”数学の巨人”と言われたガウスの知能はどれ程か?って事はよく話題に上る。
因みに、ガウスはアイゼンシュタイン(1823-1852)の事を”100年に一度の天才”と評価してます。しかし彼は、数学に対する考えがリーマンとはだいぶ異なってた様で、ベルリン大留学中のリーマンと衝突します。
若干28歳でベルリンアカデミーの正会員になった”早熟の超天才”アイゼンシュタインも、リーマンにずっと関心を持ってたんですが、”自分の方からリーマンを避けてた”事を最後まで悔やんでたと。
僅か29歳で生涯を閉じたアイゼンシュタインですが、意外にもシャイだったんですね。
ガウスとボヤイ親子
さてと話を戻します。前回の”その1”では、19歳の青年の運命を大きく変えた春まででした。今日はゲッティンゲン大学以降のガウスの偉業についてです。少しややこしいですが、ご勘弁をです。
ガウス少年はフェルディナンド公爵の支援の元、天賦の才を如何なく発揮できた。計算が滅法速く、どんな複雑な計算でも暗算で直ぐに解いてみせた。
”前回”でも紹介した様に、”81297から始まり198ずつ増える数を100個足したら幾つになる?”という問題を一瞬にして解く少年は、人類の歴史を振り解いても彼だけでしょうね。
しかし、ゲッティンゲン大学時代のガウスには特別な師匠はいなかったが、非ユークリッド幾何学の研究で知られるハンガリー貴族のボヤイ•ファルカシュとの交友を深めた。
因みにガウスの母は、このボヤイに”息子は大丈夫でしょうか?”と尋ね、ボヤイは”ヨーロッパ一の数学者になるでしょう”と答え、母は泣き崩れたという。
一方で、ボヤイの息子ヤノーシュも、ロバチェフスキーと並ぶ双曲幾何学(非ユークリッド幾何学)の提唱者の1人で、偉大なる数学者なんです。ここでトリビアを1つ。
ヤノーシュが24歳の頃、双曲幾何学の論文を父ファルカシュを通じ、友人のガウスに評価してもらった。
”どうだ?うちの倅は”とファルカシュ
”評価できんね”とガウス
”何故だ?”とファルカシュ
”だってこんな事は、俺が30年以上も前に得ていたさ”とガウス
父ファルカシュは、息子がとうとうガウスに並んだと喜んだが、ヤーノシュは大きく落ち込み、以降学問から遠ざかった。
この否定された論文こそが”双曲幾何学”の確立だったんですが、ガウスに言わせると”騒ぐ程の事か?”って事になる。事実、ロバチェフスキーも既に同じ論文を書いており、その完成度はヤノーシュを大きく凌駕していた。
でも、ボヤイ親子にとってこの発見は神業に近かったのだ。実は父ファルカシュも昔、幾何学の論文をガウスに否定され、息子には幾何学の研究を勧めなかったとか。しかし、ガウスに否定された論文は後に認められ、現在では双曲幾何学は”ボーヤイ•ロバチェフスキー幾何学”とも呼ばれます。これを”ボヤイ親子の喜悲劇”とでも呼ぼうか。
数論とガウスと合同算術と
ゲッティンゲン大を卒業したガウスは、ヘルムシュテット大学への学位論文で、「代数学の基本定理」(1799)を証明した。”次数が1 以上の任意の複素係数多項式には複素根(虚根)が存在する” というものだ。
因みに、誤解を避ける為、虚数を表に出さず、”多項式が実数の範囲内で1次または2次の因数に分解される”とした。この頃はまだ、複素数が市民権を得てない時代だったのだ。それに、複素数の重要性を決定づけたのもこの論文による。
因みに、”代数学の基本定理”とは一般に、実係数の代数方程式が全て実数解とは限らないが、x²+1というただ1つの多項式の根(虚根)を実数体に付け加えると、どんな代数方程式でもその体系内で解けるというもの。
つまり、”複素係数の任意のn次多項式は複素数の根を丁度n個持つ”という事実を導いた。つまり、どんな複素係数多項式であっても、それを複素係数の一次式の因数(冪積)に分解できる。
確かに、2次式になればいきなり複素数の概念が必要となりますもんね。そこでガウスは、複素多項式の重要性を初めて説いたのだ。
やがてガウスは、数論の分野で大きく頭角を現し、数学史上最も有名な研究所の1つ「算術研究(アリトメチカ研究)」(1801)を書き上げ、その名声はヨーロッパ中に広まった。
つまり、2000年前にユークリッドが幾何学に対して行った事を数論に対して行ってしまう。23歳のガウスが書いたこの本は、公爵の寄付金で出版され、公爵の有り余る程の惨事が添えられた。
ガウスの数論研究(アリトメチカ研究)は、1795年の”平方剰余相互法則”の第一補充法則が起点となる。若干17歳の青年は、この小さな発見を氷山の一角とみなし、全容の探索を続けたのだ。
”一貫性のない複雑な結果から単純な概念を導く”というガウスの能力は、この本の中の基本的手法の1つで、今日では”モジュラ算術(合同算術)”と呼ばれる。
数論に関する重要な結論の多くは、以下の2つの単純な疑問の答えから成り立ってる。
①ある数が別の数で割り切れるのはどの様な場合か?②割り切れないなら、その2つの数はどんな関係にあるのか?
フェルマーは素数を4k+1と4k+3に分類した。この他に、4で割り切れる数と4で割ると2余る数がある。前者の4の倍数以外の偶数(2,6,10,14,18...)は、何れも4で割ると2余るという後者になる。
同様に奇数は、4で割ると1余る数(1,5,9,13,17,21...)と、4で割ると3余る数(3,7,11,15,19,23...)とに分けられる。
ガウス以前は、”4k、4k+1、4k+2、4k+3”と余りの小さな順から数のリストを並べた。しかし、これをガウスは、”4を法(モジュロ)とし、0,1,2,3に合同な全てを並べたリスト”と表現した。
これは単に言葉の違いの様に見えるが、構造から見ると、2つの数を足したり掛けたりし、その答えが”0,1,2,3のどれと合同であるか”をガウスは考えた。
すると、”元の2つの数がどれと合同であるか”によって、全ての答えが完全に決まる。
例えば、4を法として、2と合同な数と3と合同な数を足すと、その答えは必ず1と合同である。同じく、2と合同な数と3と合同な数を掛けると、その答えは必ず2と合同である。実際に14(2と合同)と23(3と合同)で計算すれば明らかですね。
この概念から、4の整除性に関する問題が、この4つの”合同類”(0,1,2,3)のみを使って導く事が出来る。
現在では、”合同”とは同義•同値•恒等という意味で、”≡”という記号で、A≡B(modM)という形で表現する。”AとBはMを法(モジュロ=mod)として合同”、つまり、”AはBをMで割った余りに等しい”となる。合同の全てのリストを”合同類”と呼ぶ。
平方剰余の黄金法則
次に、2つの平方数の和に等しい素数に、この考えを当てはめてみる。
全ての自然数は、4を法として0,1,2,3の何れかと合同である。故に、全ての平方数はこの4つの2乗、つまり、0,1,4,9と合同で、更に、0,1,0,1と合同です。一例を式で表せば、1≡3²(mod4)≡3⁴(mod4)です。
この様に、全ての平方数が4k又は4k+1という形である事を簡単に証明できる。それだけでなく、2つの平方数の和が0と1の何れかと合同である事も解る。故に、2つの平方数の和が2と3と合同になり得ない事も証明できた。
つまり、とても手の混んだ証明がモジュラ算術では自明な事になる。
それに、法(モジュラ)は4だけに限らず、どんな数でも可能だ。この様に、数の代わりに合同類を使っても算術(代数学)は可能なのだ。
ガウスにより、この合同算術のアイデアは数論に関する幅広い定理の基礎となった。既にフェルマーやオイラーやラグランジュが、このパターンに気付いてはいたが、証明は出来なかった。
その証明の1つを導き、1796年の19歳の時に「平方剰余の相互法則」として発表した。最終的には6通り(又は8通り)もの証明を見つける。青年は、これを密かに”黄金定理”と名付けた。因みに、ウィキでは1796年に証明し、1801年の「整数論」にて発表したとある。
一見ややこしい名前ですが。この法則こそが、ある法の下で平方数がどの様な形を取るかという、基本的な疑問に答える決定的な道具となる。
例えば前述した様に、全ての平方数は4を法として0又は1でしたね。これらを法を4とする”平方剰余”と呼び、それ以外の合同類2と3は”平方非剰余”と呼ぶ。代りに法を7とすると、平方剰余は0,1,2,4(それぞれ0,1,3,2の2乗)で、非平方剰余は3,5,6となります。
一般に、”法が奇素数pの場合、合同類の内の半数強が平方剰余で、半数弱が非平方剰余”である。しかし、どの数がどちらに含まれるか?ハッキリしたパターンはない。
pとqを奇素数とする。そこで、pはqを法とする平方剰余(p≡p²(modq))か?又はqはpを法とする平方剰余(q≡q²(modp))か?を考える。
前述の”ガウスの黄金定理”によると、どちらの疑問も答えは同じである(両方共YES、両方共NO)。但し、pとqが両方共4k+3という場合は例外で、一方がYESで一方がNOとなる。つまり”ガウスの黄金定理”では、この答えがYESとNOのどちらか?までは判らず、こうした関係がある事までしか判らない。
この平方剰余の世界には、まだまだ深い謎が数多く残されてるのだ。私も少しググってみましたが、全てを理解するには天文学的時間を要します(悲)。
因みに、ガウスは2次形式の研究に留まったが、その一つの動機は3次や4次の相互法則を証明する事にあったとされ、現在では240以上もの証明が知られてる。3次や4次の相互法則は、ヤコビやアイゼンシュタイン(1844)によって独立に証明された。
最後に〜数学が美しくある為に
ガウスが1801年に発表した「算術級数」の中心テーマは、二次形式(2つの平方の和)が持つ算術的性質に関する洗練された理論である。
この理論は後に、広大で複雑な幾つもの理論に発展し、数学以外の多くの分野に結びついた。
上述した”平方剰余”の理論は、音響特性に優れたコンサートホールの設計でも重要な役割を果たす。壁にどの様な形の音響反射材や吸音材を作ればよいかが解るという。
ガウスの文体は簡潔明瞭で洗練されていた。”美しい建物を立て終えた時、足場が見えてはいけない”と、ガウスは漏らす。
建物を褒めて欲しいのならそれでも構わないが、優れた建築家や施工者を育成するのなら、足場を詳しく吟味する事は欠かせない。
次世代の数学者を育てるのも同じだが、ヤコビは”ガウスは狐の様に砂の上に残した自分の足跡を尻尾で消していく”と不満を垂れた。
こうした癖はガウスだけではない。ニュートンは「プリンキピア」に収めた結果の多くは微積分を使って発見したが、本の中では幾何学に見せかけた。リーマンの論文もまた然りである。
今でも論文で発表される数学の大部分は、紙面の都合や旧来の習慣の為に、ややこしい文面が必要以上に隠されている。しかし、これを改めるのは難しいし、一部には賛成意見も聞かれる。だが何よりも、間違った道へ進んだら苦労するし、行き止まったら後戻りするしかない。
数学とは美しくある為に様々なものを犠牲にする学問である。誰にでも判りやすく紹介しようなんて、最初から甘い考えなのだ。
数学は我々が思う以上に、非常に複雑で厄介で難解な学問なのだから。
長くなりすぎたので、今日はここ迄です。
自民党も終わりですかね。
堅苦しい記事にコメント有難うです。
今年も宜しくです。
数論が苦からでした。
オーレムは第二グループでもいいかなと思いますが?どうでしょ〜(^^♪
以上、大きなお世話でした。
オーレムはフランス数学の神様ですもんね。早速、更新します。
それに中国や日本の数学者がランクインしてるのも嬉しいで〜す^^;
ガウスの間にディリクレが挟まる事で現代数学における数論が大きく飛躍した事も忘れてはならないです。
以上、余計なお世話でした。
平方剰余に関しても、
半分は理解できましたが、残りの半分は全くです。
ガウスの数論を引き継いだディリクレは大変だったでしょうね。