今日は、「ホワイトデー」。
妻は私からと娘婿からのお返しでうれしそうでした。
左側が私からのです。
昨年で私の生命保険の年齢期限が来たのですが、一昨日に配当金の通知が
ありました。それで、きのう、ホワイトデーの前祝にちょっと高級な寿司どころに
行きました。私もちょっと贅沢をしました。
少し距離があり、私は先発で歩き、妻は自転車で来て、ちょうど店の前で落ち合え
ました。
帰りに日曜版を買ってきのうのルーティンは完了です。
美味しかったです。歩数も、往復6,654歩で満足です。
今朝は暖かく、室内で20℃もあって今年初めて暖房なしです。
外は、すごい風が吹いていましたね。雨の朝です。
以下はネットにあった長い長い解説です。
ホワイトデー(3月14日 記念日) | 今日は何の日 | 雑学ネタ帳 (zatsuneta.com)
2月14日の「バレンタインデー」にチョコレートなどを贈られた男性が、返礼のプ
レゼントをする日。
バレンタインデーのチョコレートに対して、キャンデーやマシュマロ、ホワイト
チョコレートなどをお返しするのが一般的になっている。
ホワイトデー(全飴協説)について
日本でバレンタインデーが定着するに従って、若い世代の間でそれにお返しを
しようという風潮が生まれた。これを受けたお菓子業界では昭和40年代に入って
から、個々に独自の日を定めて、マシュマロやクッキー、キャンデーなどを
「お返しの贈り物」として宣伝販売するようになった。
この動きをキャンデーの販売促進に結びつけ、全国飴菓子工業協同組合(全飴協)
関東地区部会がホワイトデーとして催事化した。そして、1978年(昭和53年)に
全飴協の総会で「キャンデーを贈る日」として制定され、2年の準備期間を経て
1980年(昭和55年)に第1回の「ホワイトデー」が開催された。
ホワイトデーを3月14日に定めたのは、西暦269年2月14日、兵士の自由結婚禁止
政策に背いて結婚しようとした男女を救うためにバレンタイン司教が殉教したが、
その1ヵ月後の3月14日に、その2人は改めて永遠の愛を誓い合ったとされている
ことや、古事記および日本書紀で日本において初めて飴が製造されたとされる
日が3月14日前後とされていることに由来する。
リンク:ホワイトデー公式サイト
ホワイトデーの起源については諸説あり、上記の「全飴協説」のほかに、「不二家・
エイワ説」「石村萬盛堂説」がある。
不二家・エイワ説について
洋菓子や菓子類を製造・販売する株式会社不二家は「リターン・バレンタイン」と
いう名称でバレンタインデーのお返し用菓子類の宣伝販売を行うようになり、
1973年(昭和48年)にマシュマロを中心とした菓子を製造・販売する株式会社
エイワと協力して3月14日にマシュマロを販売するキャンペーンを開始した。
エイワのハートマシュマロ
石村萬盛堂説について
株式会社石村萬盛堂は、1905年(明治38年)に創業し、福岡県福岡市博多区に
本社を置く製菓業者で、黄身餡をくるんだ白いマシュマロ菓子の「鶴乃子」などの
和菓子を販売する老舗菓子屋「石村萬盛堂」のほか、「ボンサンク」のブランドで
洋菓子を製造・販売している。
三代目社長・石村善悟は、1977年(昭和52年)にバレンタインデーのお返しに
せめてマシュマロでも渡してほしい旨の文章が少女雑誌に掲載されているのを
目にした。石村萬盛堂はこの文章に触発され、バレンタインデーの返礼として
マシュマロを渡す日を創設し、返礼用マシュマロ菓子として「バレンタインデーに
君からもらったチョコレートを僕の優しさ(マシュマロ)で包んでお返しするよ」と
いうコンセプトで、黄身餡の代わりにチョコレートをくるんだマシュマロを売り出す
こととした。
この「マシュマロデー」は、福岡随一の百貨店であった岩田屋(現:岩田屋三越)の
アドバイスで、当時大型のイベントが無かった時期に当たる3月14日に設定され、
1978年(昭和53年)3月14日からキャンペーンが開始された。後に、他業界にも
このキャンペーンを拡張するため、1980年代に百貨店側からの申し出により
名称を「ホワイトデー」に変更した。
一般社団法人・日本記念日協会には「ホワイト・デー」の名称で、石村萬盛堂が
制定した記念日として登録されている。また、石村萬盛堂は同協会より第11号
「記念日文化功労賞」を受賞している。
こちらから、失礼します。
さきほど私のブログにコメントしていただいたものを、間違って削除してしまったのか、見あたらなくなってしまったので、こちらからお返事させていただきます。間違っていたら、スミマセン。
「一生に一度飲むだごけで脳卒中で絶対に倒れない」という飲み物のレシピのアドレスを教えていただいていたと思います。
検索してみました。
貴重な情報、ありがとうございます。😊💕