キリスト教が今や普遍的世界宗教となったとはいえ、また、この異邦人伝道者として立てられた使徒パウロの書いたローマ人への手紙がとても著名で研究されているとはいえ、2017年の今から見れば時代的制約があったことは否めない訳ですが、当然、当時は制約など無くまったくない中でのパウロの手紙であったということになるのです。
◆それは、パウロが語っている第13章のところです。ここでパウロは、その手紙を書いているその時を神がその状況を設定され動かされていると信じて書いているのです。
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(13:1)すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。
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◆あれから2000年以上は経過しています。いろいろなことがキリスト教の歴史にもありました。生きている政治状況、経済的繁栄など、真実を書くとすれば、その時代を受け取って書くと言うことになるでしょう。パウロが生きて書いた時は、まさに第13章のこの節に書かれた通りを信じてもおかしい時代(時)ではなかったのです。(それは神がそう設定されたということに成るのでしょうけれど)
◆キリスト教の歴史と、使徒などの働き、また以降の伝道者や隠遁生活、修道院とかのあり方などを或程度知っている今の時代から見れば、どうして(12:2)で”あなたがたは、この世と妥協してはならない”と書きつつ、(13:1)で”上の権威に従うべきである”などとあえて書くのかが自己矛盾のように読めますが、しかし、それは今から読めばの話です。パウロは、(12:2)のように彼岸的な味方、終末論的な考えも当然ありましたが、第13章1から7節は今という時(その当時)に十分生き、動き、働かれている神を目で見て、さわって生きる現実、パックス・ロマーナの世界に適応できる考え、その具体的指針を身をもって提示した人だと言うことになるのだと思います。そのパウロもその後、上の権威によって殉教しました。プロテスタントはしたがって、上の権威についてはそれがキリスト教となのっても最も自分に語りかけるイエスの声を重視することとなるのです。”「いつも祈れ、絶えず喜べ、すべてのこと感謝せよ」”と生きている神に。
◆パウロはその時(時代)を十分に今生かせるチャンスを優先して活用すべく手紙に書いたのでした。ですから、僕らが注意すべきは当初の布教伝道時代、燃えに燃えていた時代の聖人像に、後世のの清貧、隠遁、修道院などのいろいろな宗教問題も抱えることとなった聖人像を重ねて同時に理解してはいけないということなのです。400年後の聖アウグスティヌスなどの時代とは全然異なる創世の時代にあたるのです。ローマ時代といっても紀元前からの長い歴史があります。先の塩野七生さんの本の後にもローマの年表が記載されてますが、パウロが活躍したこの時代は、ローマの帝政がアウグストゥス帝によって確立、パックス・ロマーナの活気のある興隆期の時代であった訳です。貧困、争乱のあった時代ではなく大変な事業だあったけれど宣教に励むにふさわしい時であったことです。
◆こような時代背景でなければ、パウロは地の果てスペイン(イスパニア)にまで行きたいと述べることはなかってでしょう。地中海一帯はローマ帝国の支配下にありましたから・・・。使徒言行禄にパウロが、聖霊によってマケドニア(ギリシャ)に伝道に導かれる場面がでてきます。ヘブライズム、ヘレニズムの中にもまれて、やがて、すべての道はローマに続くといわれたローマ帝国の宗教になっていき、アルプスをこえてゲルマン民族に手渡され、プロテスタントは太平洋を越えてやがて日本にくるのです。・・・
◆それは、パウロが語っている第13章のところです。ここでパウロは、その手紙を書いているその時を神がその状況を設定され動かされていると信じて書いているのです。
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(13:1)すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。
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◆あれから2000年以上は経過しています。いろいろなことがキリスト教の歴史にもありました。生きている政治状況、経済的繁栄など、真実を書くとすれば、その時代を受け取って書くと言うことになるでしょう。パウロが生きて書いた時は、まさに第13章のこの節に書かれた通りを信じてもおかしい時代(時)ではなかったのです。(それは神がそう設定されたということに成るのでしょうけれど)
◆キリスト教の歴史と、使徒などの働き、また以降の伝道者や隠遁生活、修道院とかのあり方などを或程度知っている今の時代から見れば、どうして(12:2)で”あなたがたは、この世と妥協してはならない”と書きつつ、(13:1)で”上の権威に従うべきである”などとあえて書くのかが自己矛盾のように読めますが、しかし、それは今から読めばの話です。パウロは、(12:2)のように彼岸的な味方、終末論的な考えも当然ありましたが、第13章1から7節は今という時(その当時)に十分生き、動き、働かれている神を目で見て、さわって生きる現実、パックス・ロマーナの世界に適応できる考え、その具体的指針を身をもって提示した人だと言うことになるのだと思います。そのパウロもその後、上の権威によって殉教しました。プロテスタントはしたがって、上の権威についてはそれがキリスト教となのっても最も自分に語りかけるイエスの声を重視することとなるのです。”「いつも祈れ、絶えず喜べ、すべてのこと感謝せよ」”と生きている神に。
◆パウロはその時(時代)を十分に今生かせるチャンスを優先して活用すべく手紙に書いたのでした。ですから、僕らが注意すべきは当初の布教伝道時代、燃えに燃えていた時代の聖人像に、後世のの清貧、隠遁、修道院などのいろいろな宗教問題も抱えることとなった聖人像を重ねて同時に理解してはいけないということなのです。400年後の聖アウグスティヌスなどの時代とは全然異なる創世の時代にあたるのです。ローマ時代といっても紀元前からの長い歴史があります。先の塩野七生さんの本の後にもローマの年表が記載されてますが、パウロが活躍したこの時代は、ローマの帝政がアウグストゥス帝によって確立、パックス・ロマーナの活気のある興隆期の時代であった訳です。貧困、争乱のあった時代ではなく大変な事業だあったけれど宣教に励むにふさわしい時であったことです。
◆こような時代背景でなければ、パウロは地の果てスペイン(イスパニア)にまで行きたいと述べることはなかってでしょう。地中海一帯はローマ帝国の支配下にありましたから・・・。使徒言行禄にパウロが、聖霊によってマケドニア(ギリシャ)に伝道に導かれる場面がでてきます。ヘブライズム、ヘレニズムの中にもまれて、やがて、すべての道はローマに続くといわれたローマ帝国の宗教になっていき、アルプスをこえてゲルマン民族に手渡され、プロテスタントは太平洋を越えてやがて日本にくるのです。・・・