Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(373)

2021-05-09 00:10:00 | コラム
じょーだん「て」→「て」いく(テイク)

映画の裏話を聞いて「らしいなぁ」と思ったのが、北野武の一発撮り。


ほとんどのシーンで2回目は撮らない。
俳優本人が納得していなかったとしても、1回目でOKが出る。

キャスティングが成立した時点で、そのひとの「顔」と「声質」で選んだわけだから、噛もうが台詞を飛ばそうが関係ない、それを含めてのキャスティングだったということか。

意外だなぁと思ったのが、アドリブなどを積極的に取り入れるスコセッシ。

いまはともかく、90年代以前のスコセッシは、冗談が通じそうもない男だったので。

もっと、カッチカチな現場だと想像しちゃっていたんだよね。

そんな自由な制作現場で生まれたのが、このシーンだった。




黒澤はそこそこテイクを重ねたらしいが、俳優が云々というより、フレームにおさまる絵が気に入るかどうかで時間を要するひと。

小津や溝口のほうが、俳優に対する要求は高かったという。

何度もダメ出しをされ、結局はファーストテイクがいちばんよかった、、、という話も。

自分が俳優だったとしたら、鬼と呼ばれた溝口さんの現場はイヤかもなぁ。



余計な演技を嫌い、俺のいうとおりに動けば喋ればいいんだ! みたいな監督に対し独裁者じゃないのか、とか、映画とは総合芸術なんだろ…みたいに批判的なことばが聞かれることもあるけれど、

いってしまえばそうですよと。

映画は結局、監督のものなんだ。


ワンシーンのために何テイクも重ねたという意味で映画史に燦然と輝くのは、やはりチャップリンの『街の灯』(31)だろう。

浮浪者チャーリーが車から降りる「音」を聞いて、盲目のヒロインがチャーリーを「金持ち」と勘違いするシーン。



撮り直しの回数、なんと342回。
およそ1年をかけて、やっとのことでこのシーンに辿り着いた。
(黒澤も「天気が気に入らない」からと同じようなことをやらかしている?が、すぐにその日の撮影を解散させたので被害?は少なかったと思われる)

すでに実績のある監督だからこそ、スタッフやキャストも辛抱強くついていったのでしょうね。

これが新人監督だったらどうだったろう、コイツはダメだと助監督らが離れていくか、勝手に撮っていった可能性がありますよ。


あすのしりとりは・・・
てい「く」→「く」るいざきさんだーろーど。

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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(374)』
コメント
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