スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

睦月雑感'21

2021年01月31日 | Weblog
 あれよあれよとばかりに月日が過ぎ去る。月初めは寒波が続き、月半ばは例年にない雪が降り、月後半は寒さが和らいだ、と思いきや末には10年振りの大雪になる。
 南国石垣島では桜が咲いたようだが、コロナ禍は新年のウキウキした高揚感をも奪い去っている。

石垣島の🌸

 20日は🇺🇸バイデン大統領が46代に就任し、トランプは最期は往生際悪かったが、結局4年で去って行った。然し、個人的には分かり易くて好きであった。対中国政策や北朝鮮との外交は大いに評価されることだろう。
 トランプ政権で世界秩序を乱す様に脱退した、WHO世界保健機構やパリ協定(脱炭素化枠組)はバイデンに変わり即復帰したが、脱退したのにはそれなりに理由があった訳だろうから、未来趣向に繋がる改訂版としての条件を突き付けてからでもよかったのでは?


 日本もコロナ国会をやっているが、難問だらけで菅総理の支持率も下がる一方、安倍政権で長いこと女房役をやって来たので、やれると思って就任を受けたのだろうが、人は夫々得意分野があるようで、官房長官時代のようには行かない。
烏合の衆となっている野党は野党で各大臣の答弁を遮り、総理の首をとることが、最大の目的とばかり、人格を否定する発言まで発するのでは、救い様がなく醜い。


 誰もが経験してことがない、この国難に回答はないのだから、今暫くは一人一人が自分の身を守るしかない。
そんな月も終わりそうだが、政治だけではなく、経済も人々の暮らし向もどんどん悪くなって行くのには忍びない。
 世界中でワクチン投与も始まっているのだから、間もなく明るいニュースが届く筈である。
            =おわり=


 


 


寒 波

2021年01月20日 | Weblog
 今日は24節季の大寒、年齢と共に身体が適応出来難くなっている酷寒の朝です。
 立冬(11/7)から春分(3/21)迄は9節季を要するから、北国ではこの135日間が大凡冬の季節である。そして、大寒から立春迄の14日が最も寒い季節と言われている。

 寒くなると人は整理的に脆弱になる、湿度が免疫に与える影響が大きく、コロナには乾燥は要注意、基礎疾患のない大切さが重要なんだとか。
 スズメバチに刺された人は2度目が要注意でアナフィラキシー=アレルギー体質は基礎疾患既往症。自分は数年前に刺され当てはまる。

 寒さは電力需給逼迫にもなる。人が動けば熱エネルギーが多く掛かる訳だから、コロナ禍は神が教えた減エネの生き方と捉えるべきだろうが、人々(自分も含め)は贅沢な暮らし向きを改められない。


 大寒にあたり、快適に暮らせているエネルギーに感謝し、見直す日と致したい。
               =おわり=

謹賀新年'21②

2021年01月11日 | Weblog
 子供の頃は正月が待ち遠しかった。年越しには餅つきをする。竈門(かまど)で米をふかし、臼と杵で餅をつく、つき手は父親、合とりは母親、つきたての餅を瞬時に捌くのは祖母、石油のない時代だった、この時の皆んなの笑顔が今も瞼に浮かぶ。
あれから何度も門松をくぐって来た、文明はとんでもなく変化し、正月の思い出も消えかかって来た。

賀状を頂いた懐かしい方のことにもう少し触れてみたい。


その3<大阪羽曳野市の八木貞憲さん>
 会社を起こし25年程経ち、空調機メーカーD社との繋がりも強くなり、メジャーな店として東北では認められるようになった。
 当時八木さんはその上場会社の常務としてご活躍されていた。ある時八木さんから京都旅行に招待された。
 販売促進のキャンペーン達成のご褒美旅行の類は各社で盛んに行われていた時代だったが、自分ら夫婦単独でのお誘いとは光栄の至りとお受けした。
 大阪空港に着いたなら、大型ハイヤーが迎えに来ていて、旅行中自由にお使い下さいと言われた。
 まだ若造の田舎者には、不慣れなことで窮屈な旅になったが、初めて経験する殿様旅行を楽しまさせて頂いた。
 唯一困ったことは、夕食が老舗の有名な鳥料理店であった。自分の干支は酉年で、当時鳥は口にしなかったので、高級料理に殆ど箸を付けず悪いことをした。


その4<名古屋の森真幸さん>
 50歳後半、起業した会社は二代目に任せ、国策である太陽光発電ビジネスに取り組んだ。新しいことに興味がある性格がそうしたのだが、その仕掛け先会社の責任部長として森さんは自分の前に現れた。
 自分と違わない年齢もあり、馬が合い新たなビジネスの市場開拓に汗を流した。
名古屋の生まれの彼は森蘭丸の子孫だと名乗り、戦国歴史に造詣が深かった。
 ただ寒さには全く弱くて、冬の岩手には足を踏み入れることはなかった。


 懐かしい方々とはなかなかお会いする機会はないが、思い出深く懐かしい。
            =おわり=


 


 


謹賀新年'21①

2021年01月03日 | Weblog
 ブログの読者様などとはおこがましくて申し上げられませんが、暇つぶしにブログを覗いている方々に新年の挨拶を致します。


 とは言っても今日は既に正月6日です。年賀状ペンを置いて何年も経つのに、未だ何通かの賀状ハガキが届きます。自分の非礼を差し置いて、便りがあればまだ忘れてられない喜びに浸っております。ありがとうございます。
 今年も何人かの懐かしい方から賀状を頂いた。

その1<釜石の山崎ひとみ様>

 昭和47年頃だったと思うが、冷暖房兼用ヒートポンプエアコン(以後HPと表す)を使用していた開業間もない歯医者さん。
空調後進県の岩手で自分が初めてHPを知り修理したお客様。その後平成26年(2014年)拡張新築の病院でもお世話になって現在進行形。
 当初、ご夫婦で歯科医を開業されていた、男先生(50代で亡くなる)の好みでのHPだったが、故障が多く頻繁に通った。当時、盛岡〜釜石は車で片道4時間の時代。現在は医療法人として地域医療の中枢、今回古希を機に賀状は終いにするとあった。

その2<大阪の岡功さん>

 昭和50年前半だったと思うが、D空調メーカーで市場シェアを上げる為の拡販策の仕掛け専任講師。
「一客入魂塾」と銘打って2泊3日のハードな研修を東北で最初に受講した。
 関西人特有のトークに反発して、講師とやり合った。然しその成果は大で、我が社は一皮剥けた、サービス会社から販売・工事もやれるプロ店としてD社の上位有力店となり、今も維持し続けている。
               =つづく=