象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

チェ・ゲバラ〜不当に抑圧された民を救った真の革命王

2023年07月28日 05時24分05秒 | 戦争・歴史ドキュメント

 「キューバ危機、その2」に寄せられたコメントにこうあった。
 ”キューバ危機というより、実質的には”アメリカ危機”だった。
 もし、カストロがフルシチョフの説得に応じずに核のボタンを押してたら?
 今のアメリカは存在しなかったろうか?。
 もし、(ソ連の支援を拒み)カストロと決別したゲバラだったら、核のボタンを押しただろうか?
 アメリカは半壊し、真の意味でのキューバ革命が完結したのだろうか?”

 確かに、当時のキューバには中距離と準中距離合わせ、60基の核ミサイルが用意されていた。その内、アメリカが航空偵察で見つけた核ミサイルは18基ほど。
 エルネスト・”チェ”・ゲバラ(1928-1967)がフィデル・カストロに代り、No.1の書記長だったら・・・
 ケネディがフルシチョフと交渉を始め、アメリカ軍がキューバへ空爆を仕掛ける前に、(地下基地に眠ってる)40発近い核ミサイルのボタンを一斉に押したであろうか?
 準中距離ミサイルでもフロリダやエリア51があるネバダ州に、中距離ミサイルなら全米の各都市にも十分に届くであろう。

 真の社会主義に目覚め、その理想を追い求めていた革命王ゲバラなら、核による奇襲を仕掛けたかもしれない。
 結果として、アメリカの半分は焦土と化し、今のアメリカは存在し得なかった。
 ゲバラは社会主義の象徴となり、世界の中心はキューバという小さな島国を中心に回ってたかもしれない。
 そう思うのは私だけだろうか?

 という事で今日は、”革命王”チェ・ゲバラがテーマです。


ゲバラの生涯

 ”なぜ、日本人はアメリカに対して原爆投下の責任を問わないのか?”
 これは、チェ・ゲバラが広島を極秘で訪問した際に放たれた言葉である。
 ゲバラが広島の悲惨な状況をキューバに伝えて以来、現在でも初等教育では広島と長崎への原爆投下をとりあげているという。
 ひょっとしたら、日本が目指す国家はアメリカではなく、ゲバラが描いた理想国家なのかもしれない。

 アルゼンチン生まれの裕福な家庭で育ったゲバラは、未熟児として生まれ肺炎を患い、2歳の時に重度の喘息を患った。ブエノスアイレス大学で医学を学び、在学中の1951年に南アメリカを放浪する。そこで最下層の労働者らと接し、マルクス主義に共感を示す様になる。
 大学卒業後、25歳で医師免許を取得。グアテマラで医師を続けたが、同国に亡命してた女性活動家のイルダ・ガデアと出会い(後に結婚)、共鳴し、社会主義に目覚めていく。
 ゲバラが”ラテンアメリカで最も自由で民主的な国”と評したグアテマラ革命政権だが、CIAの策略により崩壊する。
 これがきっかけとなり、アメリカの帝国主義的搾取に怒りを震わせたゲバラは、”市民よ武器を持て”と武力によるラテンアメリカ革命を本気で志す様になった。
 グアテマラの新政権により、ゲバラ暗殺指令が出され、妻のガデアとと共に失意と怒りを抱いて、メキシコに移る。

 1955年、同地に亡命中の反体制派キューバ人のリーダーであるフィデル・カストロと出会う。
 キューバの親米バティスタ独裁政権打倒を目指すカストロに共感したゲバラは、一夜にして反バティスタ武装ゲリラ闘争への参加を決意。妻と娘のイルディーダをメキシコに残し、単身キューバへ向かう。
 1956年11月、カストロをリーダーとする反乱軍82名はキューバへ上陸するも、計画が事前に漏れ、政府軍の襲撃を受け壊滅状態となる。僅かに12名となった反乱軍は、山中の村などを転々とし、軍の立て直しを図った。
 ゲバラは当初は軍医だったが、その忍耐強さと誠実さ、状況を分析する冷静な判断力、人の気持ちを掴む才を遺憾なく発揮し、カストロに次ぐリーダーとして認められる。


ゲバラの失望と怒り

 1958年12月29日、反乱軍の実質No.2にのし上がったゲバラは、僅か300人の軍を率いて政府軍6000人が迎え撃つキューバ第2の都市サンタクララに突入。そこで、政府軍の武器と兵士を乗せた装甲列車を転覆させ、政府軍を混乱させる。
 これが起点となり(支援する多数の市民の加勢もあり)、激戦の末に政府軍を制圧、首都ハバナへの道筋を開く。
 1959年1月1日、親米の独裁者バティスタがドミニカへ亡命、1月8日にカストロがハバナに入城し、”キューバ革命”が達成された。
 アルゼンチン出身のゲバラは、その功績と献身的な働きによりキューバ市民権を与えられ、キューバ新政府の国立銀行総裁(後に工業大臣)に就任するに至る。
 同年7月、31歳のゲバラは広島を訪れ、”なぜ日本人はアメリカに対して原爆投下の責任を問わないのか?”と訴えた。

 1960年、フィデル・カストロは、アメリカ資本の石油関連産業を接収して国有化。一方でアメリカは、キューバへの経済封鎖を行う。
 1961年、ケネディ大統領がキューバ侵攻作戦を認可すると、カストロ革命政権の打倒を試みた”ピッグス湾事件”が勃発。ゲバラはカストロと共に反カストロ亡命キューバ人部隊を返り討ちにする。
 ここにて、カストロは社会主義革命を宣言し、キューバは共産党による一党独裁体制となる。こうしてキューバはソ連を中核とする社会主義陣営の一員となった。
 しかし、1962年10月に勃発した”キューバ危機”の後、国内の核ミサイル基地は解体&撤去され、ソ連の消極策に怒り狂ったカストロだが、フルシチョフにまんまと丸め込まれる。

 因みに、カストロやゲバラが核ミサイル配備の主要政策形成メンバーに入ってら、展開は大きく変わってた様にも思える。
 アメリカがキューバ危機を回避できたのは、少なくともゲバラがこの事件に関与してなかったからだ(と私は思う)。
 冒頭で述べた様に、もしカストロではなくゲバラがNo.1だったら、フルシチョフの独断を遮り、ケネディの思案を先読みし、核のボタンを押してた可能性は少なくない。
 アメリカがキューバの核ミサイル攻撃により、半壊していれば、西側の自由主義国はソ連に覆い尽くされ、理想の社会主義工業国家が出来上がってたかもしれない。


ゲバラの最期

 1964年、カストロに失望したゲバラは国連総会で”祖国か死か”という大国批判の名演説を行い、第三世界の社会主義化の先頭に立つ。しかしゲバラの工業化路線に対し、ソ連はキューバを砂糖生産優先を押しつけ、それを受け入れたカストロとの間に次第に意見の齟齬がみられる様になり、工業化も失敗した。
 また、アメリカの脅しに屈し、キューバ政府に相談もなくミサイルを撤去したソ連に対し、大きな不信感を持つ様になる。
 ゲバラはその後、ソ連を”帝国主義的搾取の共犯者だ”と非難し、”ソ連の支援が必要だ”とするカストロと対立。ソ連は、”ゲバラをキューバ首脳陣から外さなければ物資の援助を削減する”と脅迫した。
 1965年、”決別の手紙”を残してゲバラはキューバを出国。ゲバラが去った後、キューバは革命後約30年間にわたり、ソ連からの支援などに大きく依存した。

 ゲバラはキューバを去った後、”ゲリラ戦争による世界革命”を夢見てアフリカに渡り、コンゴ動乱に加わり革命政府軍を指導した。しかし、冷戦下の複雑なコンゴ動乱の政治対立に嫌気が刺したのか、キューバに戻る。
 一方でカストロは、1966年にソ連批判に転じていて、ゲバラとの関係も修復し、南米の革命根拠地作りの為、ゲバラをボリビアに派遣した。
 ボリビアに潜行したゲバラはゲリラ部隊を組織し、反政府活動を展開し、ボリビアのベトナム化をめざした。しかし、ゲリラ戦で米CIAをバックにした政府軍に応戦するも、カストロからの支援も滞り次第に孤立。
 1967年、CIAに秘密裏に捕らえられ、以下の言葉を残し、銃殺された(享年39歳)。
 ”撃て!臆病者めが!お前の目の前にいるのは英雄でも何でもない、ただの男だ”
 因みに、死亡の証拠として両手首を切り落とされ、遺体は無名のまま埋められた。

 1997年、ゲバラの遺骨はボリビアの埋葬場所から掘り出され、キューバにて国葬が行われた。
 ”20世紀で最も完璧な人間だった”というサルトルの言葉が、世界中に響き渡った瞬間でもある。
 ”すべての戦争を内乱へ”というゲバラのスローガンは、ベトナム戦争で大国アメリカを相手にベトコン(ベトナムゲリラ)が一歩も譲らずに闘っている最中であり、多くの学生を奮いたたせ、世界中の反戦闘士をも納得させた。
 しかし、そのゲバラがベトナム戦争の決着が見えないままに、CIAから秘密裏に抹殺されたというのも悲しい運命である。


ゲバラという人

 ゲバラは中高時代は読書に熱中した。生涯を通じ、もの凄い読書家だったが、ゲリラ部隊にもトロツキーなどを読み聞かせていた。
 青年期はボードレールとチリの詩人パブロ・ネルーダとシュペングラーの「西洋の没落」が大好きだったと友人に語ってる。
 秀才の誉れ高く、数学と考古学を最も得意とし、フロイト心理学や工学にも関心を持っていた。
 但し、かなりの放浪癖があり、それが後に革命家ゲバラを育む翼になっていったのも皮肉な運命ではある。

 日本を含む各国政府の“神殿”に、長髪にベレー帽、ヒゲに戦闘服のまま姿を表したゲバラの姿は世界中を沸かせた。まだ高校生の頃のジョン・レノンに、”あのころ世界で一番格好いいのがエルネスト・ゲバラだった”と言わしめた。
 革命後、カストロは農業改革に取り組んだが、ゲバラは経済政策と工業化を目指した。
 ゲバラ自身、服装は気にしないし、ヒゲは剃らない。美人には惚れるが、毎晩夜通しで朝6時まで仕事する、粗末なアパートに住み、贈り物は全て施設に提供する。
 どこでも戦闘服で通し、葉巻はどこでも燻らす。アメリカには徹底して文句をつけるが、インディオには優しい。
 誰もが惚れ込むのも無理はないし、こんな革命家は今までもこれから出てくる筈もない。
 お洒落に葉巻をふかすゲバラは、タフで無欠な”完璧な革命家”と思われがちだが、実はファッションには全く無頓着で、生涯”吸入器”を手離せない虚弱な”喘息持ち”でもあった。
 そんな彼が望んだのは、約束された”地位”すら捨て去り、”理想と共に生き、戦う人々と共に果てる”事だった。文字通り彼は、”自ら望んだ戦場”で最期を迎える。

 キューバ革命は”アカ”を目論んだ革命と見なされがちだが、”不当に抑圧された人民を救う”事のみの為の革命だった。
 生涯”個人的栄誉”には全く無関心だったし、人がここまで献身的で険しい選択をし、それを生涯貫くことができるのか・・・
 歴史は多くの革命家をもったが、いったん権力を手にした革命家が自らその地位を放棄し、困苦に満ちた新たな戦列に加わったという例はかつてない。

 キューバはその後ソ連の崩壊で一時経済危機に陥りるが、カストロの手腕により乗り切った。今や完全なる社会主義国で全国民平等の国。富裕層もいなければ極度の貧困層もいない。医療に関してもそれなりの技術を有し、教育費・医療費は無料である。
 つまり今のキューバは、革命家であり医師であったゲバラが目指した姿そのものである。
 一方で、今のロシアは社会主義というよりプーチンの独裁国家であり、中国も共産党の一党独裁である。
 民主主義の象徴のアメリカですら、ごく一部の金持ちの為の超のつく格差大国である。そういう我らが日本もアメリカの隷属国であり、自民党の独裁国家でもある。
 故に今の日本は、”普通に平等に貧しい”キューバを、チェ・ゲバラが理想とした質素な国家を目指すべきだろう。
 世界は、チェ・ゲバラというお手本がありながら、彼から何も学ぼうとしなかった。
 貧乏が怖いのか?質素な生活が恥ずかしいのか?民主主義という格差国家がそんなに理想的に美しく見えるのだろうか? 
 弱者の声に耳を貸さない国家の、何を信用すればいいのか?

 生活をするだけの生きていくだけの自由があれば、それで充分じゃないか。
 そういう事を、”20世紀最高の男”チェ・ゲバラは教えてくれた様な気がしてならない。

 以上、「チェ・ゲバラ伝」(三好徹 著)を参考に主観を混ぜて、纏めました。



4 コメント

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象が転んだ様へ。 (りくすけ)
2023-07-29 08:43:26
お邪魔します。

ゲバラの思い描く理想郷「質素な国家」。
これこそが、21世紀のあるべき姿ですね。
資源に乏しく国力に限りがある日本は、
世界のチェスプレイヤーにはなれません。
米中ロなどのプレイヤーに
正々堂々と意見具申できる強い大駒として
生きてゆくのが1つの道と思います。

今投稿を拝読し、拙ブログの過去投稿を思い出しました。
僭越ながらリンクを張ってみましたので、
お時間・ご都合許す時にでも
覗きに来てやってくださいませ。

では、また。
返信する
独立自尊 (平成エンタメ研究所)
2023-07-29 10:42:56
ゲバラがああいう生き方ができたのは権力者にならなかったからなんでしょうね。
カストロは結局ソ連に与し、現実路線を取らざるを得ない状態になりました。

現在は米中の覇権争い。
日本はアメリカに追従のようですが、両者を天秤にかけて国益を得ていく、したたかな政治家はいないようですね。

ウクライナ戦争におけるインドなんかは米露のどちらにも与せず、したたかにやっていますよね。

今、人民の味方のゲバラが生きていたら、どこの戦場に立っているのでしょうか?
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りくすけサン (象が転んだ)
2023-07-29 17:14:47
ゲバラの手紙
興味深く読ませて頂きました。

本当は言いたかった事が山ほどあったんでしょうが、敢えてそれらを伏せ、”祖国か死か”という1つの言葉だけで締めくくってます。
つまり、世界革命はゲバラが思う以上の理想郷であり、思う以上に残酷である事を伝えたかったんでしょうか。
そういうゲバラも、キューバ革命以降は失意と挫折の連続でした。
”祖国か死か”という言葉にはこうした無念の感情も強く刻まれてる様な気もします。

お陰でこちらこそ勉強になりました。
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エンタメさん (象が転んだ)
2023-07-29 17:17:47
言われる通り
ゲバラは庶民の視点で平行に平等に世界を均一に見つめ、革命を起こしました。
一方で権力者は上から視線で庶民を見下し、世界を支配しようとします。

特に、キューバ革命ではその後の世界革命の模範となる様な成功を収めますが、CIAという影の権力に殺されます。
アメリカは、ゲバラが本気になればアメリカを丸焦げにできると踏んでたんでしょうね。

かつて鄧小平が示唆した様に、高度成長を成し遂げた日本は米中両国を天秤にかけ、巧みに振る舞うべきでした。しかし、そんな頭脳明晰な政治家は現れませんでした。
その点、(数学に強い)インドは強かですね。
今ゲバラが生きてたら、彼が理想とする世界革命が実現できたかもしれませんね。
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