閑(ひま)じぃのブログ by 閑斎

趣味の紙紐細工創りとその時々の歌、旅の紹介です。遠方には行かなくなり近くで楽しい仲間との歌を楽しんでいます。

「誰もいない海」

2019-09-04 08:52:02 | 今日の歌
今日は、お客様と一緒に唄う「このゆびと~まれ」の会でした。
力一杯、いい歌声でした。

 
「誰もいない海」 Youtune にトワ・エ・モワの歌声がありました。
2017/10/23 に公開
 

作詞:山口洋子、作曲:内藤法美、唄:トワ・エ・モワ

1 今はもう秋 誰もいない海
  知らん顔して 人がゆきすぎても
  私は忘れない 海に約束したから
  つらくても つらくても 死にはしないと

2 今はもう秋 誰もいない海
  たった一つの 夢が破れても
  私は忘れない 砂に約束したから
  淋しくても 淋しくても 死にはしないと

3 今はもう秋 誰もいない海
  いとしい面影 帰らなくても
  私は忘れない 空に約束したから
  一人でも 一人でも 死にはしないと

  一人でも 一人でも 死にはしないと
  ルルルールルルル……


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5 コメント

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解説の紹介です。 (閑斉)
2019-09-04 20:33:24
昭和45年(1970)に、トワ・エ・モワ(山室英美子と芥川澄夫)の歌でヒットしました。
トワ・エ・モワは昭和44年(1969)、『或る日突然』でデビュー、その後『空よ』『誰もいない海』『初恋の人に似ている』『虹と雪のバラード』などのヒットを飛ばしました。
昭和48年(1973)、山室英美子はソロに転じ、芥川澄夫は音楽プロデュースの世界に活動の場を変えました。
山室英美子は昭和50年(1975)、結婚して白鳥姓となり、夫とともに渡米。
ユニット結成から30年目の平成11年(1999)から、それぞれの活動と並行して、トワ・エ・モワとしての活動も行うようになりました。
作詞者の山口洋子は現代詩畑の詩人で、『よこはま・たそがれ』など数多くのヒット曲を作詞した山口洋子とは別人。

<二木紘三のうた物語>に解説がありました。
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_10be.html


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良い歌ばかりですね (あきマド)
2019-09-05 08:59:59
 良い曲ばかりで特に御婦人方に喜ばれたのではないかと思います。
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あきマドさんへ (閑斉)
2019-09-05 09:24:30
そうなんですね。
皆さん、力一杯唄ってくれていました。
先生の選曲がよいと盛り上がりも違います。
おかえりの時の「今日の日はさようなら」では、なかなか帰っていただけなかったりでした。
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Unknown (山野あけび)
2019-09-15 13:36:00
閑斎さん、「このゆびと~まれ」楽しかったね。超酷暑の季節にお客さん、たくさん来てくださってうれしかったね。ホールはエコ設計の建物というけれど冷房なしではやはり暑かった。うちわを隠し持って、先生が客席を向いているときにささっと顔などあおいでしまった(秘密です)。「誰もいない海」本当にまぁ深刻な悲しい歌なのね。とくに「たったひとつの夢が破れても」にはジーンときます。どんなにつらいことでしょうね。わたしはわりとこういう雰囲気が好きで・・・「わくらばを~」という歌があるでしょ?確かあのなかにも「ささやかな望み破れて~」という箇所があるでしよ? そこだけ覚えていて勝手にジーンとしています。 自己分析してもなぜなのか分かりません。「たったひとつの夢」など持ったことないし・・・あ、そうか、そういうひたむきさに憧れるのかな?破れたら死んでしまうかもしれないほどの夢、そういうものと無縁にぼんやりと生きてしまったからなぁ・・・とぶり返した残暑の日、PCに向かって思いを巡らしておりまする。閑斎さんはラグビーの話題で嬉しい毎日じゃありませんか?
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「川は流れる」でしたね。 (閑斉)
2019-09-15 14:25:30
幸せが巡ってこない人がそのことに不満を抱かず、淡々と生きている姿が浮かびますね。
ひょっとしたら、不幸せとも思っていないのかも知れません。
こういう人は強いでしょうね。

今日は、また、暑くなってきました。
そろそろ水曜日の予習をしないといけませんね。
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