また友人が一人亡くなった、小学校の頃からの愛称を"ガンテツ"と言う。
故郷が同じで同級生だが、何をするにせよ常にリーダー的なところに出て来る奴である。
自分が分校から本校に合流した小学3年には、既に目立った存在でこんな奴も世の中に居るんだと、山猿で育ったような自分には強い刺激があったと思う。
小学6年から水沢に転校して行き、その後のガンテツがどうなったかは分からないが、盛岡一高に越境入学したとは人伝に聞いた事がある。
彼は鉄工加工業をしている会社の三代目で、先代はゼロ戦を作った技師と聞いている、男の子は彼だけであり、その会社を継ぐ事はガンテツが背負う運命であったと思う。
ガンテツと自分が再会するのは、30年後くらいになる、今回のタイトルが"ウサギとカメ"かは、同じ時代に生きた経営者でありながら、自分とは違う道を歩んだガンテツの生涯を検証してみたくてそうした次第である。
今回はちょっと長いブログになる
故郷が同じで同級生だが、何をするにせよ常にリーダー的なところに出て来る奴である。
自分が分校から本校に合流した小学3年には、既に目立った存在でこんな奴も世の中に居るんだと、山猿で育ったような自分には強い刺激があったと思う。
小学6年から水沢に転校して行き、その後のガンテツがどうなったかは分からないが、盛岡一高に越境入学したとは人伝に聞いた事がある。
彼は鉄工加工業をしている会社の三代目で、先代はゼロ戦を作った技師と聞いている、男の子は彼だけであり、その会社を継ぐ事はガンテツが背負う運命であったと思う。
ガンテツと自分が再会するのは、30年後くらいになる、今回のタイトルが"ウサギとカメ"かは、同じ時代に生きた経営者でありながら、自分とは違う道を歩んだガンテツの生涯を検証してみたくてそうした次第である。
今回はちょっと長いブログになる
=つづく=
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