NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音盤日誌「一日一枚」#63 クリーム「ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・クリーム」(ポリドール)

2022-01-16 05:45:00 | Weblog

2001年9月15日(土)



クリーム「ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・クリーム」(ポリドール)

60年後半活躍したロックバンド、クリームには、数多くのコンピレーション、ベスト盤が出ているが、今日のは「決定版」とでもいうべき一枚だ。95年のリリース。

全20曲が年代順に収められており、現在では入手の難しい、シングルのみでリリースされた曲も含まれているので、なかなかお買い得感が高い。

まずはデビュー・シングル「包装紙」。熱心なクリームファン以外には余り知られていない、レア・トラックだが、これがクリーム!?という感じのポップス。ビリー・ヴォーンあたりをほうふつとさせるサウンドだ。

もちろん、これはアメリカ市場に向けての戦略。いきなりギンギンのハードロックではなく、ソフトなヴォーカル、ポップな曲調でまずはアメリカ人を惹きつけようということか。

続いてはセカンド・シングル「アイ・フィール・フリー」。クラプトンのギターもサイケデリック色を前面に打ち出すようになる。もち、フィードバック・プレイもバシバシ聴かれる。

ヴォーカル&コーラスは、どこかウォーカー・ブラザーズのごとし。これも戦略か。

続く「エヌ・エス・ユー」は前の曲同様、デビュー・アルバム「フレッシュ・クリーム」に収録されたナンバー。

ライヴ・アルバムでもおなじみ、パワフルなコーラスとハードなコード・カッティングが印象的な曲だ。

次の「スウィート・ワイン」は、メロディ的にはブルースっぽくなく、コーラスがフィーチュアされているチューン。

でも、間奏では、もろブルーズィなギターが聴ける。

この曲まではすべてオリジナルだが、「アイム・ソー・グラッド」「スプーンフル」はブルース曲のカバー・ヴァージョン。

「アイム~」はスキップ・ジェイムズのいなたいカントリー・ブルースを見事に換骨奪胎、フィードバック・ギターがんがんのへヴィー・サウンドに仕上げている。最後には三声コーラスも。

一般にクリームは演奏主体のグループだということになっているが、スタジオ録音においては、この曲のように三人全員が歌いかつハモるなど、意外にヴォーカルに力を入れているのだ。

「スプーンフル」はもちろん、ハウリン・ウルフの十八番のカバー。ライヴ・テイクもあるが、ここでは「フレッシュ・クリーム」からのスタジオ・テイク版。

ワン・コードを執拗に繰り返す、重たいブルース・ギターは、まさに圧巻。

「ストレンジ・ブルー」はセカンド・アルバム「カラフル・クリーム(DISRAELI GEARS)」からカットされたシングル曲。

アルバート・キングに強く影響を受けた、スクウィーズ・ギターが聴ける。

この曲はベースを、ギターの低音パートとみなしたようなアレンジがなされていて、当時最先端のアンサンブルを<聴くことが出来、非常に面白い。

実際に大きめの音量で聴いて、確かめてほしい。

これは、セカンド・アルバムからプロデュースに携わったフェリックス・パパラルディのアイデアとも聞く。

「サンシャイン・ラヴ」は皆さんもご存知の代表的ヒット曲。

ブルースに若干のアレンジを加えた進行ながら、その重量感あふれるリズムは、もう完全にハードロックの域に達している。

「英雄ユリシーズ」は「ストレンジ~」のB面に収められた曲。初めてワウ・ペダルを導入、循環コードによる構成など、後出の「ホワイト・ルーム」のプロトタイプとも言える。

「スーラバー」は、いわゆるウーマン・トーン(高音をトーン・コントロールでカットした、どこかくぐもったようなギター音)が多出するナンバー。いかにもギブソン製ハムバッカーって音だ。

「間違いそうだ」はブルースのファルセット・ヴォーカル主体の、アンニュイなムードを持った、ちょっとユニークな作品。ベイカーのタム・プレイにも注目。

ここまでの5曲は「カラフル・クリーム」から。

2枚組の大作「クリームの素晴らしき世界」からカットされたシングル「ホワイト・ルーム」は「サンシャイン・ラヴ」とならぶ大ヒット。

ワウ、エコー、フィードバックなど、サウンド・エフェクトを駆使し、このうえなくサイケデリックなサウンドに仕上がっている。

担当プロデューサー、フェリックス・パパラルディの実力がいかんなく発揮された作品。

「トップ・オブ・ザ・ワールド」は、これまたハウリン・ウルフの代表曲を、クリーム流にヘヴィーにアレンジ。三人の鬼気せまるサウンド・バトルが繰り広げられる。

粘っこいファンクなリズムは、次の「政治家」でも聴かれる。

ギターのしつこいまでのオーバー・ダビングによる「音の洪水」に溺れそうな一曲だ。

「ゾーズ・ワー・ザ・デイズ」は、珍しくベイカーとジャズ畑のマイク・テイラーの共作によるアップ・テンポのナンバー。

ロックを少しはみ出して、前衛ジャズ的な音作りに挑戦した実験的ナンバー。

「悪い星の下に」はアルバート・キングの大ヒット曲のカバー。

ご本家に負けず劣らずの強烈なファンクネスを感じさせる演奏。クラプトンのギターも、アルバートを相当意識した、チョーキング全開のスタイル。

「荒れ果てた街」は、どこか作者(ブルース=ブラウンのコンビ)の心象風景を感じさせる、ザラついた感触のロック。そのスピード感あふれるグルーヴは、スゴいの一言。

そして極めつけはなんといっても、ライヴ録音の「クロスロード」。

わずか4分15秒という時間の中に、クラプトンのギターフレーズの「粋(すい)」が凝縮された、最高の演奏。

サイケにペイントされたギブソンSGから繰り出される音は、あまりに官能的だ。

これを聴いて、彼の才能に嫉妬しないギタリストは、ひとりもいないだろう。

極論すれば、クラプトンがもしこの一曲しか録音を残さなかったとしても、彼の名は永久に残り続けるであろう、それくらいの出来である。

映画「サヴェージ・セヴン」の主題曲として作られた「エニイワン・フォー・テニス」は他とは全く趣きの異なった、ポップ・チューン。のほほんとした曲調、ストリングもまじえたアコースティックなアレンジが実に新鮮に聴こえる。

ラストは「グッバイ・クリーム」(文字通りのラスト・オリジナル・アルバム)から、ジョージ・ハリスンと共演した名曲「バッジ」。

その後も何度かライヴでも演奏しているので、皆さんおなじみであろう。

レスリー・スピーカーを使ったという、ギター・アルペジオ(BY G・ハリスン)の美しい響きが余りに印象的なナンバー。

クラプトンのヴォーカルも、いつになく余裕にあふれ、説得力がある。彼のウタものとしてはベストのひとつだろう。

CD用に初めてリマスターされたという本盤、特にジンジャー・ベイカーのドラムス・プレイが、従来以上に鮮明に浮かび上がり、その大胆にして細心、メロディさえも感じさせるスケールの広い演奏に、改めて驚かされる。

そしてグループの持つ「引き出し」の多さにも、いまさらながらウナらされる。

とにかく、クリームをこれから聴いてみようかなという方は勿論、すでに全アルバム聴いているよという方にもおススメ。

全20トラック、すべて花マルという充実ぶり、おなかイッパイになれます。


音盤日誌「一日一枚」#62 レーナード・スキナード「セカンド・ヘルピング」(MCA)

2022-01-15 05:11:00 | Weblog

2001年9月8日(土)



レーナード・スキナード「セカンド・ヘルピング」(MCA)

今日の一枚はもちろん、当HP掲示板常連、HDさんの大推薦盤。

先日の「月刊ネスト第三号」における投稿企画「逝ってしまった名ギタリストたち」特集にて、彼がこのアルバムを上げておられたのがきっかけで、筆者も聴いてみた。

いやぁ~素晴らしい。ここまで完成度の高いアルバムもそうはない。AMGで五つ星が付けられているのもナットク行く出来である。

筆者的にはZEPのセカンドとタメを張るくらいかな。いやマジで。

1974年発表のセカンド・アルバム。レーナード・スキナードの名を一躍高からしめた、いわば彼らの出世作。

プロデューサーは彼らを見出した男、かの「スーパー・セッション」で知られるアル・クーパー。

まずは彼らの代表的ヒット曲、「スウィート・ホーム・アラバマ」からオープニング。

循環コードの繰り返しによる、覚えやすいミディアム・テンポのナンバー。

エド、ゲイリー、ロニーの共作。ギター・ソロはエド。

ビリーのカントリー調のピアノと、女声コーラスが、軽く明るい雰囲気を盛り上げている。

実はこの曲の構成は、スティーヴ・ミラー・バンドの「テイク・ザ・マネー・アンド・ラン」とほとんど同じなのである。

だが、どちらがどちらをパクったというようなものではなく、カントリー・ミュージックの世界ではクリシェ(常套句)的なパターンなのだろう。

筆者はカントリーに関しては、旧FENの「アメリカン・カントリー・カウントダウン」を流してボーッと聴いていた程度のリスナーなので、まるで詳しくなく、きちんとした考証が出来ないのだが。

二曲目の「アイ・ニード・ユー」は一転してマイナー、ミディアム・スローの重ためのサウンド。

同じくエド、ゲイリー、ロニーの作品。この曲ではアレンとゲイリーがツイン・リードを聴かせてくれる。

粘っこく絡み合うふたりのギター・フレーズ。んー、ブルースだね~(某掲示板ふう)。

どことなく、そのブルーズィな重たさが二ール・ヤング&クレイジー・ホース、スティーヴ・ミラー・バンドを想起させるサウンドであります、私見ですが。

ちなみに当時アレンは、トレード・マークのエクスプローラではなく、まだファイヤーバードを弾いておりやした。

次の「ドント・アスク・ミー・ノー・クエスチョンズ」はまたまた雰囲気を変えて、ミディアム・テンポのメジャー・ナンバー。典型的なカントリー調のロックン・ロール。

ゲイリーとロニーの作品。泣きのギター・ソロはゲイリー。エドはスライド・ギター。

ホーン・セクションも三名加わり、サウンドにも一層の厚みと迫力が感じられる。

ピアノとホーン・アレンジはアル・クーパー。気合いの入ったピアノ・プレイといい、ツボをおさえたアレンジといい、さすがはアル・クーパーだ。

続く「ワーキン・フォー・MCA」、これはレコード会社のやりくちをやんわりと皮肉るような歌詞内容が、なかなか面白いナンバー。

レコード会社を批判したり皮肉ったりするナンバーは、他にセックス・ピストルズの「EMI」(かなり過激な内容!)があるが、それは他レーベルへ移籍してからの作品で、現に所属している会社のことを皮肉るのは、ちょっと珍しいかも。

後にサザンオールスターズが、曲調こそまるで違うものの、この曲のコンセプトをそっくり頂戴して、「働けロックバンド(Workin' For TV)」なるナンバーを作ったのは言うまでもない。

ツイン・リードはアレンとゲイリー、これにエドがソロで絡む。

アップ・テンポで快調に飛ばす、実にイカしたハード・ロック・ナンバーだ。

五曲目は「ザ・バラード・オブ・カーティス・ロウ」。

これは、HDさんも特にお気に入りのナンバーである。

タイトル通りの、カントリー・バラードふうの曲調。アコースティックなナンバーでも、彼らは実に達者な演奏を聴かせてくれる。

エドはスライド・ギター。前半のソロを担当、後半のソロはゲイリー。ピアノ、アコギ、バック・コーラスと、またまたアル・クーパー大活躍。。

そのメロディ・ラインは「ど」が付くほどのカントリーなのだが、歌詞は、周囲から役立たずと指さされる老いたる黒人ブルースマン、カーティス・ロウの歌いぶり、そして生き方にひかれる少年の心情を歌ったもの。

これは作曲者である、アレンとロニーの、少年時代がそのまま投影されていると見てよいだろう。

生まれ故郷のフロリダで、白人社会に属しながらも、黒人たちの歌うブルースに強くひかれていく少年たち。

これがレーナード・スキナードの原点だといえそうだ。

続く「スワンプ・ミュージック」は、そのタイトルがまんま示しているように、南部スワンプ・ロックの典型のような曲だ。

エドとロニーの作品。レイド・バックしたリズム。それに切り込む、エドのアグレッシヴなカントリー・スタイルのギター。

ストラトの音色も、ブルース・フレーバーを含んだフレーズも実にカッコよろしい。

七曲目の「ザ・ニードル・アンド・ザ・スプーン」はアレンとロニーの作。循環コードを用いたマイナー・チューン。

これまた、カントリーのクリシェかもしれない。

このアルバム唯一、アレンのギター・ソロが聴けるナンバーでもある。ワウを使ったブルーズィなプレイがなかなかイカしている。

ラストの「コール・ミー・ザ・ブリーズ」は唯一のカバー。エリック・クラプトンほか多くのシンガーにカバーされているアーティスト、J・J・ケールの作品。

ケールはこのページでも以前にベスト盤を取上げたことのあるアーティストだが、この曲はそのアルバムでもトップに収録されているので、聴きくらべてみると面白い。

筆者が聴いてみた印象では、レーナード・スキナード版のパワフルでメリハリのあるサウンドに比べて、ケール版はより枯れてレイド・バックしたものという感じだ。それぞれに良さはあるといえそう。

ギター・ソロはゲイリー。もう、ロックン・ロール大会!って感じのノリノリ・フレーズ連発である。

また、この曲でも三名のホーンが加わって、にぎやかなアレンジだ。ロックン・ロール、カントリー、ブルース、それぞれの音楽のテイストが渾然一体となっている。

ヴォーカルのロニーの声の張り、バックの息の合った演奏、的確なアレンジ、いずれをとっても、このアルバム中のベスト・トラックと言えるかも知れない。

もちろん、それ以外のどの曲をとってみても、メロディ、サウンドともにハズれなし、きわめて高水準な出来ばえである。

こうやって聴いて来ると、レーナード・スキナードの魅力、というか本質が次第に見えてきたように思う。

そのベースにあるものはやはり、アメリカの白人たちには最も親しまれてきた「カントリー・ミュージック」。

これを縦糸とし、ブルースに代表される黒人音楽を横糸として織り成されているのが、レーナード・スキナードの音楽、そういえそうである。

カントリー・ロックのバンドの多くは、軸足をカントリー側に置いているものだが、彼らの場合はカントリー、ブラック・ミュージックの両方にどっしりと足を置いていて、けっして「白人専用ロック」という感じではない。

いわゆる12小節形式のブルースこそ少ないが、歌唱やギターのフレーズなどの隠し味として、ブラックなものが必ず見え隠れするのである。

いわば、人種、肌の色を超えた「オール・アメリカン・ミュージック」。

ロニーの安定したヴォーカル、一糸乱れぬアンサンブル、それぞれの個性を発揮したギター・ソロ。そして圧倒的な迫力のギター・ハーモニー。

こういったバンドとしての実力もさることながら、特筆すべきはソング・ライティングの豊かな才能を持ったメンバーぞろいであったことだろう。全編、ほんとに、名曲の宝庫なんである。

そのまま、順調に活動出来ていれば、アメリカ、いや世界のナンバー・ワン・バンドとなることも不可能ではなかったと思う。

残念なことこの上ない。

ロニーら3人の飛行機事故死、アレンの病死、そして最近のレオンの死により、オリジナル・メンバー7名のうち、既に5名が他界してしまったレーナード・スキナード。

あまりに不運なグループではあったが、この「セカンド・ヘルピング」という名盤の存在により、そのすぐれた音楽はいつまでも語り続けられるに違いない。


音盤日誌「一日一枚」#61 B・B・キング「ライヴ・イン・クック・カウンティ・ジェイル」(MCA)

2022-01-14 05:00:00 | Weblog

2001年9月1日(土)



B・B・キング「ライヴ・イン・クック・カウンティ・ジェイル」(MCA)

ひさしぶりに、ピュアなブルースを一枚。

キング・オブ・ザ・ブルース、B・B・キングはまた、ライヴの王者でもある。

彼は一年の半分はツアーに出て精力的にステージをこなすという生活を、何十年も続けてきている。

当然、ライヴ盤も他のブルースマンに比べて、ずば抜けて多い。

「ライヴ・アット・ザ・リーガル」(65年発表)を代表格に、「ブルース・イズ・キング」(67年)、初来日時の「ライヴ・イン・ジャパン」(71年)、ボビー・ブランドとの共演ライヴが2枚(76年)、故郷での凱旋ライヴ「ナウ・アピアリング・アット・オール・ミシシッピ」(80年)、東京で日本のミュージシャンと共演した「B・B・キング・アンド・サンズ」(90年)などなど、枚挙にいとまがない。

しかも、いずれも名盤との評価が高い。

そんな中でもちょっと異色なのがこの「ライヴ・イン・クック・カウンティ・ジェイル」である。

なにしろ、「塀の中での」ライヴなのだから。

1970年9月10日、シカゴのクック・カウンティ・ジェイルつまり刑務所でのライヴ録音。

2000人余りの囚人たちを聴衆として、繰り広げた演奏なのである。

しかもただの慰問公演ではない。刑務所機構改善を推進する市民グループの要請で、彼が一役かうことになっての登場だという。

当時のクック郡刑務所では、いろいろと規律の乱れがあり、また十分審理を受けられずに収監されている受刑者(大半は黒人)も多かった。

そういった問題をクローズアップしていくために、企画されたコンサートということになる。

まず「イントロダクション」では、女性担当官がMCをつとめ、コンサートの仕掛人である心理学者のムーア氏、主席判事のパワー氏を紹介するのだが、瞬間、囚人たちから一斉にブーイングや嘲笑がわき起こる。

そのシニカルな反応が、実に印象的だ。

そんな一種異様な雰囲気の中、BBが紹介され、さっそくステージはスタートする。

一曲目は皆さんごぞんじの「エヴリデイ・アイ・ハヴ・ザ・ブルース」。

当時のBBのステージは必ずこの曲から始まったという、きわめつけの定番曲である。オリジナルのメンフィス・スリムをはじめ、ローウェル・フルスンの歌でもおなじみのスタンダード。

このナンバーを、ジャジーなホーン・アレンジを加え、アップテンポで快調に飛ばすBB。

続いては、いきなり調子を変えて、スロー・ブルースの「ハウ・ブルー・キャン・ユー・ゲット」。

この切り替わりが実に見事である。なんともカッコよろしい。

「ハウ・ブルー~」は、BBが63年に初録音したナンバー。自分にろくすっぽ感謝もしない性悪女のことを歌っている。

フォードの新車を買ってやったら、あらワタシはキャデラックが欲しいのとぬかす、そういう女。

10ドルのディナー(作曲当時の物価水準から言えばもちろん高額)をごちそうしてやったら、あいつ「スナックどうもありがとう」なんて言いやがると憤慨するくだりは、特に有名だろう。

余談だが、SMAPのヒット曲「10ダラー」は、この曲にインスパイアされて書かれたんじゃないかな、なんて思う。

この歌詞が聴衆の共感をつかんだか、もう、大ウケ。BBのシャウトも一段と激しくなる。

次の「ウォリー、ウォリー」も、似たタイプのスロー・ブルース。まずは、ギターを思い切りスクウィーズさせてソロをキメるBB。

そう、このアルバム・ジャケット写真のような表情で弾いていたんだろうな。

そして、お得意のファルセットを交えつつ、目一杯ソウルフルな歌を聴かせてくれる。スゴい迫力だ。

さらには、曲の途中で歌をとめて、聴衆に語りかけるBB。まずは女性の聴衆(これが結構人数がいるようなのである)に、男とのつきあい方について、饒舌に説くのである。

すぐさま客席から、熱い反応が返ってくる。それを聞き、さらに熱弁をふるうBB。

続いては、男性の聴衆に対しても、女ごころとはどんなものか、とうとうと喋り続ける。

男たちも、深く共感するところがあるのだろう。最初のシニカルなムードなどどこへやら、BBの呼びかけに積極的に応え、ステージと客席との一体感は更に高まっていく。

こうした、「プリーチ」(説教)とも言われている観客へのMCは、彼のステージの大切な要素なのだ。

語りかけ、レスポンスがあり、また語りかけ、アオり、しっかり心をつかむ。このやりとりによって、ライヴの熱気はいやが上にも上昇する。

ショーマンシップの極上のお手本のようなステージに、シンガーの端くれである筆者もまだまだ修行が足りないなという思いを新たにした。

実際、聴衆の気持ちの「つかみ方」において、BBを超える達人はそういるまい。

さて後半戦。「スリー・オクロック・ブルース/ダーリン・ユー・ノウ・アイ・ラヴ・ユー」を続けて演奏。

スロー・ブルース「スリー~」は51年初録音、彼が世に認められるきっかけとなった、記念すべきヒット。

「エヴリデイ~」と同じくフルスンの重要レパートリー。BBはフルスンを高く評価し、リスペクトしており、カヴァーも何曲かある。

「ダーリン~」はR&Bのバラード・ナンバー。彼の得意とするジャンルのひとつだ。ハードにメリスマをきかせるだけでなく、ときには甘い声でささやくように恋を歌う彼もなかなかグッド。

続く「スウィート・シクスティーン」で、場内はさらに盛り上がる。もちろん、BBの十八番、60年の大ヒットである(全米R&Bチャート2位)。オリジナルはジャンプ・ブルースの名シンガー、ビッグ・ジョー・ターナー。

トレード・マーク、ES-345のシャープな音色が最高だ。気合い十分のソロが冴え渡る。もちろん、BBの全身からしぼり出すようなシャウト、ファルセットも最高にごキゲン。

その興奮もさめやらぬうちに、「スリル・イズ・ゴーン」でステージはクライマックスを迎える。もちろん、BB最大のヒット。当時の先端であったファンク・ビートにのって、快調なヴォーカルを聴かせてくれる。

ラストは、過剰な興奮を鎮めるかのように、ソフトなミディアム・テンポのバラード「プリーズ・アクセプト・マイ・ラヴ」で締めくくり。この歌もまた、BBの内なるソウルの熱さを感じさせるいい出来で、シミジミとしてしまった。

一般に彼のライヴの最高傑作は「ライヴ・アット・ザ・リーガル」だということになっているが、このライヴも負けず劣らず素晴らしい。

それはもちろん、当時四十代半ば、声もギター・プレイも一番脂がのっていたBBの、ベストな演奏が収められたということもある。

が、コンサートのもう一方の主役である、聴衆のほうも実にいいレスポンスを見せてくれている。

考えてみれば、彼ら囚人ほど「ブルース」な状況にある人たちもいない。最もよくブルースの心を解する人たちだと言えるだろう。

「毎日毎日がブルース」とは、まさに彼らのためのテーマ曲である。

世界最高のブルースマン、そして最もブルースを解する人々の「出会い」がこの傑作ライヴ盤を生み出したといって、間違いあるまい。

「王様」と「囚人」、立場のまるきり違う人たちだが、ブルースという「絆」によってしっかりとひとつになったこの瞬間を、ぜひ感じとっていただきたい。


音盤日誌「一日一枚」#60 レッド・ツェッペリン「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」(Atlantic)

2022-01-13 05:00:00 | Weblog

2001年8月25日(土)



レッド・ツェッペリン「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」(Atlantic)

1979年発表、ZEP最後のフル・オリジナル・アルバム。

82年には、ラスト・アルバムとして「最終楽章/コーダ」がリリースされているが、これは69~78年の未発表曲(&テイク)集というべきものであり、オリジナル・アルバムとしては、「イン・スルー~」がラストといえるだろう。

…などと、くだくだしく説明するのもおこがましいくらい、誰もが知っているアルバムなので、各曲の詳しい説明は、シンコー・ミュージック刊の「レッド・ツェッペリン全曲解説」あたりに譲って、今回は(いまさらのようではあるが)デビュー33周年を迎えるZEPについて、自分なりの「総括」をしてみたい。

1960年代が「ビートルズの60年代」であったように、1970年代は「ZEPの70年代」であった。

この事実は、ZEPを好むと好まざるとにかかわらず、誰もが認めざるをえないだろう。

69年初頭のデビュー・アルバム発表以来約10年、彼らは全世界で他のいかなるロック・グループをもしのぐ、記録的なアルバム・セールスを維持し続けたわけだが、それはとりもなおさず、「アメリカ」で全面的に受け入れられた、ウケたということである。

ZEPがアメリカ人のテイストに見事にハマるものを持っていたということだが、それは何だったのか。

アメリカ人は、ビートルズやモンキーズのような、セックスのにおいの全くしないポップ・グループももちろん好むが、その一方では、性的なにおいをプンプンとさせた「スター」もたいそうお好きである。

エルヴィス・プレスリー、ジム・モリスン、そして英国人のミック・ジャガー。

彼らはいずれも「セックス・シンボル」と呼ばれ、アメリカの多くの若い女性の妄想をかきたてることにより、トップ・スター、カリスマへと昇りつめていった。

ところが、ZEPの前身であるヤードバーズには、そういったセックス・アピールがいまひとつ欠けていた。

かといって、人畜無害なポップ・グループにもなりようがなかった。

策略家のジミー・ペイジは、ヤードバーズのアメリカ攻略が中途半端な成功しかおさめなかったことを反省して、とにかく容姿、声ともに強力なセックス・アピールのあるシンガーの必要性を感じ、血まなこになって探していた。

その厳しい選択眼にかなったのが、イングランド中部出身の青年、ロバート・プラントだったというわけだ。

ペイジにとって、親友であるとともに好敵手でもあったジェフ・ベックが率いていたグループの人気シンガー、ロッド・スチュアートをも上まわる、セクシーな超高音の歌声、そして女も男をも惑わす美貌。

「彼しかいない!」と抜擢し、実力派のリズム・セクション、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボーナムを加えて、ZEPはスタートした。

デビュー・アルバムの反響は、実際すさまじかった。

アメリカではビルボードで最高10位、73週チャート・イン。本国イギリスでも最高6位、79週チャート・イン。

そして、あるフェスティバルでは、対バンとなったジェフ・ベック・グループに、彼らよりはるかに上まわるZEP人気を見せつけ、ベックをいたく失望せしめることとなる。

以後、ZEPは10年間、不動のトップ・グループの座をしめたことは、皆さんもご存知の通りである。

しかし、単にプラントの衝撃的な声とルックスの魅力だけで、ZEPはここまでの人気を勝ち得たわけではない。

"策士"ペイジの実に巧妙なサウンド作りが、その成功を陰から支えていたのである。

(1) まず、歌はコーラスよりも、ソロ・ヴォーカル中心とした。

60年代のビートルズ、ビーチ・ボーイズ的な志向性ではなく、50年代のプレスリー的な方法論をいっきにリバイバルさせた。

これは、よほどリード・ヴォーカリストに実力がなくては出来ないことだ。

アルバム「イン・スルー~」においては、「アイム・ゴナ・クロール」で、オーティス・レディング、ウィルスン・ピケットらR&Bシンガーばりの、迫力ある歌が聴ける。プラントの高い実力を示すものである。

(2) ビートルズの登場以来、メロディアスな曲作りが世の趨勢となっていたにもかかわらず、メロディよりもリズム中心の曲作りを行った。

ブルースに多く見られる手法だが、単純なリフの繰り返しほど、リスナーの耳に強い印象が残りやすいものである。

実際、ZEPの曲には、ワン・コードないしはそれに近い進行のものが非常に多い。

代表格は「胸いっぱいの愛を」「ダンシング・デイズ」「キャンディ・ストア・ロック」といったところ。

「イン・スルー~」でいえば、「イン・ジ・イヴニング」あたりが、それに当てはまりそうだ。

またZEPは、ブルースだけなく、R&B、ロカビリーといったノスタルジックな雰囲気のある曲作りにもたけている。

ステージでもよく「ブルーベリー・ヒル」「レット・ザ・ボーイ・ブギー」といったオールディーズR&Bを好んで演奏していた彼らだが、オリジナル曲にも、ときおりその趣味が反映されている。

「イン・スルー~」では、「ホット・ドッグ」がそういうテイストだ。

ペイジのイナタいカントリー風ギター・ソロはご愛嬌だが、ジョーンズのホンキー・トンク・ピアノがいかにもノスタルジックなムード。道理でアメリカ人にウケるわけだ。

同じく、「オール・マイ・ラヴ」もR&Bテイストのメロディを持った佳曲。歌詞もストレートなラブ・ソングで、そのひねりのなさが、いかにもアメリカ人好みという感じだ。

(3) 一方ZEPは、リーダーのペイジが若い頃からスタジオ・ミュージシャン、プロデューサーの豊富な経験を持っていたこともあって、彼ならではの凝ったサウンド・メイキングがウリでもある。

ヴォーカル処理、ギターのエフェクト、ヴァイオリン・ボウ、テルミン、ギズモトロン、ギターシンセといったギミックやデバイスの使用、リズムの独特な録音方法等、彼の創意工夫は曲の随所に見出すことが出来る。

つねに最大の効果を上げるべく、最新の電子技術を駆使しているのである。

ギタリストとしてのペイジは必ずしもオール・マイティではないのだが、サウンド・プロデューサー、サウンド・クリエイターとしての彼の腕前には、並々ならぬものがある。

「イン・スルー~」では、たとえばシングル化もされた「フール・イン・ザ・レイン」。中南米音楽のテイストを見事にZEP流に料理してみせたお手並みには、脱帽である。

けっして同じことの繰り返しに終わらず、過去とは違ったサウンドを作ろうという進取の気性がZEPには感じられるのだ。

(4) 新しいものを取り入れるということでいえば、リズム面についてもZEPは意欲的である。

ふつうの8ビートだけでなく、さまざまな変則リズム、あるいは最新のファンキーなビート、さらにはワールド・ミュージックのエスニックなビートなどを積極的に取り入れている。

これはもちろん、ボンゾの大きな功績といえるだろう。

たとえば「コーダ」での「ウェアリング・アンド・ティアリング」などを聴けば、彼がいかにスゴいタイム感覚を持っているドラマーだったかがよく判るはずだ。

「イン・スルー~」では、「サウス・バウンド・サウレス」あたりのリズムが面白い。

(5) キーボードを、プログレッシヴ・ロックとは違いR&Bやブルース等に根ざしたオーソドックな奏法を用いながらも、ギターとのコンビによって新しいサウンドを生み出している、これもまたZEPの独自性である。

実際、ジョーンズのキーボード・プレイは、後年になればなるほど、ZEPサウンドの重要なエレメントとなってきている。

「イン・スルー~」での「ケラウズランブラ」が好例だろう。

ペイジのギター・ソロのみに頼らず、キーボードとの絶妙なコラボレーションによって10分もの大曲を難なく構成している。

この曲は、もしZEPが80年代以降も活動を続けていたとしたら、そのサウンドの向かうべき道筋を示唆する曲となったかも知れない。

数多くの後輩バンドにも、強い影響を与えた一曲である。

まとめれば、(1)・(2)のリバイバル的な方法論、(3)・(4)・(5)の進歩的な方法論、このふたつの方向性を巧みにブレンドし、自らの魅力を最大限にアピールすることで、ZEPは爆発的な人気を獲得したといえよう。

解散後20年以上の歳月を経てもなお、常に新鮮な感動をもたらしてくれる、ZEPサウンド。

70年代の覇者であった彼らの足跡を、皆さんももう一度たどってみてほしい。


音盤日誌「一日一枚」#59 マイケル・シェンカー・グループ「限りなき戦い」(東芝EMI)

2022-01-12 05:02:00 | Weblog

2001年8月18日(土)



マイケル・シェンカー・グループ「限りなき戦い」(東芝EMI)

MSG、1983年の作品。オリジナル・アルバムとしては4枚目にあたる。

筆者は他に「黙示録(Assault Attack)」(82年)なる名盤の評判高い一枚を持っており、久しく愛聴しているが、これはその次のアルバムにあたる。

原題は「Built To Destoy」。無残に服を引きちぎられた若い女がたたずむそばで、車のフロントガラスめがけ愛器のフライングVを振り下ろすマイケル。V、まっぷたつ!

合成とはわかっていてもドキッとするジャケ写だが、なんともケレン味たっぷりのタイトルとジャケットの割りには、中のサウンドは、おなじみのMSGサウンドで統一されていて、安心して聴けるもの。

というか、ちょっと小ぢんまりと、まとまり過ぎかも知れないが。

前作では、元レインボーのグラハム・ボネットがヴォーカルとして参加、文句なしに素晴らしい歌いっぷりを聴かせてくれたが、この作品では、1・2作目で参加するも一旦脱退した(というかクビになった)ゲイリー・バーデンが呼び戻されて歌っている。

オープニングの「ロック・マイ・ナイツ・アウェイ」から、さっそくアップ・テンポで快調に飛ばすMSG。マイケルの速弾きフレーズにもよどみはない。

続いて、ミディアム・テンポの「メイク・ユー・マイン」。キーボードで新参加のアンディ・ナイ(レディング・フェスの頃からステージ・サポートをしていた)のシンセに乗って、ゲイリーが熱唱。MSGお得意の「哀愁系」メロディ。ヴォーカル・ハーモニーが耳に心地よろしい。

「戦争の犬たち」は、これまたHM/HRのお手本的なキャッチーなメロディ。マイケルの煌めくようなギター・ソロも楽しめる。

マンネリといえばそれまでだが、しっかり売れセンの作りになっている。プロの「仕事」ですな~。

B'Zの松本孝弘がしっかりお手本(パクリともゆう)にしたと思われるのが、「システム・フェイリング」でのオーバーダブによる、マイケルのギター・ハーモニー。超カッコいいすよ、ご本家は。

そして彼のウルトラ・テクニックが堪能できるのがインスト・ナンバー、「キャプテン・ネモ」。さすが「神」とまで呼ばれた男だけあって、リフ・ソロともに、一分の隙もないパーフェクトな仕上がり。ただただ、脱帽、であります。

さて、問題の一曲が、続く「魔性の女」。

実はこの曲、初回のマスターではゲイリーが歌っていた。

だが、日本盤が発売されて一ヵ月後、ジャック・ダグラスによりリミックスされたマスターテープが、英クリサリス・レーベルより日本に送られて来て、今後そのマスターを使うことになった。

そのヴァージョンではなんと、この曲はサイド・ギターで新加入のデレク・セント・ホルムズが歌い直しているのである。

ゲイリーにとってはなんとも屈辱的な話であるが、この奇妙な出来事の背景には、マネージメント・サイドの思惑がいろいろと絡んでいるらしい。

過去においても、頻繁にメンバーが変わり、マネージメント・オフィスを何度も変えるなど、運営上なにかとゴタゴタの多いMSGだったが、今回新たにアメリカ・サイドでのマネージメントを依頼したレーバー&クレーブス・マネージメント(エアロスミスのマネージメントで有名)側の希望で、マスター・テープのリミックスと、デレクの新加入そして「魔性の女」の歌い直しをせざるを得なくなったというのが、実情のようだ。

「ゲイリーのヴォーカルでは、アメリカでの受けがいまイチだから、もうひとりヴォーカルを立てたほうがいい」というわけである。

確かにゲイリーのヴォーカルは、別に下手というわけではないのだが、グラハムなどと比べると、いまひとつ線が細いというか、押しが弱い感じだ。超高音でのシャウトも、ちょっと息切れ気味。

アメリカでは、ただインストが巧いだけのバンドでは売れそうにない。フロントに、より強力な個性を持った、大衆にアピールするヴォーカリストを立てるべし、こういうことなんだろうな。そのため、すでにアメリカ国内では実績のあるデレクを投入して、戦力アップをはかった。

自らをアメリカ市場で大々的に売り出すために、そういう戦略を受け入れざるを得なくなったMSG。

ただ、音楽的に高いものを生み出していればいい、というわけにはいかなくなり、その後もメンバー・チェンジ等、さまざまなゴタゴタが続いていくことになる。

案の定、翌年にはゲイリーが再びクビとなり、かわりにレイ・ケネディがリード・ヴォーカリストとなる。

もう、完全にマネージメント・サイドに振り回されてしまうのである。

そんな混迷の状況下で作られたアルバムだが、でも、作品としては、結構よく出来ている。

デレクの歌う「魔性の女」も、ゲイリーとは違ったシャープな味わいがあり、ノリのいい曲だ。

続く「レッド・スカイ」の出来もいい。ゲイリーのヴォーカルも声域が合っているのか好演だし、マイケルのギター・ソロも、緩急自在、泣きのメロ連発で本領発揮という感じだ。

「タイム・ウェイツ」は、ステディなビートのナンバー。哀感を基本に持ちながら、ポジティヴ志向の歌詞とメロディがいい。ギター・ソロのみならず、アンディのキーボード・アレンジにも注目。

ラストの「ロック・ウィル・ネヴァー・ダイ(ウォーク・ザ・ステージ)」は、スローで始まり、じわじわと盛り上げていく、クライマックスにふさわしいナンバー。

全体に、「捨て曲」「ムダ曲」がなく、どれも水準以上の出来。意外性にはとぼしいが…。

やはり、「アメリカ」という、勝ってナンボ、負けを許されないマーケットでは、こういう作りしかないんだろうな。

一方、前作の「黙示録」では、内部から湧き上がる情念、デーモンのようなものが感じられた。

それはおそらく、マイケルとグラハムという、強烈な個性を持ったふたりの天才がしのぎ合うことで、初めて生み出されたものであろう。

この「限りなき戦い」は、残念ながらそういう「デーモン」は感じられないのだが、そのかわり、曲作り的にも、アンサンブルでも、ソロでも、非常に完成度の高い、「HM/HR」という名のエンタテインメントが、そこにはある。

アメリカ市場にがっぷりと四つに取り組み、MSGの新たな一面をわれわれに示してくれた一枚。

誰にでもおススメというわけにはいかないが、筆者的には結構、気に入ってます。


音盤日誌「一日一枚」#58 マディ・ウォーターズ「アイム・レディ」(SME)

2022-01-11 05:36:00 | Weblog

2001年8月11日(土)



マディ・ウォーターズ「アイム・レディ」(SME)

マディ御大、ひさびさのご登場である。

1977年、コネティカット州ウェストポート、ダン・ハートマンの自宅スタジオにての録音。

つまり、83年に亡くなるマディの、最晩年の作品のひとつである。

プロデューサーは、マディをこよなくリスペクトするギタリスト、ジョニー・ウィンター。

このウィンターのプロデュースにより、晩年のマディはブルー・スカイ・レーベルより4枚のアルバムを発表している。

「ハード・アゲイン」、この「アイム・レディ」、「マディ・”ミシシッピー”・ウォーターズ・ライヴ」、そして「キング・ビー」である。

まずは、どーんとアップになったマディの顔のイラスト・ジャケットに圧倒される。62歳にしてこの凄み。さすがである。

「オレにすべてまかせな」といいたげな余裕の表情。そして音のほうも、まさに大物の風格を感じさせるものだ。

まずはタイトル・チューン、50年代からおなじみのナンバー「アイム・レディ」でスタート。

歌いっぷりがまた、余裕綽々という感じでよろしい。リスナーに「用意はいいかな? オレはもうOKだぜ」と先制攻撃をかけているってところだ。

続いて、マディのスライド・ギターで始まるオリジナルの「33 YEARS」。マディの歌もさることながら、この曲ではバックのビッグ・ウォルター・ホートンのハープが素晴らしい。

これもオリジナルの「フー・ドゥ・ユー・トラスト」。ここでのスライド・ギターはジョニー・ウィンター。彼は、マディのサウンドの本質を実に正しく理解していて、マディの歌にしっくりと合ったソロを聴かせてくれる。

続く「コッパー・ブラウン」での、ウィンターの泣きのギターもいい。でも、自己主張し過ぎず、引くべきところは引いて、師匠マディをちゃんと立てる。そういうおくゆかしい心遣いも感じられる。

あくまでも、このアルバムの主役はマディであることを、プロデュースの基本姿勢としているのだ。

そして、代表曲「フーチー・クーチー・マン」。何度も録音されてきた曲だろうが、60代の彼が「オレは精力絶倫さ~」と自信に満ちた歌を聴かせると、ただただスゲーや~と感心するばかりである。

ホトケこと永井隆さんの著書「ブルーズ・パラダイス」にも書いてあったが、マディは晩年38歳も年下の女性と結婚していたそーな。ほんと、脱帽である。

この曲でもウィンターのスライド・ギター・ソロがカッコよろしい。

ギターでもレコーディングに参加しているジミー・ロジャースとの共作「メイミー」。つれない恋人にすがる男の歌。マディのスライド・ギターがその哀感を一層盛り上げてくれる。

そして「ロック・ミー」。エロティックな歌詞がごキゲンなナンバーだ。彼の実生活ともモロにリンクする、若い女相手に「オレをダディと呼んで欲しいのさ」という歌詞。く~っ、たまりませんなぁ。

「スクリーミン・アンド・クライン」も何度も録音されてきた、おなじみの曲。

この曲では毎度おなじみのマディ流スライド・ギター・ソロがたっぷり聴ける。

彼のフレーズは言ってみれば超ワン・パターンなのだが、最初の一撃でガツーンとやられて、後はもう一方的に向こうのペース、そんなエグさがある。

ラストは、サニーボーイ一世の「グッド・モーニング・リトル・スクール・ガール」。

齢62にして若い女の尻を追いかけまわす、御大ならではの選曲だな~(笑)。

いくつになっても、決して「枯れた境地」になることのない、アブラギッシュなマディ・ワールドが味わえる。

バックを固める、マディの昔からの仲間たち、ウォルター・ホートン、ジミー・ロジャース、パイントップ・パーキンス、ウィリー・ビッグアイ・スミスらも、リラックスしたムードでなかなかの好演を聴かせてくれる。

そしてもちろん、まとめ役のジョニー・ウィンターも、マディ・サウンドにマッチしたいいギターを弾いている。

まるで、好きな先生の前で、嬉々として答えを言う生徒のような感じで、ほほえましい。

とにかく、気の合った仲間同士のセッション風景がそのままアルバムになったような一枚。歌うこと、演奏することの楽しさがしっかりと伝わってくる。

マディ・ファン、ブルース・ファンでなくても、ぜひチェックして欲しい一枚だ。


音盤日誌「一日一枚」#57 ウィッシュボーン・アッシュ「NOUVEAU CALLS」(International Record Syndicate)

2022-01-10 05:01:00 | Weblog

2001年8月4日(土)



ウィッシュボーン・アッシュ「NOUVEAU CALLS」(International Record Syndicate)

ウィッシュボーン・アッシュ、この欄では1月以来の二度目の登場である。

何度もメンバーチェンジを繰り返した後、1988年、オリジナル・メンバーに戻っての録音。

何曲か聴いていて、はたと気づいたことがあった。まったく、ボーカルが登場しないのである。

もしやと思って、最後まで聴いてみたが、その通り、全編インストゥルメンタルというアルバムであったのだ。

それもそのはず、このアルバムはI.R.S.というレーベルの、「NO SPEAK」というオール・インストものシリーズの第二弾であった。

(他には、ピート・ヘイコック、スチュアート・コープランド(ご存知ポリスのドラマー)、ウィリアム・オービットといったアーティストがそれぞれのアルバムを出している)。

このアルバムには過去ボーカル入りで発表したナンバーも含めた全11曲を収録。プロデュースはウィリアム・オービット。スティング、ベリンダ・カーライル(元ゴーゴーズ)などともコラボレーションしたことのある、多才なマルチ・プレイヤーである。

このウィッシュボーン・アッシュ、もともと、ボーカルよりインストの方が得意なバンドではある。

下手というわけではないのだが、歌の方は演奏に比べるとイマイチ印象が薄い。やはり、高度のテクと絶妙のアンサンブルをほこる演奏こそが彼らの本領とは、誰もが認めるところだろう。

そういう意味でこの「NO SPEAK」、まさに彼らにうってつけの企画だったなとは思う。

確かに、演奏の水準は高い。とくに「IN THE SKIN」などは、前に紹介したライヴ・アルバム「LIVE-TIMELINE」でも演奏している曲だが、フュージョン風のアレンジながらも、熱くうねるようなスライド・ギター・プレイに、アッシュのブルース魂を強く感じる。

また、「SOMETHING'S HAPPENING IN ROOM」の軽快なテンポにのせたドライヴィング・ギター、「JOHNNY LEFT HOME WITHOUT IT」の重くステディなビート感、「SPIRIT FLIES FREE」や「REAL GUITARS HAVE WINGS」でのツイン・リードのからみ、泣きのギターも素晴らしい。

しかし、しかし、である。筆者としてはどこか「?」を感じてしまうのも事実なんである。

これはたしかにロックというフォーマットにのっとって演奏された音楽には違いない。でも、果たしてロックとして聴いていいのか?

もし、この一連の曲目をライヴで聴かされたら、われわれはノレるのか? 熱くなれるのだろうか? どうも違うような気がする。

ベンチャーズや高中正義、さらにはジェフ・ベックなどについても言えることなのだが、歌抜きのインスト、これはいくらロック・ビートでやろうが、泣きのギターを弾こうが、ロックがロックとして本来的に持っている「コール&レスポンス」という要素を決定的に欠いているように、筆者には思えるのだ。

たしかに彼らは、演奏テクニック的には一流である。

だが、聴衆の感情、聴衆のこころの微妙な動きを鋭く察知し、押しや引きを交えつつ、場を盛り上げていく、そういうインタラクティブなものがその音楽には乏しく、モダン・ジャズやクラシックなどのように純粋鑑賞用音楽になってしまっている、そういう気がする。

このアッシュもしかり。

だからであろう、何曲も聴いていると、どれもこれも似たような印象で、少し食傷気味になる。

ちょっとくらい下手でもいい。生の声、生の歌詞、生の感情をぶつけてこそ「ロック」なのではないだろうか。

もちろん、この後のアッシュ、決してインスト専門バンドとはならなかったから、このアルバムはあくまでも実験的な試みであったわけだが、これを聴くことで図らずも「ロックにとってインストゥルメンタルとは何か?」を考えることになったわけだ。

インストさえ巧ければロックが成立するわけではない。

生の声、生のうた、これなくしてはただのダンス・ミュージック、あるいは環境音楽に過ぎない、筆者はそう思っている。


音盤日誌「一日一枚」#56 フリートウッド・マック「THE MASTERS/LONDON LIVE '68」(Eagle)

2022-01-09 05:02:00 | Weblog

2001年7月28日(土)



フリートウッド・マック「THE MASTERS/LONDON LIVE '68」(Eagle)

先月、マックの「ブルーズ・ジャム・イン・シカゴ」を取上げてみたが、この一枚も、彼らがアルバム・デビューして間もない時期に録音されたものである。

タイトルでわかるように1968年4月、ロンドンは「ポリテクニック・オブ・セントラル・ロンドン」にてのライヴ盤。

聴衆は(推定)ほぼ全員オトコ。いかにもブルーズマニアな連中の「集会」という趣きのコンサート。

エルモア・ジェイムズの「ガット・トゥ・ムーヴ」にてステージは始まる。

もちろん、マックの看板スライド・ギタリスト、ジェレミー・スペンサーの最も信奉するアーティストへのトリビュートである。

続いての「アイ・ヘルド・マイ・ベイビー・ラスト・ナイト」も、エルモアのカバー。

リード・ヴォーカルはジェレミー・スペンサー。エルモアをほうふつとさせる、ラフで攻撃的なシャウトが聴ける。

彼もまだ、20代前半。圧倒的に「若い!」って印象の歌声である。

もう一曲、スペンサーのスライドを前面にフューチャーした「マイ・ベイビーズ・スウィート」。これはサニーボーイIIの作品。

「マイ・ベイビーズ・ア・グッダン」は、どこかで聞いたことがあるようなタイトルだが、スペンサーのオリジナル。

アップテンポのシャッフル・ナンバー。もちろんこの曲でも、スペンサーの達者なスライド・ソロが聴ける。

エルモアの「ダスト・マイ・ブルーム」の影響がモロに出た、ノリのいい曲、そして演奏だ。

一転、次の「ドント・ノウ・フィッチ・ウェイ・トゥ・ゴー」ではグリーンがリードギターを弾く。

ウィリー・ディクスン、パイントップ・パーキンス作のスロー・ブルース。

このソロが、実にいい。グリーンのお家芸、泣きとタメのギターが存分に楽しめる。

次はテンポを上げて、軽快なシャッッフル・ナンバー「バズ・ミー」を演奏。

ここでも、グリーンのレスポールは、素晴らしく伸びとツヤのあるフレーズを奏でている。ファン必聴。

「ウォリード・ドリーム」は、B・B・キングの作品。グリーン十八番のマイナー・スロー・ブルース。

「ブラック・マジック・ウーマン」の名演でその名をとどろかせたグリーンの、真骨頂が凝縮された一曲。

とにかく、その音色といい、フレージングといい、「神の技」の域に達している。

「ザ・ワールド・キープス・オン・ターニング」は、珍しくオリジナル。グリーンの作品。

重たいビートのギター、唸るようなヴォーカルが印象的な、スロー・テンポのワン・コード・ブルース。

オリジナルとはいえ、どう聴いても、後年のポップなマックの面影など全くない、純度120%のブルーズ・ワールドだ。もう、濃いのなんの(笑)。

ステージはミディアム・テンポの、「これぞブルース!」という歯切れのよいチューン、「ハウ・ブルー・キャン・ユー・ゲット」で佳境を迎える。

ラストは再び、スペンサーのスライド・ギターをフィーチャーした「ブリーディング・ハート」。

これまた、エルモアのナンバーである。

こうやって全編を聴いてみて感じたのは、彼らがもう、頭に「ど」がつくくらい「ブルーズ一徹」な集団だったということ。あたまのてっぺんからつま先まで、どっぷり黒人ブルース漬けなんである。

この音を聴いて、彼らがのちに、全米ナンバーワン・ヒット・アルバムを出すようなグループに変身するとは、誰が想像できたであろうか。

そういう意味で、マックほど変遷を重ねたバンドも珍しいといえるだろう。

「噂」以降でマックを知り、聴くようになったファンがこの一枚を聴いて、どのように感じるだろう。

おそらく、「何、これ?」なんであろうが(笑)。

でも、筆者的には、この「純粋にブルースを追求するマック」も大好きである。

なんといったって、ピーター・グリーンという不世出のギタリストの、一番旬な時期の演奏がきけるんだから。

「くさやの干物」のように、最初はそのブルース濃度の高さに「オエッ」となるかも知れないが、聴けば聴くほど、味わいの出てくる一枚でっせ。

だまされたと思って(笑)、一度聴いてみておくんなせえ。


音盤日誌「一日一枚」#55 テイスト「THE BEST OF TASTE」(Polydor)

2022-01-08 05:11:00 | Weblog

2001年7月21日(土)



テイスト「THE BEST OF TASTE」(Polydor)

6年前、46才の若さで亡くなったアイルランド出身のギタリスト/シンガー、ロリー・ギャラガーを覚えておいでだろうか。

彼が率いてレコード・デビューしたグループ、それが「テイスト」である。

グループの結成は66年。ロリー、17才のときである。

メンバーは彼のほか、ベースのリッチー・マクラッケン、ドラムスのジョン・ウィルスンの3名。ロック・バンドの最小単位のトリオ編成である。

となると、フォーマット的にどうしてもクリーム、BB&Aといったトリオと比較されがちだが、テイストも彼らに決してひけを取ることのない、高い実力と個性を持っている。

ハード・ロック的なセンス、演奏能力も十分に持ち合わせてはいるが、基本は、あくまでもブルース。

ロリーの弾くギター・フレーズは、本当にブルーズィの一語である。

前置きが長くなったが、とにかく、このベスト・アルバムを聴いてみよう。

彼らのメジャー・デビューは69年。実は既に67年、小レーベルから「FIRST TASTE」なるデビュー・アルバムを出してはいるのだが、世間に知られるようになったのはポリドールから「TASTE」をリリースしてからである。

以降、「ON THE BOARDS」「LIVE TASTE」「LIVE AT THE ISLE OF WIGHT」と、計4枚のアルバムを出し、71年には早くも解散している。

その後、ロリーはソロとなりブレイクするわけだが、このベスト盤は4枚のアルバムから、1・2枚目を中心に代表的な16曲をピック・アップしている。

まずは「Blister on the Moon」でスタート。ロリーのオリジナル。

これは「TASTE」でも1曲目に収められており、彼らにとっても記念すべきファースト・アピアランスである。

のっけから、ギターとベースが激しく絡みあうリフの連続、そしてヘヴィーなギターソロがさえわたる。

続く「Born on the Wrong Side of Time」も「TASTE」所収のロリーのオリジナル。アコギを加えてサウンドに厚みのある、トラッド風の作品。

「Leavin' Blues」はレッドベリーのカバー。もろに、ロリー好みのブルースなチューンである。ここではシャープな音のスライド・ギターが聴きもの。

「Hail」、「Same Old Story」、いずれもオリジナル。

前者は、アコギとボーカルのユニゾンによるサウンドが面白い、カントリー・ブルース調。

後者は、その特徴的なリフを、ダウンタウン・ブギウギ・バンドが「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」でパクったという作品である。いかにもストラト!って音のアグレッシブなソロが聴ける。彼のウリのひとつ、ギターとスキャットのユニゾンも既に聴くことが出来る。

「Catfish」はロバート・ペットウェイほかで知られる、トラディショナル・ブルースの代表的ナンバー。ベースブリブリ、へヴィーなアレンジが実にカッコよい。エコーをきかせたサイケデリックなギター・ソロもグー。

次のカントリー調ブルース、「I'm Movin' On」までの計7曲が「TASTE」からの選曲ということになる。

こうやって聴いてみると、デビュー・アルバムにして既にかなり高い完成度である。アメリカの黒人ブルースをきちんと消化して自分なりのものとしている。

とても、22才くらいの若者たちが生み出している音とは思えない。

かなり昔のブルースを貪欲に聴き込んでいった跡が感じられる。

「What's Going On」からの6曲はセカンド・アルバム「ON THE BOARDS」からのセレクション。

このアルバムでは、ほとんどが、彼のオリジナル曲となっており、曲作りにもさらに磨きがかかっている。

「What's Going On」のギター・フレーズは、ブルースだけでなく、さまざまな音楽を吸収した成果の、幅広さを感じさせる。

「Railway and Gun」はオーソドックスなスタイルのブルースにのせて、トリッキーな早弾きが炸裂。

「Eat My Words」は達者なスライド・プレイが堪能できるブルース。ブルースマン・ロリー・ギャラガーとしての面目躍如の一曲。

タイトル・チューン「On the Boards」は、あえてブルースを離れて、ジャズっぽいフレーズを聴かせてくれる異色のナンバー。彼の引き出しの多さがうかがえる。

「It's Happened Before, It'll Happen Again」もジャズィーな一曲。フォービート、ウォーキング・ベースにのせて、非ブルース的なコード&リード・プレイを展開。

多分に「実験」的性格の強いナンバーだが、音楽研究への熱意には舌を巻くばかりである。

「If the Day Was Any Longer」は一転、ダウンホームなフォーク・ブルースである。

ロリーはここでは、いなたいハーモニカもプレイ。これもまたよし、である。

最後の3曲はライヴもの。まずは「LIVE TASTE」(70年モントルー・ジャズ・フェスティバルでの録音)から「I Feel So Good」。

もちろん、かのビッグ・ビル・ブルーンジーの名曲のカバーだが、とにかく、演奏の熱気がスゴい。

飛び散る汗が目に浮かぶような、ハードに叫び、弾きまくり、突き進む演奏に、圧倒されてしまう。

筆者はこの「LIVE TASTE」を高一の頃に買ったのだが、この曲をはじめとする大半の曲での、ほとんどメロディの痕跡をとどめない(笑)、ひたすらシャウトするラフなボーカルにうちのめされたものである。

また、リチャードのベース・ソロ、ジョンのドラム・ソロを聴くと、他のメンバーもなかなかにテクニシャンであることがよくわかる。

そして、同じく「LIVE TASTE」からのスロー・ブルース、「Sugar Mama」。

ロリーのオリジナルということだが、タイトルから察しられるように、当然、サニーボーイ二世の強い影響下に作られたのだろう。

この曲もまた、気合いがスゴい。手加減なし、8分以上にわたって、熱く激しくドライヴするサウンドは聴きごたえ十分。

最後は「LIVE AT THE ISLE OF WIGHT」(69年ワイト島フェスティバルでの録音)から、彼の代表作「Sinner Boy」。

これまた、得意のスライド・ギターが全面にフィーチュアされた、オリジナル・ブルース。

オーディエンスをアオる、ワイルドなボーカルが実にイカしている。もう、上手い下手を超越しているんである。

やはり、テイストの本領はライヴでこそ発揮されるって感じだ。長期にわたるツアーの中で成長してきたバンドだけに。

このCDでは3曲と曲数は少ないが、彼らの生の魅力を十分知ることが出来るだろう。

テイスト、解散して30年もの歳月が過ぎたが、いまだにそのサウンドの「熱さ」は変わることはない。

現在オアシスに代表される「アイリッシュ・ロック」の源流ともいうべき、このグループ、ご存知でないかたも、ぜひチェックしてみて欲しい。


音盤日誌「一日一枚」#54 VA「シークレット・ポリスマンズ・コンサート」(ポリスター)

2022-01-07 05:48:00 | Weblog

2001年7月14日(土)



VA「シークレット・ポリスマンズ・コンサート」(ポリスター)

今日の一枚は1981年の録音だから、20年前の音盤。皆さん、覚えておいでだろうか。

国際人権擁護団体「アムネスティ・インターナショナル」を支援するため、79年より始まったコンサートが、この「シークレット・ポリスマンズ・コンサート」。

なかでもこの81年のは、出演者の顔ぶれが素晴らしい。

曲順どおりに紹介していくと、まずはスティングがアコギを抱えて登場。

ポリスのヒットでおなじみの「ロクサーヌ」、そして「孤独のメッセージ」を弾き語りで披露してくれる。

シンプルなサウンドに乗った、哀愁に満ちた歌声がなんとも言えずよろしい。

続いて、エリック・クラプトン、ジェフ・ベックの旧友コンビが登場。

スティーヴィ・ワンダー作の「哀しみの恋人たち」、クラプトンの十八番「ファーザー・アップ・ザ・ロード」、そして極めつけは、「クロスロード」。

いずれも、ガッツあふれる好演。それも、ふたりのギター・スタイルの違いがはっきり出ていて、興味深い。

彼らのファンなら、この3曲を聴くだけのためにこの一枚を買っても損はないだろう。

さらには、ボブ・ゲルドフが、彼率いるブームタウン・ラッツの大ヒット「哀愁のマンデイ」を、ジョニー・フィンガーズのピアノをバックに熱唱。これもまた、シンプルなのに力強い音だ。

ジェネシスのドラマーにしてソロ・シンガー、フィル・コリンズも登場。

ソロ・アルバムから「夜の囁き」「天を仰いで」を、自らのピアノ、そしてアコギやバンジョーのアンプラグド・サウンドをバックに歌ってくれる。

英国のベテラン・フォークシンガー、ドノバンも2曲、バフィ・セント・メリーの「ユニバーサル・ソルジャー」、オリジナルの「キャッチ・ザ・ウィンド」を歌う。

もちろん、彼自身のアコギとハープによる弾き語りだ。

ステージの最後は、シークレット・ポリスマン、つまりオール・キャストによる合同演奏。

ボブ・ディランの名曲「アイ・シャル・ビー・リリースト」を9分近くに及ぶ熱演。

とまあ、盛りだくさんの内容で、聴きどころも多いのだが、ここでふと思うのは、これらトップ・アーティストのその後、そして現在。

いまだに現役でがんばっている人もいれば、いつの間にやら一線を退いた人もいる。

でも、いずれにせよ、ポップ・ミュージック・シーンの表舞台には、ほとんど登場しなくなってしまった。

クラプトンのように、たまにヒットが出たり、アルバムがよく売れるという例外もあるが、彼の昔を良く知る年齢層のひとびとがいまだに支持し続けることで成り立っている「人気」ともいえる。

いわば、みんな「過去の人」になってしまったのである。

これは、ロック&ポップ・ミュージックが「若気の産物」であることから来る「宿命」なのだろうが、でも少し残念ではある。

そこで、われわれにせめて出来ることと言えば、今の彼らのどこか気の抜けたようなプレイを聴くよりは、彼らの「旬」の時期のプレイを聴き続けて、全盛期のプレイの素晴らしさを後のちまでも語り継いでいくこと、これしかないように思う。

そういう意味で、レコード・CDはいつでも「あの頃」をわれわれに甦らせてくれる。素晴らしいことだ。

今日の一枚、音もいかしているが、そのヴィジュアルも、もちろんいい。

やはりいずれもトップ・スター。ステージの立ち姿はほれぼれするくらい、カッコよい。

とくにベック、クラプトンは、最高にステージ映えのするふたりだと思う。

CDだけでなく、DVD版が日本コロムビアから発売されているので、これから購入される方はそれがおススメである。

ぜひ、ロックがあらゆるポップ・ミュージックの中で一番カッコよかった「あの時代」をふりかえって見てほしい。


音盤日誌「一日一枚」#53 スティーヴィ・レイ・ヴォーン&ダブル・トラブル「ライヴ・アライヴ」(EPIC)

2022-01-06 05:26:00 | Weblog

2001年7月8日(日)



スティーヴィ・レイ・ヴォーン&ダブル・トラブル「ライヴ・アライヴ」(EPIC)

この8月で、スティーヴィ・レイ・ヴォーンが35才の若さで亡くなってからまる11年が経つという。

へえ、もうそんなになるのかいのーと思いつつ、86年に発表されたこのライヴ・アルバムを聴いてみる。

全13曲、70分におよぶパフォーマンスが収録されている。85年モントルー、86年オースティン、ダラスでの録音。

ワウワウ全開のインスト・ナンバー「セイ・ホワット」からスタート。ミディアム・テンポでのっけから快調に観客を引っ張る。つかみはOKだ。

続いて、スロー・ブルース「ギヴ・アップ・オン・ラヴ」。なめらかなボーカル、そして泣きのギターを聴かせる。

このへんの「切り替え」が実に巧い。

おなじみのシャッフル・ビート・ナンバーは「プライド・アンド・ジョイ」。はねるようなメロディ・ラインが印象的。

ここでは、キーボードのリース・ワイナンスが乗りのいいピアノを聴かせてくれる。

3曲、オリジナルで固めてきたかと思えば、次はバディ・ガイの「マリー・ハド・ア・リトル・ラム」をカバー。

ガイも彼のお気に入りのギタリストのひとりなのである。トリッキーで攻撃的なギター・プレイは、どこかガイに通ずるものがある。

さらにはスティーヴィつながり(?)か、スティーヴィ・ワンダーの「迷信」もカバー。

レイ・ヴォーン・バージョンは、おどろおどろしいところもなく、意外にさらっとしたアレンジのファンク・ナンバーに仕上がっている。後半からはスティーヴィ節のギターが聴かれるのだが。

ワンダー・バージョン、BBAバージョンと聴き比べてみると面白いだろう。

続いてハウリン・ウルフの「アイム・リーヴィング・ユー」。典型的なワン・コード・ブルースだ。

この曲では、ウルフにせまるド迫力ボーカルを聴くことが出来る。そのギター・プレイにのみ注目されがちなレイ・ヴォーンだが、その骨太でワイルドな歌声もまた、彼の魅力のひとつだろう。

セカンド・アルバム収録の「コールド・ショット」はミディアム・テンポのナンバー。ステディなビートに乗せて、派手にスクウィーズするギター・プレイが聴きもの。

以下、「ウィーリー・ザ・ウィンプ」「ルック・アット・リトル・シスター」と続くが、これにはスティーヴィの実兄、ファビュラス・サンダーバーズを率いるジミー・ヴォーンがゲスト出演しているのが目を引く。

デビュー・アルバム(83年)のタイトル・チューン「テキサス・フラッド」では、彼を一躍時代の寵児たらしめた、まさに洪水の奔流のごときフレーズが堪能出来る。スロー・ブルースの名作だ。

そして、ハイライトは、「ヴードゥー・チャイル」。いうまでもなく、彼に最も影響を与えたギタリストのひとり、ジミ・ヘンドリクスに捧げられたナンバー。9分半におよぶ大熱演。

聴いて総毛が立つ、そんな感じの実にスリリングなパフォーマンス。

ジミの魂が乗り移ったかのような、ガッツにあふれたプレイ、これは一聴の価値あり。

最後の2曲では、ふたたびジミー・ヴォーンが登場。

珍しくアップ・テンポの「ラヴ・ストラック・ベイビー」では、ノリノリのロックン・ロール大会。

そして、これもデビュー・アルバム所収のミディアム・テンポ・ナンバー、「チェンジ・イット」でエンディング。

看板の哀愁味あふれるギター・プレイで締めくくってくれる。

筆者が思うに、スティーヴィ・レイ・ヴォーンのサウンドの最大の魅力とは、一聴してすぐ彼のと判るギターの「音色」、エッジの立った独特のストラト・トーン、これではないだろうか。

彼が師と仰ぐアルバート・キングが、聴けばすぐ判る彼特有の音色を持っていたように、彼もさまざまなアーティストの影響を受けつつも、やはり彼にしか出せない「音色」を確かに出している。

ロックだのブルースだのとカテゴライズする意味も必要もない、「SRV」という名のジャンルを、そのユニークな音色で彼は打ち立てた。

これが死後10年以上を経てもなお、多くのリスナーに愛聴され続けている理由ではないかと思う。

この1枚、もともとアナログ盤では2枚組だっただけに、ボリューム満点、聴き応え十分。

あなたも、ぜひ、このライヴ盤でSRVワールドを満喫して欲しい。


音盤日誌「一日一枚」#52 フェイセズ「A NOD IS AS GOOD AS A WINK...TO A BLIND HORSE」(WARNER BROS.)

2022-01-05 05:07:00 | Weblog

2001年6月30日(土)



フェイセズ「A NOD IS AS GOOD AS A WINK...TO A BLIND HORSE」(WARNER BROS.)

先日、第一期ジェフ・ベック・グループを取り上げたが、69年のグループ解散後、そのうちのロッドとロンのふたりが行った先がこのフェイセズ(当初はスモール・フェイセズ)。

このふたりが参入したことは、スティーヴ・マリオットという立役者を失っていたスモール・フェイセズにとって、またとない「戦力増強」であった。

確かに米国でも何曲かのヒットを放っていたものの、どこか英国ローカル色を抜けられなかったマリオット時代に比べると、大幅にパワー・アップし、全世界的な人気を獲得するようになる。

それは、なんといってもロッド・スチュアートの「スター性」によるところが大きい。

マリオットも音楽的実力はものすごいが、いまひとつスター性にかけるうらみがある。

これは、もう天性のものであって努力ではいかんともしがたい、そういうものなのだ。

ロッドの容姿、そして歌声のもつ「華」、これはスティーヴ・マリオットだろうが、ゲイリー・ホプキンスだろうが、まるでかなわない。

デビューして1年あまり、人気もうなぎ登り状態であった彼らのサード・アルバムがこれ、「馬の耳に念仏」である(しかし、この邦題、うまくつけたもんだね~)。

すでにロッドはフェイセズと並行してソロ・レコーディングにも力を入れていた。ほぼ同時期にリリースしたアルバム「エヴリ・ピクチュア・テルズ・ア・ストーリー」、シングル「マギー・メイ」も大ヒットした。

もちろん、グループのアルバムのほうも、大ヒット。日本のリスナーにもフェイセズの名を定着させたといってよい。

30年を経た今、あらためて聴いてみると、実にいいんだな、これが。

奇をてらった進歩的なサウンドを聴かせるわけでもない。これ見よがしのテクニックを披露するわけでもない。

あくまでもシンプルでオーソドックスなロックン・ロール、R&Bを聴かせるバンド・サウンド。

だが、ロッドの歌は何と言ってもうまいし、気の合った仲間をバックに生き生きと歌っている感じで、魅力的だ。

シングル・ヒットした「ステイ・ウィズ・ミー」(ロッド&ロンの共作)を中心の9曲。

ほとんどはオリジナルだが、唯一、チャック・ベリーの「メンフィス、テネシー」をカバーしているのが目につく。

このどこかイナタい曲を、イナタめに歌うロッドがイカしている。

アメリカ市場を狙って、ど真ん中にストライクが決まった、そんな感じだ。

他の多くの曲はロッド&ロンによるものだが、意外にがんばって何曲も書き、かつリード・ヴォーカルもとっているのが、オリジナル・メンバーのロニー・レイン(b)。

彼はマリオット在籍時、コンビで名曲を数多く生み出してきただけあって、ソング・ライティングにもセンスがあり、歌声にもロッドとは違った軽妙な味わいがある。もうひとりのリード・ヴォーカリストといっていいだろう。

それから、サウンド作りの上で面白く感じたのは、ロン・ウッドがほとんどギター・ソロらしいソロを弾かないということだ。あくまでも、歌のバッキングに徹しており、たまにスライド・ギターで短いソロを入れる程度なのだ。

他のメンバーの演奏についても同様のことがいえるが、アンサンブル重視で、誰かひとりがでしゃばるということはまるでない。

演奏重視の傾向の強いブリティッシュ・ロックのバンドには珍しい、ヴォーカルをまず重視したサウンド作り、このへんにフェイセズのアメリカでの人気の理由があるように思った。

このアルバムの後フェイセズは、ロニー・レインの脱退、山内テツの参加などいろいろあり、75年暮れには解散してしまう。

ロッドはご存知のように、ソロ・シンガーとして大成功をおさめ、ロンはストーンズへ迎え入れられ、残ったメンバーはマリオットとスモール・フェイセズを再結成することになるのだが。

とにかくこの一枚、スモール・フェイセズ以来の、「歌作り」を重視する姿勢が反映されていて、聴きごたえのあるアルバムに仕上がっている。

歳月の流れに負けて風化することのない一枚といえそうだ。

昔よく聴いたあなたも、ぜひもう一度ライブラリーから引っぱり出して、聴いてみてほしい。


音盤日誌「一日一枚」#51 エリック・クラプトン「エリック・クラプトン・ライヴ(E.C. WAS HERE)」(POLYDOR)

2022-01-04 05:04:00 | Weblog

2001年6月23日(土)



エリック・クラプトン「エリック・クラプトン・ライヴ(E.C. WAS HERE)」(POLYDOR)

最近、完全引退するだの、いやレコーディングは続けるだのと、なにかと世間をお騒がせしているクラプトン。

まあ、引退をほのめかしたのは今回が初めてじゃないから、「またか」という気もしたのだが、ファンのひとりとして、まるで気にならないというとウソになる。

だいたい、引退うんぬんを語ること自体、人生すなわちブルースを歌うことという「ブルースマン」像からほど遠いことなのだが。

そのへんの論議はとりあえずおいといて、今日の一枚である。

74年から75年にかけての、英米各地でのライヴ録音。

以前、「BLUES」でのライヴ・プレイに不満をもらした筆者だが、この一枚は結構いいとおもう。

まずはスロー・ブルース、「ハヴ・ユー・エヴァー・ラヴド・ア・ウーマン」。

「レイラ」にも収録されていたが、8分以内という、ほどよい長さでまとめたのはマル。

「ストーミー・マンデイ」のように12分もやられた日には、この手の曲、聴かせられる側もウンザリするんである。

ステージを固唾を飲んで観ているぶんには、さほど冗長に感じないのだろうが、レコード化したものを聴くとなると、そこに展開される「音」だけで純粋に判断するわけで、当然シビアにならざるをえない。

「プレゼンス・オブ・ザ・ロード」、これはブラインド・フェイス時代の曲。クラプトン自身の作品。

スティーヴィ・ウィンウッドのような声量やテクニックがあるわけではないが、クラプトンも自分なりに消化して歌いこなしているのには好感が持てた。

実力派の女性歌手、イヴォンヌ・エリマンと組んだのも大正解。

クラプトンの歌の線の細さを見事にカバーして、ブラインド・フェイス版以上にソウルフルなナンバーに仕上がっている。

続いてはチャールズ・ブラウンの代表曲「ドリフティング・ブルース」。

クラプトンはここでは、まずアコースティック・ギターを使って、ダウンホームなサウンドを奏でている。

これぞブルース、という感じの音だ。

ジョージ・テリーも、派手さはないが正統派ブルース・ギターの弾き手で、クラプトンの音とよくなじんでいる。

後半ではクラプトンのスライド・ギターも聴ける。そして、なぜか5曲目にも出てくる「ランブリング・オン・マイ・マインド」をつないで歌っている。11分以上という時間の長さを感じさせない、実に気合いの入った演奏だ。

こういうガッツが、ここ10年ほどのレコーディングには余り感じられないんだよな~。

金もガッポリ稼いだし、うんと若い彼女もできたし、音楽への意欲がわかなくなるのもしかたないのかも知れんが…。

言ってみれば、今のクラプトンは「昔の名前で出ています」という感じで、ヴェンチャーズなんかとさほど変わらないって気がする。長くやっているだけあって、CD、出せば売れるし。

そんなこんなが、今回の引退(?)発言につながっていったってところやね。

さて、アルバムの後半はブラインド・フェイス時代のナンバー「マイ・ウェイ・ホーム」から。ウィンウッドの作品。

こちらもイヴォンヌとのデュエットがいい感じである。

また、アコースティック・ギターのソロも味わい深い。今聴いても名曲だと思います、これ。

さらには、ロバート・ジョンスンの「ランブリング・オン・マイ・マインド」。

ゆったりとしたミディアム・スローのテンポで、最初はつぶやくように歌いだし、じわじわと盛り上げていく構成だ。

半音ずつ転調につぐ転調を重ねていくギター・ソロもカッコ良し。

やっぱ、クラプトンは、バリバリ弾きまくってこそクラプトンだと思う。

ラストはおなじみ「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」。

いくつかのライヴ・バージョンが録音されているナンバーだが、これも快演。

クラプトンのギターも実に軽快にドライヴしている。

テリーのギター・プレイは控えめで、クラプトンをうまく「立てて」いる感じだ。

アルバート・リーと共演したヴァージョンでは、リーの超絶技巧にクラプトンが完全に食われてしまっていたが、この盤ではそういうこともない。いいアンサンブルだ。

筆者が考えるに、クラプトンの最盛期は65年から75年までの10年ではないだろうか。とくにギタリストとしては。

それからあとの四半世紀はその「遺産」で食っているという感じだ。

筆者は、クラプトンが親友ジョージ・ハリスンとともに来日して東京ドームで公演したとき、はじめてライヴを観たのだが、憧れの神様に会えたわりには、いまひとつそのプレイにハマれなかった。

ドームの音響の悪さもその一因だったが、なんだか、彼が過去の自分のプレイの「再生産」をしているだけに見えてならなかったのである。

65年からの10年間のプレイには、彼の音楽との苦闘のあとがはっきりと感じられる。音楽への深い愛情が感じられる。それがリスナーの心をうつのだ。

金がたまったから、引退してのんびり暮したい、そんなひとのCDには興味がないな。

彼が一番いい音を出していた頃、つまり60~70年代の音盤を聴いていたほうがよっぽどましだ。

ということで、皆さんにもぜひ聴いていただきたい。

ただし、ジャケ写のセンスの悪さはなんとかならんもんかな、と思う。

表ジャケはまだ許すとして、持っているかたはおわかりだろうが、ライナー裏の写真を見たときは、なんたる悪趣味!と思っちまったぞ。

クラプトンって、そーいうセンスのひとなのかいね~(爆)。