2001年8月4日(土)
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ウィッシュボーン・アッシュ「NOUVEAU CALLS」(International Record Syndicate)
ウィッシュボーン・アッシュ、この欄では1月以来の二度目の登場である。
何度もメンバーチェンジを繰り返した後、1988年、オリジナル・メンバーに戻っての録音。
何曲か聴いていて、はたと気づいたことがあった。まったく、ボーカルが登場しないのである。
もしやと思って、最後まで聴いてみたが、その通り、全編インストゥルメンタルというアルバムであったのだ。
それもそのはず、このアルバムはI.R.S.というレーベルの、「NO SPEAK」というオール・インストものシリーズの第二弾であった。
(他には、ピート・ヘイコック、スチュアート・コープランド(ご存知ポリスのドラマー)、ウィリアム・オービットといったアーティストがそれぞれのアルバムを出している)。
このアルバムには過去ボーカル入りで発表したナンバーも含めた全11曲を収録。プロデュースはウィリアム・オービット。スティング、ベリンダ・カーライル(元ゴーゴーズ)などともコラボレーションしたことのある、多才なマルチ・プレイヤーである。
このウィッシュボーン・アッシュ、もともと、ボーカルよりインストの方が得意なバンドではある。
下手というわけではないのだが、歌の方は演奏に比べるとイマイチ印象が薄い。やはり、高度のテクと絶妙のアンサンブルをほこる演奏こそが彼らの本領とは、誰もが認めるところだろう。
そういう意味でこの「NO SPEAK」、まさに彼らにうってつけの企画だったなとは思う。
確かに、演奏の水準は高い。とくに「IN THE SKIN」などは、前に紹介したライヴ・アルバム「LIVE-TIMELINE」でも演奏している曲だが、フュージョン風のアレンジながらも、熱くうねるようなスライド・ギター・プレイに、アッシュのブルース魂を強く感じる。
また、「SOMETHING'S HAPPENING IN ROOM」の軽快なテンポにのせたドライヴィング・ギター、「JOHNNY LEFT HOME WITHOUT IT」の重くステディなビート感、「SPIRIT FLIES FREE」や「REAL GUITARS HAVE WINGS」でのツイン・リードのからみ、泣きのギターも素晴らしい。
しかし、しかし、である。筆者としてはどこか「?」を感じてしまうのも事実なんである。
これはたしかにロックというフォーマットにのっとって演奏された音楽には違いない。でも、果たしてロックとして聴いていいのか?
もし、この一連の曲目をライヴで聴かされたら、われわれはノレるのか? 熱くなれるのだろうか? どうも違うような気がする。
ベンチャーズや高中正義、さらにはジェフ・ベックなどについても言えることなのだが、歌抜きのインスト、これはいくらロック・ビートでやろうが、泣きのギターを弾こうが、ロックがロックとして本来的に持っている「コール&レスポンス」という要素を決定的に欠いているように、筆者には思えるのだ。
たしかに彼らは、演奏テクニック的には一流である。
だが、聴衆の感情、聴衆のこころの微妙な動きを鋭く察知し、押しや引きを交えつつ、場を盛り上げていく、そういうインタラクティブなものがその音楽には乏しく、モダン・ジャズやクラシックなどのように純粋鑑賞用音楽になってしまっている、そういう気がする。
このアッシュもしかり。
だからであろう、何曲も聴いていると、どれもこれも似たような印象で、少し食傷気味になる。
ちょっとくらい下手でもいい。生の声、生の歌詞、生の感情をぶつけてこそ「ロック」なのではないだろうか。
もちろん、この後のアッシュ、決してインスト専門バンドとはならなかったから、このアルバムはあくまでも実験的な試みであったわけだが、これを聴くことで図らずも「ロックにとってインストゥルメンタルとは何か?」を考えることになったわけだ。
インストさえ巧ければロックが成立するわけではない。
生の声、生のうた、これなくしてはただのダンス・ミュージック、あるいは環境音楽に過ぎない、筆者はそう思っている。