んだサンも書いてて怒り怒りだったでしょ。
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