36年5月17日生まれ・2010年5月29日死去、享年74歳。
アメリカ出身。
きょうは長文です^^
ホッパーさんは時代によって「まるで別人」のような顔を見せた怪優。
ですから受け手がどの時代のホッパーさんがファーストコンタクトであったのか、それによって「デニス・ホッパー」像が分かれていくと思います。
自分より下の世代だと、このCMだったりするのかな(^^;)
<経歴>
学生時代―精力的に舞台劇に励み、13歳でシェイクスピア奨学金を得る。
17歳で舞台俳優としてプロデビュー、将来を期待された若者だったのだなぁ!
まさかこのあと、アンナコトコンナコトがあるなんて(^^;)
①ホッパー、青春俳優の時代
実質的な映画俳優デビュー作は、55年のジェームス・ディーン主演作『理由なき反抗』。
つづく『ジャイアンツ』(56)にも顔を出しており、このころは誰もが「ホッパーさん自身も」正統的な青春俳優になると思っていたことでしょう。
『OK牧場の決斗』(57)、
『暴力脱獄』(67)、
ロジャー・コーマンがプロデュースと演出、ジャック・ニコルソンが脚本を務めた「LSDによる幻覚の映像化」を目指した実験作『白昼の幻想』(67)、
『奴らを高く吊るせ』(68)、『勇気ある追跡』(69)。
②ホッパー、反逆者の時代
69年―アメリカン・ニューシネマの決定打となった傑作『イージー・ライダー』を監督・出演、カウンターカルチャーの寵児となる。(カンヌ映画祭カメラドール受賞)
しかし71年、監督2作目『ラストムービー』は共感を得られず。
しかも。
ドラッグに溺れる登場人物を演じるにあたり、実際にドラッグを濫用しながら撮影していた…という噂が流れ、映画関係者から総スカンを喰らい、いわゆる「干され」状態となる。
映画そのものは、つまらなくはないのだけれどね。。。(^^;)
③ホッパー、狂乱ジャンキーの時代
干されつつも、鬼才監督たちからのオファーはときどき舞い込みます。
その代表作が、コッポラの超絶大傑作『地獄の黙示録』(79)と、『悪魔のいけにえ2』(86)でしょう。
とくに前者のジャーナリスト役は強く印象に残っています…が、じつはこのころもジャンキー症状(?)は治まらず、クスリの作用により頭がトンだ状態でジャングルにやってきたものだから、コッポラ監督は頭を抱えてしまったようです!!
④ホッパー、復活の時代
86年―デヴィッド・リンチの怪作『ブルーベルベット』でヘンタイ男を嬉々として演じ、ビッグインパクトを残す。
「ヤク断ち」完了していたこともあり、この演技は大絶賛を受けます。
どんな映画かって??
「追悼記事」を記したばかりですが、リンチ映画のあらすじを記すのは極めて困難なのですね。
だから「若者が世の中の裏を知って、人生一歩前進する物語だよ」とだけ答えておきます。
ひとついえるのは、ダークな内容なのに観終えたあとは、なぜか清々しいのですよね~^^
『勝利への旅立ち』(86)
『ピックアップ・アーチスト』(87)
『ストレート・トゥ・ヘル』(87)
⑤ホッパー、アーティストの時代
88年―ストリートギャングたちの生態を刑事の視点で描いた快作、『カラーズ 天使の消えた街』を監督。
翌年、ジョディ・フォスターを相手役に監督・主演した『ハートに火をつけて』(89)はスタジオ側が許可なく編集したことで監督を名乗ることを拒否、よって「監督アラン・スミシー名義」で公開されました…が、
同年のうちにホッパーさんは自身の意図のとおりに再編集された作品を完成させ、『バックトラック』として発表。日本では95年に初公開されました。
さらに写真家としても活躍、
もっといえば…この時代ではないですが、ウォーホールの作品(毛沢東)に銃弾を撃ち込んだこちらは、30万ドル超で落札されています。
すごいかどうかは分かりませんが、面白いな!とは思います(^^;)
⑥ホッパー、円熟の時代へ
90年代以降は、なんの問題も起こさず、どんなくだらんオファーでも(?)断らず、ただただ粛々と仕事をこなしていくようになりました。
だって『パリス・トラウト/静かなる狂気』(90)は傑作ですが、
『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』(93)でクッパを演じなくてもいいんじゃね??と思うわけですよ。
さて、この時代の代表作は、なんといっても『トゥルー・ロマンス』(93)。
正直いって、作品の完成度には満足していません。
ただこの映画は、出てくる俳優さんが「みんな」端役にいたるまで「み~~~んな」最高なのです。
とくに、このふたりが!!
そのほかの作品に・・・
ただ金がほしいだけ!というシンプルな爆弾犯を好演した『スピード』(94)、
『サーチ&デストロイ』(95)、
ラズベリー賞は取ったけれど、けっして悪い出来じゃない『ウォーターワールド』(95)、
『バスキア』(96)、『ビートニク』(99)、
『ノックアラウンド・ガイズ』(2002)、『スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー』(2005)、『テキサス・チェーンキラー ビギニング』(2006)、『ヘルライド』(2008)、『最終突撃取材計画!』(2008)などに出演。
はっきりいって21世紀に入ってからは、「ただ出ている」状態ですが、それで構わない気もするのです、ホッパーさんが楽しそうに演じているというだけで。
ラリッてもいないし、スタジオと揉めることもないわけですから!!
2009年―前立腺癌であることを公表、癌は骨にまで転移しており末期状態であることが明かされる。
そして2010年5月29日に死去、
最後の作品とされるのは、2016年にやっとのことで発表された『デニス・ホッパー/狂気の旅路』となっています。
享年74歳、まるでリンチ映画のように、ハリウッドの「裏」映画史を駆け抜けた人生でした。
次回の列伝は、テレンス・スタンプさんから。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『まだ、忘れてはいないし忘れられんのです。。。』
アメリカ出身。
きょうは長文です^^
ホッパーさんは時代によって「まるで別人」のような顔を見せた怪優。
ですから受け手がどの時代のホッパーさんがファーストコンタクトであったのか、それによって「デニス・ホッパー」像が分かれていくと思います。
自分より下の世代だと、このCMだったりするのかな(^^;)
<経歴>
学生時代―精力的に舞台劇に励み、13歳でシェイクスピア奨学金を得る。
17歳で舞台俳優としてプロデビュー、将来を期待された若者だったのだなぁ!
まさかこのあと、アンナコトコンナコトがあるなんて(^^;)
①ホッパー、青春俳優の時代
実質的な映画俳優デビュー作は、55年のジェームス・ディーン主演作『理由なき反抗』。
つづく『ジャイアンツ』(56)にも顔を出しており、このころは誰もが「ホッパーさん自身も」正統的な青春俳優になると思っていたことでしょう。
『OK牧場の決斗』(57)、
『暴力脱獄』(67)、
ロジャー・コーマンがプロデュースと演出、ジャック・ニコルソンが脚本を務めた「LSDによる幻覚の映像化」を目指した実験作『白昼の幻想』(67)、
『奴らを高く吊るせ』(68)、『勇気ある追跡』(69)。
②ホッパー、反逆者の時代
69年―アメリカン・ニューシネマの決定打となった傑作『イージー・ライダー』を監督・出演、カウンターカルチャーの寵児となる。(カンヌ映画祭カメラドール受賞)
しかし71年、監督2作目『ラストムービー』は共感を得られず。
しかも。
ドラッグに溺れる登場人物を演じるにあたり、実際にドラッグを濫用しながら撮影していた…という噂が流れ、映画関係者から総スカンを喰らい、いわゆる「干され」状態となる。
映画そのものは、つまらなくはないのだけれどね。。。(^^;)
③ホッパー、狂乱ジャンキーの時代
干されつつも、鬼才監督たちからのオファーはときどき舞い込みます。
その代表作が、コッポラの超絶大傑作『地獄の黙示録』(79)と、『悪魔のいけにえ2』(86)でしょう。
とくに前者のジャーナリスト役は強く印象に残っています…が、じつはこのころもジャンキー症状(?)は治まらず、クスリの作用により頭がトンだ状態でジャングルにやってきたものだから、コッポラ監督は頭を抱えてしまったようです!!
④ホッパー、復活の時代
86年―デヴィッド・リンチの怪作『ブルーベルベット』でヘンタイ男を嬉々として演じ、ビッグインパクトを残す。
「ヤク断ち」完了していたこともあり、この演技は大絶賛を受けます。
どんな映画かって??
「追悼記事」を記したばかりですが、リンチ映画のあらすじを記すのは極めて困難なのですね。
だから「若者が世の中の裏を知って、人生一歩前進する物語だよ」とだけ答えておきます。
ひとついえるのは、ダークな内容なのに観終えたあとは、なぜか清々しいのですよね~^^
『勝利への旅立ち』(86)
『ピックアップ・アーチスト』(87)
『ストレート・トゥ・ヘル』(87)
⑤ホッパー、アーティストの時代
88年―ストリートギャングたちの生態を刑事の視点で描いた快作、『カラーズ 天使の消えた街』を監督。
翌年、ジョディ・フォスターを相手役に監督・主演した『ハートに火をつけて』(89)はスタジオ側が許可なく編集したことで監督を名乗ることを拒否、よって「監督アラン・スミシー名義」で公開されました…が、
同年のうちにホッパーさんは自身の意図のとおりに再編集された作品を完成させ、『バックトラック』として発表。日本では95年に初公開されました。
さらに写真家としても活躍、
もっといえば…この時代ではないですが、ウォーホールの作品(毛沢東)に銃弾を撃ち込んだこちらは、30万ドル超で落札されています。
すごいかどうかは分かりませんが、面白いな!とは思います(^^;)
⑥ホッパー、円熟の時代へ
90年代以降は、なんの問題も起こさず、どんなくだらんオファーでも(?)断らず、ただただ粛々と仕事をこなしていくようになりました。
だって『パリス・トラウト/静かなる狂気』(90)は傑作ですが、
『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』(93)でクッパを演じなくてもいいんじゃね??と思うわけですよ。
さて、この時代の代表作は、なんといっても『トゥルー・ロマンス』(93)。
正直いって、作品の完成度には満足していません。
ただこの映画は、出てくる俳優さんが「みんな」端役にいたるまで「み~~~んな」最高なのです。
とくに、このふたりが!!
そのほかの作品に・・・
ただ金がほしいだけ!というシンプルな爆弾犯を好演した『スピード』(94)、
『サーチ&デストロイ』(95)、
ラズベリー賞は取ったけれど、けっして悪い出来じゃない『ウォーターワールド』(95)、
『バスキア』(96)、『ビートニク』(99)、
『ノックアラウンド・ガイズ』(2002)、『スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー』(2005)、『テキサス・チェーンキラー ビギニング』(2006)、『ヘルライド』(2008)、『最終突撃取材計画!』(2008)などに出演。
はっきりいって21世紀に入ってからは、「ただ出ている」状態ですが、それで構わない気もするのです、ホッパーさんが楽しそうに演じているというだけで。
ラリッてもいないし、スタジオと揉めることもないわけですから!!
2009年―前立腺癌であることを公表、癌は骨にまで転移しており末期状態であることが明かされる。
そして2010年5月29日に死去、
最後の作品とされるのは、2016年にやっとのことで発表された『デニス・ホッパー/狂気の旅路』となっています。
享年74歳、まるでリンチ映画のように、ハリウッドの「裏」映画史を駆け抜けた人生でした。
次回の列伝は、テレンス・スタンプさんから。
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明日のコラムは・・・
『まだ、忘れてはいないし忘れられんのです。。。』
イージーライダーってデニスさんとジャックさん生んだ映画ですね。
バンドのメンバー亡くなったので「ウエイト」収録のサントラ聞いてて思いました。
ニコラス・ケイジが関西のパチンコCMに出たのは借金苦っぽかったそうですが、ホッパーさんの場合は「頼まれたから出た」感が強いんですよね、そこがまた面白いです^^
コロナをきっかけとして名作の再上映が盛んですが、イージーライダーはいつも入ってます。
初見のひとは、むしろ少ないんじゃないかなと思うんですよ。悲劇的な結末でも、大陸を走るチョッパーをスクリーンで拝みたいのだろうなと。。。