Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

漱石もひとの子じゃ

2018-05-26 00:10:00 | コラム
自分にとって、雲の上どころか、月の向こう側くらいに居る存在。

故人を含めていえば・・・

黒澤明、
マーティン・スコセッシ、
桜庭和志、
モハメド・アリ、
そして、夏目漱石の5人。


(身の程知らずなので)極上の美女を相手に軽快な会話を展開する自信が「おおいに」ある自分でも、この5人の前では、おしゃべりではなくなるだろうね。

聞きたいこと、話したいことが山ほどあるのに、なーーーーーんにも話せないと思う。

童貞かよ! みたいな。

なぜ話せなくなるのかというと、それはつまり、才能に弱いのだと思う。


『アマデウス』(84)に、
「見てくれや性格なんて関係ないの、女は、男の才能に魅かれるものなの」

という台詞が出てくるが、そんな感じ。


さて、漱石が英国留学中に友人に出した葉書が「1世紀ぶりに」発見されたそうだ。


「僕ハ独リボツチデ淋イヨ」


わぁ!

キュン、とくるなぁ。

なんか一気に距離が縮まり、親近感を抱くぜ。

といっても、月の向こう側から「やっとのことで」雲の上にやってきた、、、くらいの距離ではあるが。


大作家であっても、孤独には弱いんだ。

そんな漱石が鬼籍に入ったのは49歳のころ。

あと5年も経てば、漱石より長生きしていることになる。


なのにさぁ、なにやってんだ自分は・・・とは思うわけ。

家帰っちゃあクソしてさ、酒呑んで、唐揚げバカ喰いして、自慰を繰り返し、またクソをして酒呑んで、、、って。


困ってしまうのは、一時的にそう思ったりしてみても結局、いいじゃんそれが自分なんだから! と、開き直ってしまうところなんだ笑




…………………………………………

明日のコラムは・・・

『にっぽん女優列伝(59)大西結花』
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする