ブログでも紹介した映画「スティルウォーター」は、アマンダ・ノックスの冤罪事件(2007)の実話から着想を得たと指摘されている。
警察はアマンダのルームメイトの女(カーチャー)を殺害したとして、当時20歳の女子大生の彼女と、その交際相手のラファエレを逮捕したが、2人にはアリバイが成立し、釈放される。そこで警察側が起訴した。
イタリア最高裁の判決は有罪から無罪へ、更に有罪となったかと思いきや、一転して無罪となる。
ここまで拗れてしまうと、誰が犯人なのかはどうでもよくなる。
つまり、検察側と弁護側で、この殺人事件は全くの別物にすり替えられてしまったのだ。
イタリアで裁判が始まったのは、事件から2年後の2009年の1月。判決は12月に出るとみられている。もし有罪なら、終身刑を言い渡される可能性が高いし、もし無罪なら、すぐにシアトル行きの便に飛び乗るだろう・・大勢のジャーナリストをお供に連れて。
だがたとえ刑を免れたとしても、ノックスのイメージはすっかり傷ついてる。彼女はもはや、世間からどう見られるかをコントロールする事はできない。
以下、まずは「集団セックス殺人の推定有罪」より一部抜粋です。
アマンダ・ノックスという女性
メディアではノックスは”天使の顔をした悪魔”として描かれる事もあれば、”どこにでもいるさわやかな女の子”だと伝えられる事もある。しかし報道は過熱し、(ゴシップ好きの)英国大衆紙は彼女の事を”性悪女”のように書き立てた。
確かに、ノックスにも問題はある。
着る服やメディアへの応対について批判される事もあり、バレンタインデーの公判に”愛こそすべて”と書かれたピンクのTシャツ姿で出廷し、法廷に入る度にカメラの前で微笑んでポーズを取ったりしてたからだ。
論告求刑で検察はノックスの事を”極悪非道で悪魔のような女だ”と述べ、”強い性的欲求から強姦と殺人に及んだ”と主張。長きに渡った公判の中で、検察側の証人はノックスの身だしなみや性生活、使っていた大人の玩具について証言を行なった。
ノックスが感情をあまり表に出さないと、メディアは”冷淡”だと報じ、逆にあらわにすれば”変人”扱いした。故郷シアトル時代の生活もほじくり返され、ペルージャにやってきた家族の行状も逐一、報道された。
一方で、ノックスの弁護団は最終弁論の大半をメディア批判に費やした。”彼女は世論という法廷で裁かれてきた。我々はそれをまともに取り合わない様にしてきたが”と、陪審員に向かって訴えた。
もっともノックスの両親は、アメリカのTVで(PR社と契約してメディアを煽り)娘の弁護をしてきたのだが・・・世論の戦いに勝つのは不可能である。
事実、イタリアに到着したノックスの両親は自分たちが名誉毀損罪で捜査対象になっている事を知らされた。英国の新聞に対し、”娘は警察に殴られた”と語った為で、ノックス自身は警官に殴打され”嘘の供述を強要された”と述べてるが、弁護団は警察の違法行為を申し立ててはいない。
つまり、ペルージャ警察が先手を打って(ノックスの両親を)告発した事は”殴打の事実を否定する”と共に、イタリア国民に対して”ノックスの供述が強要されたものではない”事を印象づけた。
イタリアの陪審員は、事件の報道やネットのブログを見る事を認められてるから、世論は裁判の行方に大きな影響を与えうる。巷でよく言われる”セックスに夢中な男好き”というノックス像は、親しい人々の言う彼女の人物像とはかけ離れている。
一方で、ノックスの元恋人で共犯とされるラファエルの弁護団は、”現実に押し潰されそうになって側転をする様な無邪気で単純な女の子だ”と擁護した。つまり、彼女を”(言葉も十分に分からない外国で)困難な状況に置かれた若い女性”として描きだそうとした。
更に弁護団は、彼女がかつての上司を犯人として名指しした(後に無実が判明)のは警察から”何か話をでっち上げろ”と強要されたからだと主張した。またノックスの犯行を示す証拠が殆どない点を指摘。捜査は最初から過ちを引きずっており、”彼女はその犠牲者だ”と述べた。
”真実を隠す事はできても、それを嘘で置き換える事はできない”との弁護団の言葉は検察側にも当てはまる。
残された最も大きな謎は、”なぜどのようにカーチャーが殺されたか”である。
検察側と弁護側の主張には大きな隔たりがあり、まるで違う事件の話を聞いているようだ。
が、判決がどうあれノックスは今後”刑を逃れた殺人者”か或いは、”混乱したイタリア司法の犠牲者”か、もしくは”罪の報いを受けたアメリカからの侵入者”か。
彼女は、いずれかの役割を演じなければならないだろうが、それらの役柄を選ぶ権利は認められていない。
以上、Newsweek(2009-12-3)からでした。
拗れた判決の行方
ここまで見て疑問に思うのは、ノックスがどんな女であろうが、明らかに2つのウソをつき、メディアやイタリア当局をナメきってたという事である。勿論、地元警察や検察側の彼女に対する対応は、批判されるべきものではあるが・・・
確かに、言われてる程の”性悪な女”でもないが、”シャブ中でSEX狂”であるのも事実であろうか。
でも、なぜここまで判決がもつれたのか?を考察していく。
以下、「無罪確定の理由」より一部抜粋です。
住んでいたアパートの寝室で、喉を切られ、半裸の状態で発見された英国人留学生のメレディス・カーチャー(当時21歳)だが、集団SEXを強要され、性的暴行の痕跡もあった。
そして4日後に逮捕されたのは、カーチャーのルームメイトであったシアトル出身のアマンダ・ノックス(20歳)と、彼女の恋人だったイタリア人のラファエル・ソレチト(23歳)だった。
食い違う証言、不可解な証拠、ゴシップ誌にまで格好のネタを提供するノックス自身や彼女の家族の言動・・・。イタリアでもアメリカでも盛んに報じられ、特にアメリカでは冤罪との見方も広まったが、09年12月、ノックスは懲役26年、ソレチトは懲役25年の実刑判決を受けた。
それがここに来て、逆転無罪だ。
イタリアの最高裁判所は、捜査に”明白な誤りがあった”として、ノックス(現在28歳)とソレチトに、無罪を言い渡した。つまり、2人のいずれも殺害と結びつく”生物学的痕跡が全くない事を検察が無視した”と最高裁は結論づけた。
これまでも、判決は二転三転した。約4年間の服役後、11年10月にはイタリアの控訴裁判所が証拠不十分としてノックスとソレチトに逆転無罪を言い渡す。しかし、14年1月に無罪判決は破棄され、禁固刑に。それが翌年の15年になり、再び逆転無罪が確定した。
今回、公表された判決理由書によれば、最高裁は幾つかのミスを指摘した。
例えば、捜査官が(新たな証拠が見つかってたかもしれない)ノックスとカーチャーのコンピュータを焼却した事、14年に再び有罪判決を下した控訴裁が、”証拠が汚染されてる”可能性を指摘した専門家のアドバイスを無視した事。更に、”各国メディアの過熱報道も捜査を急かす原因になった”と最高裁は結論づけている。
一方、カーチャー殺人に関与したとして、08年に(2人とは)別の簡易裁判で有罪判決を受けたルディ・H・グエデ(コートジボワール)は、今も16年の禁固刑に服している。判決当時、グエデは単独犯ではないとされたが、最高裁は、ノックとソレチトのいずれもグエデの”共犯だった事を検察は証明できていない”としている。
これも、Newsweek(2015-9-9)からでした。
ここまで2つのコラムを読んでも、正直スッキリとしない。
つまり、検察側が怪しいのなら、それと同じ理由で最高裁側も弁護団も怪しいのだから・・・
因みに、”証拠が汚染される”とは、検察側に有利になる様に証拠が偏る事で、”生物学的痕跡が全くない”とは、DNA断片の増幅が鑑定では明確に確認できなかった事を言うのだろう。
つまり、証拠不十分による”推定無罪”とも言える。が同時に、彼女が殺害に関与してないという明確な証拠もない。
それに仮に、前述のクエデが刑期を終えて、(何でアフリカ人のオレだけが実刑なんだと)真実を自白すれば、三度無罪判決が覆える可能性も無きにしもあらずである。
そこで、今回の無罪判決は真の意味でノックス自身にプラスに働いたのだろうか?
高く付きすぎた”無罪”という名の代償
”あの事件”の舞台であるイタリアを訪ねたアマンダ・ノックスを待ってたのは、容赦ないマスコミと人々の冷たい目だった。
2009年、セックス殺人魔との疑惑の目を向けられた起訴された(当時20歳の)冷たい美貌のノックスの去就に、世界中がクギ付けになる。
2011年に1度は無罪が確定し、アメリカに帰っていたノックスが2019年6月、釈放以来はじめてイタリアに戻った。だが複数の報道によれば、彼女のイタリア再訪は順調とは言えないようだ。
以下、「それでも消えない”集団セックス殺人魔”の汚名」より一部抜粋です。
彼女がわざわざイタリアを訪れたのは、冤罪防止に取り組む非営利組織「イノセンスプロジェクト」が主催する会議に出席する為だった。が、ノックスを待ってたのは血に飢えたメディアの反発だった。会議に現れた彼女はメディアのせいで”心に傷を負って”会場を去ってしまう。
ノックスは、メディア向けに以下の文章を既に発表していた。”自分が犯していない殺人の罪に問われ、検察側は私をセックス狂いの魔性の女に仕立て上げ、メディアは長年、酷く不当なストーリーを更にセンセーショナルに取り上げ、利益を得てきました”
しかし、イノセンスプロジェクト(フロリダ支部)のセス・ミラー事務局長は、彼女のイタリア再訪は”里帰りか、召集か、あるいは狂騒の何れかになるだろう”と予想していた。
2009年に懲役26年の実刑判決を受けたノックスは、一貫して無罪を主張し続けた。イタリアの刑務所に4年間服役した後、2015年に最高裁で無罪が確定した。それでも今回、彼女がイタリアに到着した後、カーチャーの遺族の弁護人は、彼女のイタリア訪問は”不適切だ”と非難。更に、”刑事司法に関する専門家討論会に彼女を招く事自体が誤りだ”と主張した。
既に31歳になったノックスだが、自分の汚れたイメージを変える為に、様々な活動を行ってきた。2013年に事件の回顧録「Waiting to be Heard」(私の言い分を聞いてもらえる日を待っている)を出版し、Netflixのドキュメンタリー映画「アマンダ・ノックス」(2016)に出演した。
更に、「真の犯罪についての真実」という番組でホストを務め、彼女に対するメディアの仕打ちを検証するシリーズ番組「スカーレットレター・リポート」ではリポーターを務めた。
以上、Newsweek(2019-6-18)からでした。
最後に〜スティルウォーターとシアトル
因みに、イタリアのモデナで刑法の専門家会議に出席したノックスだが、この時は流暢なイタリア語で話していた。
しかし、彼女の弁護団が”(言葉も十分に分からない外国で)困難な状況に置かれた・・”と主張したのはウソだったのか?それとも、アメリカに帰国してた間に、ペラペラになるまでイタリア語を習得したのか?
地獄の体験をしたイタリアの言葉を、そこまでして習得する必要があるのだろうか?
事実、涙ながらにして訴えた彼女の叫びは、(大方の予想通り)空砲に終わる。
女性の涙は、大げさな程にウソに思える時がある。つまり、泣き喚けば泣き喚く程に虚構の色合いが強くなる。
嘘つきのパラドクスでもないが、無実だと叫ぶ程にその矛盾は蒸し返され、主張の説得力は弱まっていく。
今回、イタリアを訪れ、改めて(推定)無罪の正当性とメディアや検察の不当な扱いを訴えた彼女だが、明らかに逆効果であった。
結局、彼女は被害者なのか?加害者なのか?
それを一番よく知ってるのは、彼女自身ではないだろうか。
「スティルウォーター」の膜引きのシーンでは、無罪判決で釈放された娘は”ここは変わらないね”と故郷を懐かしむが、娘を救い出した筈の父親は”いや全く変わってしまった”と悔やむ。
(推定無罪とは言え)アメリカに凱旋帰国した筈のアマンダ・ノックスだが、慣れ親しんだ故郷シアトルの風景を見て何と呟いたであろうか。
そして、両親は何と答えたであろうか。
少なくとも、彼女とその両親にとっては(彼女が無罪であろうがなかろうが)”全てを変えてしまった”事件となったのは事実である。
つまり、アマンダは変わってしまった運命を生き延びるしかないし、彼女を支え続けた両親も変わってしまった人生を全うする他ない。
やがて両親は他界し、彼女が頼りにしてた仲間も一人そして一人と消え去っていく。
勿論、イタリアの刑務所で無実を訴え続けるよりも、故郷のシアトルで完全潔白を訴え続ける方がずっと居心地はいい筈だ。
ただ一つ言える事は、どんな理由があろうとも(自著で反省はしてるが)興味本位でドラッグや乱交セックスに入り浸ってた事は、彼女の致命的な失態だった。
殺人事件に巻き込まれた事より、ずっと大きな過ちだったかもしれない。少なくとも、ルームメイトは巻き込むべきではなかった。
そういう意味では、推定無罪であろうがなかろうが、見えない罪を背負って生きていく事になるだろうか。
つまり、「スティルウォーター」はもう一人のアマンダを映し出してる様にも思える。
推定無罪では、何のスポーツだったかも忘れたのですが、稼ぎの良い黒人のスポーツ選手が白人の奥さんが浮気したとかで殺してしまったのに大金を積んで優秀な弁護士を使って殺人を無罪にした判決があったという話を読んだことを思い出しました。アメリカではよくある話らしいですね。
それに彼女は美人だったので、”SEX狂いの女”というイメージが定着したんでしょうね。
こういうケースはよくある事ですが、ビコさんの場合はSNSの悪い面が集中してるように思えます。
何気ない記事が誇大表示され拡散する。
それがいい面に行けば、トップブロガーになりうるし、悪い面に向かえば凶悪犯となる。
更に反論すればする程、悪者にされる。
しかし頭を切り替えれば、それだけ多くの人が興味と悪意を持ってビコさんの記事を読んでる訳ですから、ブログのテーマ(趣旨)を変える時期に来てるのかもです。
自分の事を書きすぎれば、誤解する人も多いでしょうし、私も自分の事を書きたがらないのは、反論された時に自分を否定されたような気になり、感情的になるからです。
全てはいい方向に考えて、悪い事が集中する時はいい事が起こる兆しかもですよ。
因みに、殺人が無罪になったのはOJシンプソン事件で、刑事裁判では無罪となったが、民事では殺人判決が下され、860万ドル近い賠償金を命じられました。
小難しい記事にコメント有り難うです。
そう言ってもらって少し気が軽くなりました。
転象さんは優しいですね。
ありがとうございました。m(__)m
シンプソン事件では、一応無罪になったけれど、多額の賠償金は払ったのですね。
しかし、お金で殺人事件が無罪にできるとは!
OJシンプソンですが、賠償金は払ってません(笑)。が、自身の告発本の出版権を遺族に譲ったそうで、これもアメリカ的です。
アメリカは戦争も政治も学歴も、そして幸せも判決も正義も全てがカネで動くんですよね。
アメリカって国は、そういう国なんですね。
ドライと言うか、現金というか。
逆に日本は湿気すぎかもですね。
プーチンも狂ってるけど
アメリカも既に狂ってる。
自由とか正義とか個人の権利とか、全てお金で買える国。
陰気臭い日本も捨てたもんじゃないかもです。