沼田さんは、猫がゴロゴロと喉を鳴らす音を「猫鳴り」と書いている。
迷い猫「モン」と暮らした日々を三部に分けている。
いつも胸の奥深くにある、確かに一人の分身と思える自分の心、それを暗く厳しく、日常生活の中で見つめる作者の目はここでも健在だ。
その中に沈んでいる、生きていく日々の悲しみややるせなさ、孤独感が重くにじんでいる作品が、薄い本の中で充実している。
特に三部の「モン」との別れは、胸を締め付けられて涙が流れる。
沼田さんの作品を読むと、生きることにまっすぐに向かう強さと、書いているテーマの重さに読むのが苦しくなることがあるが、情に流されない乾いた筆致がこの作品では、時に揺れる。
「モン」に託した視線の暖かさや人の優しさに胸を打たれる。
長くなりそうな、「モン」の一生に付き合う話を、三部に分けた書き方も、語り巧者だと思う。
第一部
泥だらけで迷い込んできた手に中に納まるような小さな猫が、疎ましくて信枝は新聞紙にくるんで捨てた。だがなぜかよろよろと帰ってきた。今度は少しはなれた林に捨てた、だがまた帰ってきた。また捨てた、猫は林の中にずんずん入っていった。
信枝はやっと出来たわが子が流れて8ヶ月、何もいわないが夫の藤治も仔猫のことが心配げだった。
玄関を開けると女の子が立っていて猫を置いていったという、有山アヤメという子は猫を捨てたと知ると、林に向かって走っていった。藤治と信枝が追いかけていくが猫は見つかったが女の子は姿を消していた。
猫と藤治と信枝、猫の様子を見に来て居間に上がりこんで、肉じゃがを食べていくアヤメ、藤治の仕事仲間で将棋を指しにくる弟分の暮らしが始まった。「モン」は飼い安い猫だった
第二部
世間を憎み、母子家庭で父親にも構われなく育ち、不登校になった中学生が、公園で幼児を刺そうとして偶然に未遂に終わる。
顔見知りになったアヤメと他を威圧するほどたくましく成長した「モン」との付き合い。
幼児の母親に通報され警察の呼び出された時、親の心に触れ、初めて親しい感情を持つ。
第三部
信枝も亡くなり、アヤメも結婚して遠くに行った。老猫になった「モン」と暮らしている藤治。
「モン」は動きが少しずつ緩慢になり、食も細くなってきた。医者に見せると腎機能が病んでいると言う。手当ての方法が無く、食を補う注射をして、口に塗るペースト状の食材をくれる。「モン」は嫌がったが口に塗ると少し食べた。二階の信枝のベッドの下から出てこなくなり、名前を呼ぶと返事をして尻尾をパタパタと床に打ち付けた。
それも次第に弱しくなっていった。子供の頃から毛をすくと喜ぶので綺麗にすいてやり掃除機で吸い取るとそれも気持ちよさそうにしている。好きなところをなでてやるとゴロゴロと体全体が震えるほどの猫鳴りが聞こえる。
果物籠を見つけて入れてみると大きなからだが丁度収まった。ブランコのように揺すると嬉しそうな金色の目でジッと見つめてくる。だが籠がだんだん軽くなった。ベッドから出てくることも無くなって、綺麗好きの「モン」の毛が尿でぬれているようになった。からだをずらして拭いてやる。
美しい金色に輝いていた毛並みが汚れている、拭いてやると嬉しそうに顔を見た。だが何も食べなくなって皮膚が腹の下に滑り落ち、顔もとがってきた。
夜中の二時頃に、ベッドの下をのぞき込むと、奇妙な無表情さが猫の全身を覆っていた。呼吸もあやふやであるような気がした。
「モン」
名を呼んだ。
猫は半分はもうモノになりかけていた。それでも、尾がはっきりと応えた。床をうつてハタハタと優しい音を立てた。
もう一度呼び、もう一度応えた。
見事な別れを果たしきった猫を、やんやと褒めそやしてやりたい。その想いをありったけ指先に込めて、見開かれたままの琥珀色の眼も最後にそっと閉じてやった。