スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

神無月雑感'18

2018年10月31日 | Weblog

先週、何年振りかで紅葉🍁見物に夫婦で出掛けて来た、行き先は初めて行く小安峡、秋田県南地方にあるが、岩手の須川、宮城の栗駒が隣接した位置にある、奥羽山脈の自然に抱かれた名勝地であった。

盛岡から東北道へ北上JCTから秋田道に入り、湯沢インターで降りて、一般道を30km、2時間半は結構な距離である。
宿泊した宿は地産地消の薄味創作料理と器が売り物のようであった。何か物足りなくて"お醤油下さい"と言ってしまった👅

そう言えば秋田と岩手は塩分の取り過ぎが原因と言われている、生活習慣病が起因する死亡率ワーストワンを競い合っているライバル県だった↘️

10月も瞬く間に過ぎて行く。暑さ寒さも彼岸までと言われるが、秋彼岸過ぎから立冬迄は冷房も暖房も要らない、凌ぎやすい季節になっている。昨年よりは寒さも遅いようだが、我輩と寝ているエコは、寒いそうで今宵は布団に潜ってお休みです💤

=おわり=





終わった人々

2018年10月27日 | Weblog
先週、エアコン専業メーカーD社の方々と懇談する機会があった。
顔を揃えたメンバーはD社の東北直営販社幹部と有力老舗協力店数社であった。目的はD社の元東北地方担当役員を囲む集いである。

(前例の真ん中の方を囲む会)

D社は今や世界企業として大躍進を遂げているが、丁度我が社が岩手の地で確固たる足跡を築いてきたこととダブっている。
このブログでも度々触れたことだが、昭和50年以前の東北はエアコン空調の不毛地帯で化石燃料によるエネルギーが主体であった。

それが、省エネ、大気汚染、化石燃料枯渇、地球温暖化、と環境問題が次々と起こり、地球規模でエアコンの普及が驚異の発展を遂げ現在に至っている。

言わばD社があっての我が社であるのだ、そのD社は今や業界世界トップ企業として地球環境に君臨している。
昔から技術のDと言われているが、何の技術かと問えば、筆頭はエネルギーを大幅に抑えるヒートポンプ技術で、この先もまだまだ先が楽しみである。

然し、この日集まったD社の幹部を除けば、私を含めて概ね終わった人々であった🙌(D社=ダイキン)
=おわり=


エコがつぶやく秋'18

2018年10月17日 | Weblog
親から貰った高級毛皮をまとっている我輩である。脱ぎたくても脱げないので夏は辛い、その暑さもいつの間にやら過ぎたようで、涼しく気持ちの良い季節になっているんだワン🐶

この季節男主人とは、雨の日以外は朝夕欠かさず散歩に行く、道すがら我輩も15年間の犬生でいろんな仲間を見て来た。
それが最近は、飾りものを身に纏った、チャラ吉やチャラ娘が多くなっていて、ジェネレーションギャップとやらを感じている。そんな時、2年前に昇天した妹のスシのことが無性に恋しくなるんだワン🐕
(ありし日の妹 スシ)

最近、隣に住む孫たちにすごく可愛がられている。隣は我輩のお母ちゃんの実家である、聞くところ相当賢く名犬と言われた母親であったようだ。
この母親から生まれた兄弟姉妹の中で、顔立ちも毛色も一番近いのが我輩のようで、母のおかげで得をしているんだろうな。そんなウナ一家で生きているのは会ったことがない弟と我輩だけになってしまったようだಠ_ಠ

(母のウナギ=7年前昇天)

今日は湿っぽくなってしまったワン🐩
=おわり=


スポーツの秋

2018年10月08日 | Weblog
涼風が心地良い台風一過の晴天が広がり、スポーツにベストな季節が訪れている。そうは言っても年齢的なハンディは避けられない。

山登りも2003年の富士山を最後に辞めた、あの時は下山の際に古傷の膝に苦しめられた。日本人なら生涯一度くらいはと決断して実行した登山であった。

ダイビングもスキーも楽しんだが、最も長くやっているのはゴルフであり、健康管理に欠かせないパートナースポーツになっている。何歳から始めたか忘れたが、30歳代から始めたことには間違いないから、足掛け40年にはなろう。今はスコアに拘るゴルフではないが、目の故障にも関わらず、プレー出来る幸せに感謝している。

自分は体が硬くて、中学ではバレー、高校ではバスケと部活に席を置いたが、その道を極めることは出来なかった、が山育ちだったから走ることは得意な方だった。

高校生の最後にクラスマッチのスポーツ大会があり、駅伝のアンカーで走った記憶がある。伴走する奴がオーバーペースも甚だしく、ゴールをしてから記憶を失った。然しこの駅伝が最終種目で我がクラスが逆転勝ちした。

(走る度トップランナーの葵)

先日、孫たちが通う校内マラソン大会があった。小6の葵は、6年間常にトップクラスの実績を重ねていて、今年も2位と奮闘、小2の日向は、葵が6年間果たしていなかった1位と天晴れな成績だった。

(天晴れの日向は左端)

自分も50年も経つのに、あの時の苦しさが成就した思い出が忘れられないでいる。孫たちも苦しさの後の歓びを、いつまでも忘れられないだろう。
=おわり=