マンションに住んでいた頃、いろんなものを作っていた、室内で。手道具少々。電動工具はマルノコ、ドリル、サンダーくらい。どれもホームセンターで買った安物だ。丸ノコ1本でタンス、ベッド、間仕切り、机、カウンター、本箱などを作った。主に垂木とベニヤとラワンで作っていた。そういえば最近ラワンを見なくなった。3連洋服ダンスの骨は垂木で、周りはベニヤのフラッシュ構造(無垢板でなく枠を作りベニヤを張った、いわゆる太鼓張りの家具=カラーボックスなどに見られる構造だ、実はほとんどの家具はこの構造)。扉は6枚粘着塩化ビニールシートのホワイトを張り、アルミの丸い小さな取っ手を付けた。裏にベニヤを張ってないのでドアを開けると扉がぶよんぶよんした。いわば半フラッシュ、本箱はラワンで。今は屋根裏で棚になってる。相欠きしているのでノミも1本くらいあったかもしれない。TVラックは15mmベニヤ2枚を貼り合わせ30mmの板を作った。クランプが無く本を重しにしていた。木口は薄いドウブチで隠している。三連TVラックで幅は3.1メートル。色はダークグレイ。マスクもせず砥の粉にペーパーをかけ続けたので、涙の下水が詰まり、1年間右目だけから涙がこぼれ落ちたこともあった。原因不明の中、眼科で治療中化石化した砥の粉の固まりが口の中に落下し完治した。作業中はマスクしましょう。
買った家具はソファと靴箱くらい。自作家具は全てペンキで塗り、色はグレーか黒。グレーは白を基本に黒と茶、青などを混ぜる。なかなか思った色にはならないが、マンションには茶色(木目調のプラ)の家具が合わないからしかたない。ゆめゆめ木工しているなどとは思ってなかった。あくまで工作だった。今から思えばマルノコの使い方さえ知らず、木工の知識などほとんどなかった。家人の評は平行四辺形。メジャーはコンベックス(引出式スケール)だけしか持っていなかったし、工夫することなど考えもつかなかった。引っ越しで、ほとんど捨てた。安い材料と稚拙な出来で、晴れ晴れとした。家を新築、少しは家具も買えるようになった。ほとんどの家具を新調した。
木工を知ったのは数年前から。インターネット接続がISDNから光に変わってからだ。それまでホームページもあまり見ることがなかったが、さすが光は速い。さまざまなホームページを検索する中で、木工の世界の賑わいを知った。どの世界もそうだが、知識が増えるにしたがってさらに奥深さが分かる。自分が何も知らなかったことを知る。知識とは自分が何も知らない、ということを知ることだ。
木工のホームページはどれも親切で的確で分かりやすく、質問までできる。プロの工房もノウハウを惜しげもなく教えてくれている。こんないい時代が来るなど想像さえできなかった。「これが木工か~!、素人でここまでできるのか~!、板は接ぐのか!、矩(かね)!、框(かまち)組み!、仕口!、追入れ!、シーズニング!、吸い付き蟻桟!、鎬(しのぎ)!、千切り!、留め!、木裏!、木殺し!、下端定規!、裏押し!、ビスケットジョインター!、仕込み等々」。初めて知った木工の別世界だった。素人木工家の作った写真、家具職人に匹敵する作品に見えた。そのころオークションも知った。宝の山だった。まずマキタの電子マルノコを買った。コードの補修あとがあり安かった。修理できると思った。次々道具が揃うことが快感となる。道具フェチだったんだ。安い道具だが、なくてはならない。インフラ(作業環境)の整備が作るものより優先する。道具は美しく、しかも便利。
さて木工だが、未だに技術は無いのであまり凝ったものは出来ない。基本は、ビスケットのイモ接ぎかビス止め、最近アリも少々掘れるようになった。材料はホームセンターで買えるものに限られるが、送料をいとはなければさまざまな材をオークションでも買える。ホームセンターは建築資材が中心で木工資材は少ない。不満だ。家の外のものは2×4材、内はタモ、パインなど集成材で作るということになる。黒く塗れば材質までは分からない。デザインはシンプルなものに限られる。塗料はカシュー黒かオイル。刷毛で塗る。ステイン系はむらになるし、ウレタン系は扱いにくい。塗装も勉強中。ウレタンの厚塗り塗料のデモをYouTubeで見た。簡単そうだった。いかにも濃厚そうな液を一気にテーブルの上に流し込む。ヘラで延ばし重力で均等の厚さになるらしい。
我が家はセキスイの軽量鉄骨、プレハブなので重厚な家具、カントリー家具は似合わない。作る場合も買う場合も、色がシックで実用的、シンプルなデザインしか受け付けない。家具に主張してもらいたくない。値段が安いことが第一だ。そこで自作の余地が生まれる。耐久性や材質は問題にしないが、デザインは必要。現在はいけてる家具を随所で見かける。安い家具も多い。作るより安い場合もある。作る意味が薄らぐ。後は寸法だけだ。