田んぼ道を歩きながらふと考えた。時には考える。
事実と真実の間には暗くて深い川どころか、宇宙の果てぐらい遠い距離がありそうだ。
でも結局、男と女の間の川の距離も、事実と真実の間くらい離れているのではないだろうか。
真実なんて事実のずっと深いどこか、見えない底のほうにあって、見えるようで見えない風にチラチラしているので、見えたように錯覚して、生きていけるのではないだろうか。
事実だって分かりはしないのに真実なんて到底分かるものではない。
だったら、限界を知ってその中で、ちょっとつらい現実を生きていくのがいいのではないだろうか。
まぁいっか、という生き方も悪くなさそうだ。
こどものころに読んだ山本有三の「真実一路」を思い出した。昔のことはよく覚えているものだ。
ついでに北原白秋の詩
真実、あきらめ、ただひとり
真実一路の旅をゆく。
真実一路の旅なれど、
真実、鈴ふり、思い出す。
二人で居たれど、まださびし、
一人になったらなおさびし、
真実、二人はやるせなし、
真実、一人は堪えがたし。
秋だ、白秋だ うら寂しい。
ランタナ
秋だ、実も熟している
ノブドウ
毎日立ち止まって見ている。
クワクサ
庭に生えて困る、それでも小さな可愛い花が咲く。
暖かい日は黄蝶も元気だ。
コスモスの道
今日はこのコースは歩かないで記念に写しておく。
うす雲が出てきた。
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