marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(238回目)脱線 ローマ人へ20の質問(Ⅲ)塩野七生 

2017-01-16 20:16:57 | 日記
パウロが第12章に入り、急に現在でも真摯に唯一の神(歴史上言われてきた古びたキリスト教という意味合いでなくて、今あなたに真摯に語る、すべてのしがらみから解放されたあなたの口にある、あなたの心にある神)を思うならば、先のようなローマの時代にですね、パウロがどうして、このような手紙を心からのホットな手紙を書いたのかわかるような気がしませんか。パウロさんは、ユダヤ人でありながら今のトルコの南、地中海に面した都市タルソで生まれ、生まれつきローマの市民権を持っていた。これはパウロの宣教時、この権威は大いに役にたった。それでは・・・
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◆質問11:ローマ法について
問)「どれほどローマを非難する人でも、法とは何かを明確にし、現代までつづく法治システムを創造したのがローマ人であることでは、意義を差し挟むことはできません。それで、当のローマ人は、法というものをどう考えていたのかを説明して欲しい。」→(ここで、ユダヤ人の十戒を上げて説明)結論づけて言えば、「ローマ文明とキリスト教文明の本質的な差異は、多神教と一神教の差異にあると考えます。法律に話を戻すとユダヤの法とローマの法の最大のちがいは、神がつくったか、それとも人間がつくったかにあります。つまり、神がつくったがゆえに絶対に変えてはならないユダヤの法と、人間の作になるがゆえに、不適当となれば改めるのが当然とされているローマ法の違いです。言い換えれば、法に人間を合わせるユダヤ的な考えと、人間に法を合わせるローマ的考えの違いなのです。」(p110)
「歴史の検証を生涯の仕事とした以上、民族と法の関連に想いをめぐらせないではすまないのです。それに人間は、行為の正し手なしには社会が成りたたない生き物でもある。それを何に求めたかは、その民族の鍵になりうるではないか。古代の三大民族ならば、次のようになります。人間の行為の正し手を、宗教にもとめたユダヤ人。哲学にもとめたギリシャ人。法律にもとめたローマ人。
宗教には共にしない人々には通用しない限界がある。哲学も限界がある。知的議論などその日暮らしのアテネ住民には知ったことではなかった。法律は宗教にも、知的関心の有無にも関係なく、多種多様民族であったから共に生きていくルールにすぎなかった。しかし、それだからこそ普遍妥当性をもてるのであって、法律くらい、普遍帝国を作ったローマ人にふさわしい創造物もない。」(p114)
◆その後で、日本の憲法改正についての見解についても問われ、意見を述べておりますが、話がさらに脱線しますので以降は立ち読みで。
古代にはキリスト教は入らない訳で、それだからこそ、僕が思うに前述の三大民族の正し手といわれていることを、個人の自由を表明して宗教たらしめてたのがキリスト教ということにならないだろうか。(今は、イエスの言葉は宗教というしがらみの枠からも解放されつつあると思う)パウロはローマで殉教し、その後のずっと後に・・・、
「紀元528年になって、東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌスによる『ローマ法大全』の編纂が始まります。この時代には西ローマ帝国は既に滅亡し、東ローマ帝国はキリスト教の帝国でローマ人は存在していなかったのです。多民族からなる帝国に、ローマ法の有用性は認めざるを得なかったから。この『ローマ法大全』は次の一文で始まります。-----われらが主、イエス・キリストの名において----
ローマ人によって打ち立てられた法の精神は、良しとなれば敵のものでも模倣することを恥じなかったローマ人と似ていなくもないキリスト教の柔軟性のおかげで、現代まで受け継がれることになったのでした。」(p112)
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このようなローマの時代背景をよくよく思い浮かべて、パウロのローマ人への手紙、特に12章以降を読んで欲しいと思う。その時代、パウロはどうしてあのような、実践倫理ごとくの内容も特に13章あたりはよく理解できるのではないだろうか。・・・Ω