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およそ80年ぶり幻の蝶、ヒマラヤの貴婦人「ブータンシボリアゲハ」発見!

2011年10月30日 | 動物

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 幻のチョウ、日本調査隊が確認
 ヒマラヤ山脈にあるブータンの奥地で78年前に発見され、その後、一切の報告がなく「幻のチョウ」と呼ばれてきた大アゲハを、日本の研究者で作る調査隊が現地で確認した。調査にはNHKの取材班も同行し、世界で初めてテレビカメラでこのチョウが空を舞う姿を捉えることに成功した。

 このチョウは「ブータンシボリアゲハ」で、大人の手のひらほどの大きさがあり、羽に鮮やかな深紅の模様と3つの尾を持つのが特徴。78年前の1933年にヒマラヤ山脈にあるブータン東部の谷で発見され、その年と翌年に採集された5匹の標本がイギリスの大英自然史博物館に保管されているだけで、その後、一切の報告がなく、世界の研究者の間で「幻のチョウ」と呼ばれてきた。

 このチョウによく似た大アゲハを2年前、ブータン政府の森林保護官が見つけたという情報がごく限られた研究者に伝わり、日本蝶類学会が半年間の交渉の末、ブータン政府から特別許可を得て、ことし8月、初めて現地調査を行った。その結果、78年前に発見された場所とほぼ同じ標高2200メートルの山岳地帯の森の中で、ブータンシボリアゲハを確認した。

 調査にはNHKの取材班も同行し、世界で初めてテレビカメラで幻の蝶・ブータンシボリアゲハが空を舞う姿を捉えることに成功した。ブータンシボリアゲハは、こずえの間を優雅に舞ったり、グライダーのように滑空したり、森の中を自由に飛び回っていた。調査に参加した東京大学総合研究博物館の矢後勝也特任助教は「世界の蝶の中でも最大の謎とされてきただけに発見したときは興奮した。ブータン政府と協力して生態の解明に努め、アゲハチョウの進化の過程に迫りたい」と話していた。(NHK.news 2011年10月29日)

 異例の特別許可
 ブータンシボリアゲハ。それは世界中の蝶研究者、愛好家にとっては、その名前を聞いただけで興奮してしまうような幻の存在。78年前にイギリス人の探検家がブータン東部の深い谷で発見し、その年と翌年に採集された5匹の標本が大英自然史博物館に残るだけで、生態を含めてすべてが謎の蝶だ。蝶のようによく目立って人気の高い生き物で、これほどまで謎に包まれた種は世界でも他に類が無く、最後の大物と言われてきた。

 その幻の蝶が目撃されたらしい。驚くような情報が日本の研究者に入ってきたのは、去年のことだった。目撃したのはブータン人の森林保護官、場所は発見された場所と同じ谷。断片的な情報ながら、その確度は高いものと研究者は判断した。

 年が明けてから、日本蝶類学会はブータン当局と交渉に入った。目撃された場所はブータンの最東部。中国とインドが国境を巡って争っている地域に隣接し、軍事上の理由から外国人の立ち入りを厳しく禁じている。交渉は難航しましたが、ブータン側も調査の重要性を認め、異例の特別許可が下りたのだ。私たちNHK取材班も調査隊に同行を許された。この閉ざされた谷の奥にテレビカメラが入るのは世界初のことである。(NHKかぶんブログ)

 日本人蝶研究家
 ブータン政府が許可を出したその陰には、ある1人の偉大な日本人蝶研究家の業績があった。五十嵐邁(いがらし・すぐる)さん。大手建設会社の取締役までなった企業戦士の傍ら、趣味の蝶の研究では京都大学から理学博士号を授与されるほどの研究家でした。

 五十嵐氏は特にアゲハチョウの仲間の専門で、卵から成虫までのライフサイクルを解明し、克明に記録した。中でも23年をかけて挑んだ、アゲハチョウの「皇帝」と称されるインドのテングアゲハの生態解明は世界を驚かせた。五十嵐氏をよく知る、大英自然史博物館の元昆虫研究部長ベン・ライト博士は、「五十嵐氏の業績は20世紀の蝶の研究の中でも最も優れたものだ」と賞賛する。 

 ブータン政府は豊かな生態系を代表する蝶を保護していくためには、基礎的な研究が不可欠と考えているものの、国内にそうした専門家が乏しいことから、五十嵐氏をはじめとする日本の研究者の功績を認め、共同調査をすることになったのである。今回の調査隊は大学や研究機関の研究者や、アマチュアの研究者、プロの昆虫カメラマンなど6人。その業績はそれぞれ一流のツワモノ揃い。(NHKかぶんブログ)

 悪戦苦闘の旅 
 8月上旬。調査隊はブータンに入った。いよいよ東の国境地帯へ500キロの旅が始まった。まず、首都ティンプーからブータンを横断する幹線道路は1本だけ。それも道幅は狭く、場所によっては断崖絶壁が延々と続く。高所恐怖症の方はちょっと耐えられないかもしれない。折しも雨期の真っ只中。山々には深い霧が立ち込め、3000メートルの峠をいくつも越えて車は東を目指す。 

 道中は尾の長いサル、グレーラングールに歓迎されたり、道の真ん中を堂々と歩く巨大な牛に出くわした。首都を出てから一週間。目指す谷の入り口に着く。ここからは歩きだ。ポーターと馬に荷物を運んでもらうキャラバンが始まった。出発した時に良かった天気は途中で崩れ、雨の中をひたすら歩き続ける。足元はぬかるんでどろどろ。牛糞と馬糞と泥が混じって、もう訳の分からなくなった道を黙々と歩いていく。

 川沿いを緩やかに登っていく道は、最後で一気に100メートル以上も標高差を稼ぐ急登になる。吸血ヒルがやたら多く、取材班の森山カメラマンは背中をやられてTシャツが真っ赤に染まった。調査隊の原田基弘隊長にいたっては、何と血を吸ってカブトムシくらいに巨大化したヒルが、ベースキャンプで着替えている時にコロンと腰から落ちる始末。

そんな悪戦苦闘の末、ようやく辿り着いた小さな集落の一軒家を借り、一週間の調査がいよいよ始まる。NHKの番組を見ている私たちには、タシヤンツェ渓谷の美しい濃い緑の森を背景に、色とりどりの蝶の舞う姿を見ると、まるで桃源郷にいるかのような錯覚に陥り、見ているだけで癒されてしまったが、実際の調査隊の苦労は大変なものであった。(NHKかぶんブログ)

 生態解明への挑戦
 8月12日。本格的な調査を開始する初日の朝は、一晩中降り続いた雨が上がり、青空が覗きました。一気に気温が上昇し、森の緑が輝きを増しました。そんな素晴らしい朝のことでした。調査隊の一人が叫ぶ声が響き、一気に緊張が高まった。ベースキャンプのすぐ脇の森に、大きな黒いチョウが現われたのだ。調査隊はその日のうちに「ヒマラヤの貴婦人」ブータンシボリアゲハを確認することができた。

 ブータンシボリアゲハの成虫を確認できた調査隊が目指したのがその生態の解明であった。しかし野外で卵や幼虫、蛹を探すのは簡単なことではなかった。すでに生態の解明されているアゲハチョウを、ミカンやカラタチの木から探すのにも多少の熟練は必要。まして今回のターゲットは80年間記録が途絶えた何一つ生態が分かっていない蝶なのだ。

 調査2日目以降、ブータンシボリアゲハの姿はほとんど見られなくなっていた。個体数が少なければますます生態の解明は難しくなる。どこかに集まっているポイントがあるはず。隊員はベースキャンプからバラバラに散らばって、ブータンシボリアゲハの姿を追い求めた。そしてついに3日目の午後、調査隊の一人が、ブータンシボリアゲハが群れ飛ぶポイントを見つけたのだ。

4日目、調査隊はそのポイントに入った。確かにそこには多くのブータンシボリアゲハが優雅に舞っていたのだ。(NHKかぶんブログ)

 蝶の産卵場所を発見
 調査は過酷な環境の中で行われた。一日のうちに目まぐるしく変わる天気。木という木にはびっしりとコケが生え、この場所がいかに空中湿度の高い場所かを物語っていた。急斜面には岩がゴロゴロしていて、迂闊に浮き石に足を乗せると転倒してしまう。さらに足元の藪にも、頭上の枝にも、巨大な吸血ヒルが大量に待ち受けている。

 調査隊はそうした中で果敢に生態の解明に挑んだ。隊長の原田さんはもう成虫を採集することはしない。ひたすら、成虫の行動を追いかける。69歳(調査当時、現在は70歳)とはとても思えないスピードで急斜面を登り、藪に飛び込み、木に登ってブータンシボリアゲハの行動を追う。その結果、原田さんは成虫が集まる場所の一角でいくつもの交尾個体を見つけた。

 なぜこの場所にオスもメスも集まるのか。この場所で原田さんは「ウマノスズクサ」という重要な発見をする。多くのアゲハチョウの幼虫が好んで食べるつる草である。原田さんはこの草が高い密度で繁った場所を見つけ、ここがブータンシボリアゲハの発生場所に違いないと考えた。

 調査の結果、ウマノスズクサという日本でもよく見られる、蔓性の植物の葉に卵を産むというのがわかった。ウマノスズクサは日本では、関東以南の日当たりのよいところに、程よく草刈がされた里山や河川敷に生えている。つまり、人の手の加わったところによく生育する。

 タシヤンツェ渓谷にも人々は生活しており、冬場に暖をとる、薪づくりのために夏場に木を切る。しかし、切りすぎることはしない。切り開いて、日当たりの良い場所にウマノスズクサはよく繁殖する。幻の蝶、ブータンシボリアゲハは、何と人里の近くに生活する蝶であったのだ。(NHKかぶんブログ 2011年10月30日)
 
参考HP Wikipedia NHKスペシャル 秘境ブータン、幻の蝶を追う 
NHKかぶんブログ
ヒマラヤの貴婦人ブータンシボリアゲハ謁見記(2) 

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密猟され続ける大型哺乳類とは?ベトナムのジャワサイついに絶滅!

2011年10月30日 | 環境問題

科学大好き!アイラブサイエンス!最近気になる科学の疑問を、やさしく解説!毎日3分読むだけで、みるみる科学がわかる!


 ベトナムのジャワサイが絶滅
 2010年12月、佐賀県から鹿児島県にかけての九州西部で、地元では普通種のアカエイとともに漁獲され、煮付けなどにしておいしく食べていたエイが、実は新種のアリアケアカエイであることが判明した。これほど大きな魚が、新種と知らずに食べられ続けていたことは驚きである。

 一方、絶滅が予想される大型の哺乳類がいる。それは何だろう?2011年10月25日、ベトナムに生存していた最後のジャワサイが密漁で殺され、ベトナムに生息するジャワサイが滅亡したことを、世界自然保護基金(WWF)が発表した。これでアジア大陸からジャワサイは姿を消し、生き残っているジャワサイはインドネシア・ジャワ島西部の50頭だけになった。

 ジャワサイの絶滅を防ぐため、ベトナム政府は1992年に保護区を設け、さらにこの保護区をカティエン国立公園に併合して、生息域の保全を図っていた。WWFもベトナム政府に協力して保護活動が進められたが、2004年にカナダのクイーンズ大学が調査したところ、2頭の生存が確認されただけと状況はさらに悪化していた。

 その後、WWFの調査で2010年4月までにジャワサイの足跡と22のふんが確認されていた。しかし、今年4月にカティエン国立公園内でジャワサイ1頭の死体が見つかり、遺伝子調査の結果、見つかっていたふん全てがこのジャワサイのもであることが分かった。サイは角を狙った密漁の対象になっており、このジャワサイも角は切り取られ、脚の骨から銃弾が見つかっている。2010年までに確認されていたふんからはこのサイ以外の遺伝子は見つかってなく、殺されたのはベトナムで生き残っていた最後のジャワサイとWWFは判断した。

 スマトラ島とボルネオ島の熱帯林に生き残っているスマトラサイの生息数も、推定で300頭余と厳しい状況にある。(サイエンスポータル 2011年10月26日)

 ジャワサイとは?
 ジャワサイ(Rhinoceros sondaicus)は、動物界脊索動物門哺乳綱ウマ目(奇蹄目)サイ科に分類されるサイ。体長300-320センチメートル。尾長70センチメートル。肩高160-175センチメートル。体重1,500-2,000キログラム。体形はやや細い。皮膚には明瞭ではないものの、鎧状の皺がある。体色は灰色。頭部は小型。角は1本のみで、角長25センチメートル。四肢はやや長い。メスは角がない個体が多い。

  主に低地の熱帯雨林に生息し、河川や沼を好む。単独で生活することが多い。1日に15-20kmもの距離を移動することもあるが、一定の地域内でのみ活動することが多い。食性は植物食で、木の枝や樹皮、木の葉、芽、果実などを食べる。繁殖形態は胎生。46-48日の間隔で発情すると考えられている。妊娠期間は16か月。1回に1頭の幼獣を産む。授乳期間は1-2年。オスは生後6年、メスは生後3-4年で性成熟する。

 ジャワサイはかつて、インドシナ半島およびスマトラ島、ジャワ島の熱帯林に生息していた。しかし、森林の消失と、薬の原料として中国や東南アジアで珍重される角を狙った密猟により減少。スマトラ島およびインドシナ半島の大半のエリアでは、絶滅した。この中でわずかに生き残っていたのが、インドネシア・ジャワ島西部のウジュンクーロン国立公園と、ベトナムのカティエン国立公園の2カ所の保護区。

 ジャワサイは地球上で最も数が少ない大型獣として知られており、1967年から1968年に行われた調査では生息数が 25 頭まで減少したとされた。このうち、ベトナムの個体群はとりわけ数が少なく、1988年までは絶滅したとも言われていた。その後、確かな生存の情報が確認され、1992年にベトナム政府はサイの保護区を設立。後にこの保護区は、より大規模なカティエン国立公園に併合され、広く生息域の保全が図られることになった。

 迫る絶滅の足音
 WWF も1998年からベトナム政府に協力し「カティエン国立公園保護プロジェクト」を展開。翌年5月には、自動カメラを使った調査で、インドシナ半島に生き残るジャワサイの写真を、世界で初めて撮影することに成功していた。しかし、こうした一連の調査の結果、ベトナムのジャワサイの推定個体数は、わずかに8頭前後であることがわかり、まさに絶滅寸前の危機にあることが明らかになった。

 現地での保護活動自体も難航した。5年にわたるベトナム政府との「カティエン国立公園保護プロジェクト」は、一定の成果を挙げたものの、その終了後は、燃料用の薪や狩りを目的に、人が公園内に入り込んだり、保護区自体も農地開発に圧されて縮小されるなど、現地の活動が停滞。

2004年にカナダのクイーンズ大学が調査した際には、少なくとも2頭の生存が確認されていたが、生息数についても、精度の高い情報が得られない状況が続いた。

2009年にWWFは再びカティエンで訓練された犬を使った調査を開始、2010年4月までに22の糞のサンプルを入手した。また、足跡の調査も行ない、ジャワサイの生存を確認していた。

ところが、この足跡は2月上旬を最後に、見られなくなった。4月、公園内で一頭のジャワサイの死体が見つかった。角は切り取られ、脚の骨からは銃弾が見つかった。

WWFが、このサイと採集した糞の遺伝子を調べたところ、全て同じであることが分かった。調査では、他の遺伝子を持つ糞は見つかっていない。おそらくベトナム最後の、またアジア大陸最後の個体であろうジャワサイは、密猟の犠牲になった。

 サイ5種は、すべて絶滅危惧種
 サイはゾウに次ぐ大型の陸棲哺乳類であり、最大の種であるシロサイは体長4m、体重2.3tに達する(最大で3.6tという記録がある)。巨体に似合わず最高時速50kmで走ると言われる。サイの皮膚は非常に分厚く硬質で、体全体を鎧のように覆っている。その皮膚はあらゆる動物の中でも最硬といわれ、肉食獣の爪や牙を容易には通さない。加えて成獣は大きな体躯を持つことにより、肉食獣に襲われて捕食されることは少ない。しかし1985年から1995年の間にインドのカジランガ国立公園において行われた調査では、インドサイのトラによる捕食が密猟に次ぐ脅威になっているとの報告がある。

 頭部には1本または2本の硬い角を持つ。これはほとんどの動物に共通して言えることだが、角の主な用途は敵に対する攻撃や防御ではなく、サイ同士が角をぶつけ合って、個体の優劣を決めるためのものである。成分を見ると角は骨ではなく、むしろ人間の髪の毛や爪に近い。表面から中心部までの全体が、体毛や蹄と同じく、皮膚の死んだ表皮細胞がケラチンで満たされてできた角質で構成されている。そのためウシなどの角とは違い、折れても時間が経てば再生される。動物園では飼育員の安全のため(主な用途が外敵排除でないとはいえ、暴れると角を振り回すことがあり、ぶつけられると死傷も在りうる)、野生および保護区では角を目当てとした密猟防止のために、意図的に角を切り落とすこともある。

 目は小さく視力は弱いが、鋭い嗅覚と聴覚をもつ。夜行性であり、草や葉を主食とする。基本的に単独で生活するが、草原で生息するシロサイは小さな群れをつくることがある。雄は通常、縄張りを持ち、尿でマーキングすることで縄張りを主張する。火を見ると消す習性があるものがいるために「森の消防士」とも呼ばれる。現生のサイは5種で、そのいずれもが絶滅の危機に瀕している。生息数減少の主な原因は人間による乱獲であり、現在でも角を目当てにした密猟が絶えない。

 角は工芸品や漢方薬の材料として珍重され(もっとも角に薬としての効用は実はほとんどない)乱獲が進んでいる。サイ科の5種すべてが絶滅の危機にあり、ジャワサイ、クロサイ、スマトラサイの3種が絶滅危惧 IA 類に指定されている。(Wkipedia)

参考HP Wikipedia サイ WWFジャパン ベトナムのジャワサイが絶滅

NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2009年 01月号 [雑誌]
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日経ナショナルジオグラフィック社
動物地球遺産 ~絶滅危惧種・珍獣たちのビジュアル博物館~
クリエーター情報なし
シンフォレスト

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