marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(228回目)ローマ人への手紙(10章14節~21節)

2017-01-05 20:15:12 | 日記
パウロは第10章で、僕ら、いつの時代も、そのイエスの言葉に触れるには深い知識を求めるならば、神の義を知ることができるであろうしそれは、キリストはすべて信じる者に義を得させるために律法の終わりと成られたことが分かるであろうと、煎じ詰めれば1節から4節までそう述べている訳です。そして、宣(の)べつたえているのは信仰の言葉であるという。口でイエスは主であると告白すること、心で神が死人の中からイエスをよみがえらせた信じること。この2点が救われる条件であるパウロは教えている訳です。しかし、そこまで来るには個々人に与えられた課題に対するイエスからの教えという深い知識が必要であろうということでしょうけれど、それは、イエスを受け入れて、自分の言葉で彼と語りつつ(祈りつつ)歩むということが必要であるかもしれません。
◆ここで注意が必要かと思います。心で信じるということですが、それは誰か他の時とがお膳立ての上に安住することではないと思います。イエスが、自分の足で立ちなさいと足がなえた人に語られ、その人が歩み出したように。自分の足で立たなくてはならないのです。それは、どこまで行っても最後は自分の言葉でイエスと語らなければいけません。それが「言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある」(10:8)と語られていることなのだと思います。杓子定規に書かれた文字、信条、教義などというものは、他の人の総括的な言葉なのであって、教派分裂のもとなのですが、それに例え属していたとしても最後は、あなたがイエスと対話するその言葉にあるのです、ということを忘れてはいけない。普段着姿のあなたに語るイエスが、あなたの側にあるのです。その言葉はあなたの口にあり、心にあるのですから、となりますね。
◆さて、14節は、先祖伝来の聖書(旧約)に、未来の預言として救い主(つまりキリストの到来)が預言されていたとしても、現に書かれてあることが、しかりその方がそうだと言い伝える人がいなければどうして聞くことができるのか、さらにつかわされなくてはどうして宣(の)べつたえることがあろうかと。16節にイザヤの言葉を引用している。これは本来、文の流れとしては17節の後に来る内容のように思われる。14節:宣(の)べ伝える。そして聞く、それは17節:信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。それから、16節:すべての人が聞き従ったのではない、とイザヤの言葉を引用し、18節:彼らには聞こえなかったのであろうか。という流れにした方が、理解しやすいと思われる。
◆いずれ、ここで、パウロが10章に入り、兄弟たちに”深い知識”を求めた後に、このようにパウロ自身、聖書の言葉の引用を、多数用いていることを考えれば、深い理解とは、聖書(旧約)の神のみ言葉を深く理解しその意味を熟慮すれば、それは当時のユダヤ人でさえ追求されない聖書の言葉を受け身での行為として守ることのみに終始して、本来の意味が文字としてのみであり、生きて働く神が、詩人を通して、預言者を通してモーセをとおして言おうとしている内容の深い意味にまで理解されていないとパウロは訴えたかったのだろうと理解されるのです。自分のように自らの言葉で理解することを求めたのであると。
◇ここで、パウロが引用している旧約聖書の言葉は、その箇所においては本来、パウロが使用したような意味とは別のものであるが、ここで大胆にパウロはそれらの言葉を自分の言葉の理解のもとに採用して語っているのである。・・・  

世界のベストセラーを読む(227回目)脱線 奈良のガラス皿、ローマに通ず?

2017-01-05 19:21:49 | 日記
デアスポラ(離散)のユダヤ人達は東に向かい日本に来ていたかも・・・と前回書きましたが、誰が来ていたかはともかくとして、シルクロードか海路かを通って確かに、日本には彼らの大変な変動期時代、あちらから日本に来た人々はいたようです。2014年12月29日の朝日新聞デジタルに下記のような記事が掲載されていましたので一部を紹介します。
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 「奈良のガラス皿、ローマに通ず? 古墳で出土、化学組成ほぼ一致」
 奈良県橿原(かしはら)市の新沢千塚(にいざわせんづか)古墳群(国史跡)の126号墳(5世紀後半)で出土したガラス皿の化学組成が、ローマ帝国(前27~395年)領内で見つかったローマ・ガラスとほぼ一致した。東京理科大の阿部善也助教(分析化学)らの蛍光x線分析で分かった。国内の古墳出土品のガラス器がローマ伝来と科学的に裏付けられたのは初めて。
 126号墳から皿とセットで出土した円形切子(きりこ)ガラス括碗(くびれわん)(口径約8センチ、高さ約7センチ)の化学組成も、阿部さんらの分析でササン朝ペルシャ(226~651年)の首都、クテシフォンの王宮遺跡「ベー・アルダシール」で見つかったガラス片と同じと判明している。遠方の起源の異なるガラス器が5世紀の日本に伝来したことを示すもので、幅広い東西交流の実例として注目されそうだ。
 皿は口径14.1~14.5センチ。透明な濃紺色の高台のある平皿で、表面に鳥や樹木などに復元できる絵の痕跡がある。東京国立博物館が所蔵し、国の重要文化財に指定されている。
阿部さんらは、国立科学博物館が保管する皿の素材の粉末を蛍光x線分析装置で調査。ローマ帝国やその後の東ローマ帝国期の地中海周辺のガラスに特徴的なソーダ鉱物「ナトロン」と砂(シリカと石灰)の化学組成を確認した。
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 古事記、日本書紀以前に、多くの大陸からの交流があったことでしょう。文字に残されていない、あるいは、風土記など地方に行きますとありますが、僕などは、大陸から多くの文化を持って来た人たちがいて、今の日本の思想の根幹を形作ったのだろうななどと思うときがある。・・・ Ω