とうとう、京から18宿目になり三分の一の旅程を越えました。
藤川宿というのは、現在の岡崎市藤川町ということです。
街道を挟んで奥に榜示杭、手前に高札場の屋根が描かれていて、藤川宿の
入口のようです。
宿場の入り口に宿場役人らしいのが土下座しているのですが、隣同士でお
しゃべりをいしいます。
広重の絵のユーモアに、端っこ尾に子犬が3匹じゃれている様子が描かれ
ています。紙紐では、なかなか表現が難しいところです。
行列は、幕府が毎年8月に朝廷に献上する八朔の御馬進献と言われています。

五十三次の「次」がどのような意味か解説がありました。
宿駅伝馬制度というのがあって、街道沿いに宿場を設け、公用の旅人や
物資の輸送は無料で次の宿駅まで送り継ぐという制度とあります。
輸送のために必要な人馬は、宿場が提供するというものでした。
原画はこちらです。

藤川宿というのは、現在の岡崎市藤川町ということです。
街道を挟んで奥に榜示杭、手前に高札場の屋根が描かれていて、藤川宿の
入口のようです。
宿場の入り口に宿場役人らしいのが土下座しているのですが、隣同士でお
しゃべりをいしいます。
広重の絵のユーモアに、端っこ尾に子犬が3匹じゃれている様子が描かれ
ています。紙紐では、なかなか表現が難しいところです。
行列は、幕府が毎年8月に朝廷に献上する八朔の御馬進献と言われています。

五十三次の「次」がどのような意味か解説がありました。
宿駅伝馬制度というのがあって、街道沿いに宿場を設け、公用の旅人や
物資の輸送は無料で次の宿駅まで送り継ぐという制度とあります。
輸送のために必要な人馬は、宿場が提供するというものでした。
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