僕の希望、当然ながらパウロのいつの時代の今の人々に訴え、信じてもらいたい事柄は一つです。
◆パウロさんの神学論文というように読み取れるローマ人への手紙第11章(内容からいいますと9章からの一連での読みが必要ですね)は、異邦人にとっては、(当のユダヤ人の人たちにとっても)あまり人気がないかもしれない。人気云々というような言い方は良くないかもしれない、なぜといってそれは、神様の摂理(パウロは奥義)といっているから。僕ら地上にいる不完全な人間には、「そうでございますか」とそのまま受け取ること以外にない、謙虚に、実に誠実に! ここにきて、パウロは今まで13節から「あなたがた異邦人たちよ」に対して「兄弟たちよ」と再び先祖伝来の神の言われ、しきたり、つまり律法を体にしみ込ませてきたであろうと考えている、つまりパウロと少なくとも知識の上では同じ先理解のある人々、同胞に対して論理展開の究極点たる結論を述べています。
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(11:25)兄弟たちよ。あなた方が知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人(ひと)がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、
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◆ここにきて、パウロは”神の奥義”を知らないでいてもらいたくないと言う。
(僕も何冊か聖書を持っているが、当初のここのところは、読むには読んだが線などがほとんどひかれていない。聖書を読み始めると、本当に世界の今までの歴史というのを学ばねばいけないかと思わされるのだ。そうすると不思議なことに今の時代が理解されてくるように思われる。
◆聖書が面白くなくなたたら、”パウロの言いたいことは一つである事”を考え彼の書いた他の手紙も是非同時に読まれたし。パウロは他の手紙(書いた場所、あて先は異なれどパウロが異邦人の使徒として訴えたいことは一つなのである)で次のような言葉を残している。
実は、これが2017年の年が明けた今もこの時もパウロがひとりひとりに語りかけていることなのだ。そして、イエスが再び地上に迎えに来られるまでこのことは宣(の)べ伝えられ続けていくことであろうと思います。パウロは、その奥義は神からの啓示により知らされたと言っている。
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エペソ人への手紙第3章1節から6節
(3:1)あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているパウロ----
(3:2)わたしがあなたがたのために神から賜った恵の務について、あなたがたは確かに聞いたであろう。
(3:3)すなわち、すでに簡単に書きおくったように、わたしは啓示によって奥義を知らされたのである。
(3:4)あなたがたはそれを読めば、キリストの奥義をわたしがどう理解しているかがわかる。
(3:5)この奥義は、いまは、御霊(みたま)によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。
(3:6)それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。
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◆パウロさんの神学論文というように読み取れるローマ人への手紙第11章(内容からいいますと9章からの一連での読みが必要ですね)は、異邦人にとっては、(当のユダヤ人の人たちにとっても)あまり人気がないかもしれない。人気云々というような言い方は良くないかもしれない、なぜといってそれは、神様の摂理(パウロは奥義)といっているから。僕ら地上にいる不完全な人間には、「そうでございますか」とそのまま受け取ること以外にない、謙虚に、実に誠実に! ここにきて、パウロは今まで13節から「あなたがた異邦人たちよ」に対して「兄弟たちよ」と再び先祖伝来の神の言われ、しきたり、つまり律法を体にしみ込ませてきたであろうと考えている、つまりパウロと少なくとも知識の上では同じ先理解のある人々、同胞に対して論理展開の究極点たる結論を述べています。
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(11:25)兄弟たちよ。あなた方が知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人(ひと)がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、
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◆ここにきて、パウロは”神の奥義”を知らないでいてもらいたくないと言う。
(僕も何冊か聖書を持っているが、当初のここのところは、読むには読んだが線などがほとんどひかれていない。聖書を読み始めると、本当に世界の今までの歴史というのを学ばねばいけないかと思わされるのだ。そうすると不思議なことに今の時代が理解されてくるように思われる。
◆聖書が面白くなくなたたら、”パウロの言いたいことは一つである事”を考え彼の書いた他の手紙も是非同時に読まれたし。パウロは他の手紙(書いた場所、あて先は異なれどパウロが異邦人の使徒として訴えたいことは一つなのである)で次のような言葉を残している。
実は、これが2017年の年が明けた今もこの時もパウロがひとりひとりに語りかけていることなのだ。そして、イエスが再び地上に迎えに来られるまでこのことは宣(の)べ伝えられ続けていくことであろうと思います。パウロは、その奥義は神からの啓示により知らされたと言っている。
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エペソ人への手紙第3章1節から6節
(3:1)あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているパウロ----
(3:2)わたしがあなたがたのために神から賜った恵の務について、あなたがたは確かに聞いたであろう。
(3:3)すなわち、すでに簡単に書きおくったように、わたしは啓示によって奥義を知らされたのである。
(3:4)あなたがたはそれを読めば、キリストの奥義をわたしがどう理解しているかがわかる。
(3:5)この奥義は、いまは、御霊(みたま)によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。
(3:6)それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。
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