映画「永遠の門〜ゴッホの見た未来」を見た。感動的な作品でもあったが、史実とは多少かけ離れてたみたいで、ウ~ンという所もあった。しかし、ゴッホの視点で忠実に描かれてたのは嬉しくもある。
ゴッホに関しては、”アルルの寝室”でもブログにしたが、ゴッホを語るにはそれだけで足りるものではない。モネを語るにはマネが必要な様に、ゴッホを語るにはゴーギャンの存在が不可欠なのだ。
という事で、9月に書いた”マネとモネ”に続き、ゴッホとゴーギャンについてです。かなり長くなるので、2回に分けて投稿します。
ゴッホを一言で表現するなら、「ひまわり」という事になるのだろうが、ゴッホの才能からすれば、所詮、挨拶代わりの作品に過ぎないと思う。というのもゴッホの絵画は全てが異次元の傑作なのだから。
そんな偉そうな事をいう私は、不思議と絵画には興味がない。
同じ芸術なら、彫刻の方がずっと惹きつけられるし、裸婦の彫像よりも生のヌードの方がずっと興奮する(笑)。いやヌードよりもヤッた方がずっと欲情する(悲)。
しかし、偉大な画家の作品には、あたかも魂が吹き込まれ、生命が躍動する様に感じられるのは私だけではないだろう。
絵画と私
そういう私も、”天才”と呼ばれた時期がほんの僅かだが、あった。
それは幼稚園に入る前の事だ。私は一日中絵を描いていた。既に絵の具も使えたし、遠近法も使えた。ガウスじゃないが、”言葉を覚える前に絵を描いて”いたのだ。
壁という壁には絵を描きまくり、お袋は大晦日にそれらを消すのに一苦労した。しかし親父は、特異の遠近法を駆使して描いた”電車”の絵だけは誰にも消させなかった。
親父はオレを、”絵の天才”だと自慢した。
もちろん私にとっても、この「電車」は今から振り返ると生涯ベストの絵ではあった。「糸杉」や「ひまわり」(共にゴッホ)ほどではないが、いい線いってたと思う。
冗談はさておいて(笑)、私が幼稚園に入る様になると、友達が出来、絵を描く時間がなくなった。その友達というのが生涯最高の人物であった。”小さなナポレオン”でも書いたが、とにかく真の天才だった。
しかし、彼はすぐに死んだ。そして、絵に対する興味も完全に消え失せた。
それ以降、絵が全く描けなくなった。いや”書く”事すらできなくなっていた。が故に、ゴーギャンを失ったゴッホが狂人になり果てるのも、理解できなくはない。
大人になって、日展を見た。
はっきり言って何も感じなかった。上手いとか下手とかじゃなく、何にも心に訴えないのだ。所詮、アマ画家の自己満足である。”無機質な模倣”に心を打つ筈もない。
ずっと後になって、「笛を吹く少年」(マネ)を見た。心が密かに躍動し、ゴッホの「麦畑」を見て、身体が躍動した。同じゴッホの「糸杉」を見て、全身が震えた。そして、初期の作品である「じゃがいもを食べる人々」を見て、ゴッホが異次元の天才画家だと確信した。
本物の実物を見てたら、多分、心臓が破裂して、卒倒してたであろうか。
そんな私から見たゴッホとゴーギャンはどう映ったか。
ゴッホとゴーギャン
フィンセント•ファン•ゴッホに関しては、、傑作という視点からすれば、「糸杉」(1889)や「麦畑」(1888)が挙げられるかもだが、ゴッホの生涯を語るとすれば、「ひまわり」(1888)を避けて通る事は出来ない。
事実ゴッホは、尊敬する5歳年上のゴーギャンの為に、12枚の”ひまわり”を描く筈だった。実際には4枚しか描けなかったが、この内の一枚が、巨匠ゴーギャンをして、”フィンセント(ゴッホ)の作風を本質的に表した完璧な一枚”と言わしめた。
以下、”ゴッホの「ひまわり」はなぜ名作と呼ばれるのか?”から一部抜粋です。
ゴッホの数百点もの作品の中で何故?ロンドン所蔵「ひまわり」だけが特別な位置を占めてるのだろうか。
1886年2月、パリに出てきたゴッホは、”花”を題材にした静物画を集中的に描き始める。
動機の1つは、モデルを雇うお金がなかったし、花の絵なら、売れやすいという目論見もあった。2つ目の理由は、新しい技法”色彩表現”の実験でもあった。
それまでオランダ絵画風の、茶色を基調とした暗い色調で描いていたゴッホは、パリで印象派や日本の浮世絵に出会い、その明るく鮮やかな”色彩表現”に魅了される。
なかでも特に熱中したのが、”補色”の研究だ。「2本の切ったヒマワリ」(1887)では、補色である青色を背景に2本の黄色いヒマワリがくっきりと浮かび上がる。
この様に、互いの存在を強め合う青と黄色の組合せは、以降、頻繁に使われ始めた。
2つのひまわり
あらゆる色彩を、自らの内面を表すツールとして自在に使いこなす”色彩画家”ゴッホ。
この「2本の切ったヒマワリ」は、ゴッホの運命を180度変えた。展覧会にこの作品を出品した所、憧れのポール•ゴーギャンが自分の作との交換を申し入れてきたのだ。
1888年、南フランスのアルルへ移住した彼は、ある夢を思い描く。
”この地に画家仲間を呼び、芸術家のユートピア(共同体)を作ろう”
ゴッホの呼びかけに、早速ゴーギャンが応じる。喜び勇んだゴッホは、自らのアトリエを12枚のひまわりの絵で装飾するプランを思いつき、ユートピア(理想郷)の実現に邁進する。
つまり”ひまわり”は、ゴッホがユートピアの希望として選んだ花であり、ゴーギャンとの出会いを生んだ象徴でもあった。
しかし、実際に描き上げたのは4枚だけで、最後に描かれた4枚目こそが、ロンドン版「ひまわり」だった。
ここで彼は独自の試みをした。”ひまわり”以外の全ての補色を、トーンの違う黄色を用いて描き出したのだ。
その他の3枚は、「2本の切ったヒマワリ」と同じ様に、青や青緑を背景とし、ひまわりの存在を際立たせていたが、ロンドン版ではそれがない。
因みに、1枚目は「3本のひまわり」(フィラデルフィア所蔵)、2枚目は「5本のひまわり」(日本所蔵、焼失)、3枚目は「12本のひまわり」(ミュンヘン所蔵)、そして4枚目がロンドン所蔵の「15本のひまわり」となる。
特に、「15本のひまわり」はゴッホ自身が2度も模写している。
ゴッホは、ロンドン版「ひまわり」では、あるトリックを施した。
花の中心部や花弁の部分では、絵の具が厚く盛り上がり、特に花弁部分は、うねる様な勢いで描き、”ひまわり”に見事な生命(躍動)を与えた。これに対し背景は、やや薄いトーンであっさりと丁寧に仕上げられてる。
同じ黄系の色を使いながらも、トーンや絵の具の塗り方にメリハリをつける事で、ゴッホは”ひまわり”の存在をより強力に前面へと押した。
ゴーギャンのひまわり
1888年秋、ついにゴーギャンがアルルにやって来た。彼は、黄色づくしの「ひまわり」に心を奪われ、絶賛する。お陰で、共同生活を始めて2ヶ月が経った頃には、「ひまわり」を制作した時のゴッホの姿を想像し、描いた。
しかし、共に強烈な個性の持ち主だった2人の生活は間もなく破綻する。
落胆したゴッホは自らの耳を切り落とし、ゴーギャンは逃げる様にアルルを後にする。
以降、2人は直接会う事はなかったが、手紙のやり取りの中でゴーギャンは、”あの「ひまわり」を送って欲しい”と頼む。
ゴッホは、ロンドン版を元に3枚の”ひまわり”を制作するが、それらをゴーギャンの元に送る事はなかった。これを最後に、ゴッホは”ひまわり”を描くのをやめてしまう。
ユートピアの夢が潰えてしまった以上、夢の象徴でもあった”ひまわり”を描く意味は、なくなったのだ。アルルで共に暮らしたあの頃に戻る事はもうない。今、ゴーギャンの頼みを聞いた所で、何か変わるのか?
一方で、「ひまわり」は、ゴーギャンの記憶の中により強く深く根付いた。晩年彼は、友人に頼んでヒマワリの種を送ってもらい、「肘掛椅子の上のひまわり」(1901)を描いた。
肘掛け椅子は、かつてゴッホがゴーギャンの為に用意してたものだ。そこにゴーギャンは、ゴッホの筆跡を真似るかの様に自らのサインを書き込んだ。
確かに、ゴッホの夢は潰えてしまった。
しかし、彼が夢を託した”ひまわり”は、ゴーギャンの心に種を蒔き、根付き、新たな花を咲かせた。ゴッホにとって、「ひまわり」の連作に取り組んでた1888年の夏こそが、未来への希望と前向きの熱情に満たされてた時期であったのだ。
友への思いと、そして未来に対する期待は、”ひまわり”を描きあげる毎に高まっていった。それらの感情は、連作最後のロンドン版にては、黄色という色彩を通し、画面一杯に息づいている。まさに、色彩を自分の感情を表出させるツールとして使いこなす、”完璧な一枚”だったのだ。
以上、美術手帖からでした。
最後に〜ゴッホの感情とゴーギャンの友情
「ひまわり」から眺めたゴッホとゴーギャンですが、ゴッホのほとばしる熱情とゴーギャンの友情が2つの”ひまわり”には強く濃く表現されている。
ゴーギャンは「ひまわり」を描くゴッホ自体が好きだった。全ての感情をカンバスに殴りつけるかの様な大胆な筆跡と、そして繊細な表現。それに”絵画じゃなくて彫刻だ”と揶揄されたほどの力強いタッチ。
ゴッホは感情で"ひまわり"を描き、ゴーギャンは友情で"ひまわり"を描いた。
ゴッホの感情は、ゴーギャンとの友情をも燃え尽くし、自らの人生をも支配した。一方ゴーギャンの友情は、亡きゴッホの後もなお続いた。
長くなったので、今日はここまでです。次回は、ゴッホとゴーギャンのすれ違いを、互いの画風や気質の違いを視座において紹介したいと思います。
ゴッホについてのレヴューは、ブログに投稿するには勿体ない(?)ほど素晴らしいです。
生き方もドラマチックで天才そのもの。
「15本のひまわり」は、今、新宿西口の「損保ジャパン日本興亜本社ビル42F」で観賞することができます。
(バブル時に53億円で購入)
☆象が転んださんの博学・知識にはいつもお勉強させられています。
このような記事にホッとしたりしています。
多分、新宿の損保ジャパンにある「15本のひまわり」は、ロンドン所蔵のゴッホ自身がゴーギャンの為に模写した「ひまわり」でしょうか。模写でも53億円(当時のレートで58億とも)ですから、我々が思う以上にすごい画家なんですね。
お褒め頂いて有難うございます。これからも宜しくです。