象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

多死社会のパラドクス〜親が死んでも火葬できない時代

2023年07月26日 11時51分22秒 | 独り言&愚痴

 もーいくつ寝るとお正月じゃなく、お盆の時期が来る。しかし、こうも暑いとお墓参りすら億劫になる。
 そういう私はお墓参りが嫌で、余程の事がないと出向く気になれない。というのも遺骨を納めてるお墓が隣町のド田舎にあるからだ。
 周りは全て田んぼで、これは30年程前からずっと変わらない。今のお墓は兄が死んだ時に建てたものだが、300万もの大金を掛けた割には、最近のコンパクトで個性ある洒落たお墓に比べると悲しくもなる。
 今年のお盆はど〜過ごそうかと思うだけで、私は鬱になる。遺骨もこのうだる様な暑さの中、お盆くらいは”エアコンの効いた涼しい所に移してくれ”のと叫びが聞こえそうでもある。


多死社会と遺骨

 7年前の熊本県の大水害でお墓に埋葬された多くの遺骨が洪水で流されたというニュースを見た時、人は死んでもなお自然災害に悩まされるのだろうかと、寂しい持ちになった。
 一方で、人は死んだら土に還るのが理想だから、遺骨が大水で流されたとしても、それはそれで自然の摂理なのかもって納得する自分がいる。
 そんな私だが、遺体ならともかく遺骨をお墓に埋葬する必要があるのかなと思う時がある。火葬場で遺体を遺灰にし、その一部を持ち帰ってお墓に埋葬する。つまり、不特定多数の大半の遺骨は何処かに埋められるのである。

 ”遺骨には意味はない”との、母の葬儀の時に世話になった坊さんの意見には賛成である。つまり、(強引な言い方をすれば)遺骨に意味がないのなら、遺骨を収めたお墓にも意味はない。お墓を冒涜する気もないが、お墓とともに流された遺骨は気の毒ではある。
 小さなコップ一杯ほどの遺灰なら、自宅の仏壇に納めても違和感もないだろう。万が一の事を考えると、”分骨”もアリだとは思う。
 そういう私は今、両親と兄の遺灰の分骨を検討中である。
 しかし、その為には遺灰が存在するという事は絶対条件であるのだが・・・

 因みに、去年1年間に国内で死亡した日本人は156万人余りと前年より9%(12万9105人)も増え、(統計を取り始めて以降)過去最多となった。
 これは平成元年の約2倍、この20年でも1.5倍に増え、更に今後も増え続け、2040年には約167万人に達する見込みだという。
 死因ごとでは、最多は”がん”で38万5787人と全体の24%。次いで”心疾患”が23万2879人(14%)、”老衰”が17万9524人(11%)などで、コロナ渦で死亡した人は4万7635人。
 こうした中、人口の多い都市部では亡くなった家族をすぐに火葬する事もできず、”12日間待った”という人も出ている。
 以下、「”多死社会”・・・火葬待ち12日間も」より一部抜粋です。


火葬が出来ない

 亡くなる人の数が増加する中、家族などを火葬するまでの期間がこれまでより長くなり、費用がかさむケースも出ている。
 神奈川県茅ヶ崎市に住む40代の女性は今年2月に、94歳の祖母を亡くした。高齢の両親に代わり、葬儀は行わず火葬場でお別れをする”直葬”のプランを選んだものの、火葬の予約が混雑し、一番早くても11日後になると言われた。更に、遺体の保管に掛かる料金として1日当り1万3千円で12日間で15万円以上が追加で掛かるという。
 他の自治体の火葬場も考えたが、移動料金などで費用の総額は変わらず、そのまま11日後に火葬して祖母を見送った。
 女性は”初めての経験で・・・”と驚きを隠せない。

 こうした中、火葬の急激な需要の増加に応えようと、川崎市にある冷蔵設備メーカーは、これまで主にコンビニ向けの冷蔵庫を手がけてたが、遺体を安置する冷蔵庫の去年の受注件数は4年前の2019年に比べて5倍に増え、今年は更に増えた。
 一方で、主に大都市部では、新たな火葬場の建設や改修などで、受け入れ件数を増やそうとする自治体もある。
 例えば、政令都市の中で最も人口が多い横浜市では昨年度、4か所ある市営の施設で3万4千件の火葬が行われたが、すぐに予約をとるのは難しく、平均して5日から6日程度待つという。故に、”縁起が悪い”とされる”友引”の日にも受け入れる案や火葬場の数を増やす対応を進めている。
 勿論それだけでは対応できず、3年後の運用開始を目指し、新たな火葬場建設の計画も進められている。

 一方、都市部では新たに建設するにも、用地や住民の合意を得る難しさから進まない自治体もある。お別れや収骨を短時間で終わらせるなど時間の制限を行う事で何とか対応してるという状況だ。
 しかし、景観のよい所にある施設を増やして施設のイメージを変えていくなど、できる工夫をしていく必要もある。
 今後、更に高齢化が進み、亡くなる人を家族だけで支える事ができないという問題や、増えていく死者を誰が弔うのかという問題が出てくる。人生をどう締めくくり、死後処理を誰に任せ、どうやるのかを元気なうちに決めておく事も大事だと思う・・・
 以上、NHK NEWS WEBからでした。


最後に

 こういう話を耳にすると、つくづく田舎に住んでてよかったと思う。
 私の母も丁度90歳で亡くなったが、葬儀は自宅で行った為に、(オプションを一切外した)安価な火葬式とは言え、実にスムーズにストレスなく事が運んだ。
 火葬場は新設で真新しく、母の遺族を含め僅か2件で、実質上の貸切状態であったし、ご丁寧すぎるほどの火葬式でもあった。唯一手間が掛かったのはお坊さんの手配くらいだが、それでもあっさりとしたもんだった。

 ”狭いニッポン、そんなに急いで火葬もできない”という笑うに笑えない状況にある。
 しかし、電柱が全国隅々に隈なく点在する為に、専用のチャーター機を借りて遺体を田舎に運ぶという事も出来ない。遺体冷蔵庫も1つの策ではあるが、衛生上問題がないとも言えないし、大きな火葬場を都心部に建設するプランもやはり無理がある。

 結局、残されたのは遺体を遠くに運ぶ事だけだが、今の日本の交通状況では色々と問題があるのだろう。
 1つの提案として、地方自治体が遺族に代って火葬式をするのはどうだろう。家族のいない高齢者が増える中、自治体が代わりに(火葬式の簡易版ではあるが)国葬いや市葬をする。もし、お墓がない場合は市が所有する共同墓地に遺灰する。
 つまり、葬儀を、いや人の死を商売にすべきではない。もっと言えば、商売と人の死をゴッチャにすべきではない。

 元々、葬式というのは(高く付きすぎる)自己満足や自慰行為に似ている。つまり、亡くなった人への同情や憐れみを誘引し、葬儀というイベントはド派手に膨らみ続ける。
 ”感動ポルノ”と言えばそれまでだが、一方で火葬という行為は必然の行為であり、情や欲とは無縁のものである筈だ。つまり、経済的理由で葬式は出来なくても、火葬は(どんな状況や事情があろうと)行われるべきである。
 故に、多くの地方自治体では、純粋な火葬だけなら数万円で行える。因みに柳川市は1万円だったか。

 高く付く葬式は出来ても、安く付く筈の火葬が出来ないという現代日本の”多死社会”が招く矛盾。
 このままでは狭いニッポンも、”人は火葬すらできず、ただ消えゆくのみ”という笑えない島国になるのだろうか。



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