スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

文月雑感

2016年07月31日 | Weblog
7月末小さな祭りがあった。
私の住んでいる地域は盛岡市の北西にあり、厨川や前九年という地名がある、ここは平安時代にこの地の豪族安倍一族の厨川の柵(館)があり、大和朝廷との戦に繋がる「前九年・後三年の役」の舞台になった地域であった。また古代(4000〜4500年前?)には相当大きな縄文集落があって、近年の発掘調査でその存在が明らかになっている、「大館町遺跡公園」と命名されている。
平成になり先人を検証し忘れないようにと、子供達と一緒に土器を焼いたりして、地域で縄文祭りを開催している。


何につけても催事には先に立つ方々が重要であり、その苦労は計り知れなく頭が下がる。自分もそんな年回りに差し掛かり、今年から祭りの準備に関わった。


文月もあっと言う間に過ぎ去ってしまった、久しぶりで雨空が多く、梅雨らしい季節ではなかったかと思っている。
北東北は6月13日に梅雨入りし、7月29日に明け一気に猛暑が訪れている。天候に恵まれれば、畑の野菜は豊作であり、ノーゼンカツラの花ぶりも最高だ。

=おわり=





料理の味

2016年07月25日 | Weblog
仙台市の東口に日本を代表する会社が経営するホテルがある、昨晩はこのホテルのレストランで友人二人とフルコースを楽しんだ。
その一人の友人Yさんは、今や空調では世界トップ企業に成長したDメーカーのOBで、このメーカーの東北研修所長的な立場で益々のご活躍をされている。

我が社は今年で会社設立44年になる、会社って倒産するように出来ていると言われるが、一度の赤字決算もなくここまで来ているのは奇跡としか思えない。
こうして生きながらえた一番のことはD社とお付き合いだと思っている。今や東北でも浸透している技術のD社であるが、当初は大阪の企業として東北には後発で馴染みが薄く、よくダスキンさんですかと言われたものである(≧∇≦)


この会社には、特工店(販売・サービス・工事・経営に優れている会社)という最高の資格があるが我が社はこの資格を23年継続して保持している、この事は新潟を含めた北日本では唯一であり、然も岩手の地でである、追随する会社はない。関西系のシビアな会社から私が社長時代に血と汗を流して、勝ち取ったものであり、二代目三代目がしっかりと守ってくれている。


そんな思い出話に花を咲かせた一夜であったが、料理の味は口には合わなかった、メインデッシュもお二人は残していた。
確かに国際ホテルであり外国のお客さんも利用していたが、この味で満足しているのか甚だ疑問に思った。
岩手は塩分過多が原因か脳梗塞死亡率が全国ワースト1と昨年報道された、この味付けでこの塩分であれば相当上位を目指せるだろうと判断したが、産地が山形と宮城と岩手の自分達には不満な味であった。その所為か二次会もない寂しいその夜となった。
=おわり=

海の日に想う

2016年07月18日 | Weblog
今日は国民の祝日で「海の日」、平成8年(1996) に制定されたもので20年になる。当初は7月20日だった、当時はこの日には必ず海に出かけたものである。
当時、千葉芳久(平成26年逝去)と言う陸前高田広田町出身の親友が居て、お互い若くして会社を起業した同年輩の仲間であった、潮風が似合うスケールの大きな奴で、海のことは彼から教わった。


台風が北上している海の日に、大船渡ー釜石間のヨットレースに参加したことがある。
我々は外洋には無謀と言われた15フィートと記憶しているが、小さなレジャーボートでヨットを伴走する役目であった、行きは快適だったが帰路に台風が徐々に近づいて波が荒くなって来たが、彼は仕掛けたトローリングを止めようともせず一心不乱であった。こういう時は大物が掛かるもので、自分にボートの操縦を任せて楽しんでいたが、こっちは船舶の免状はあるが平常心では居られず生きた心地がしなかった、正に船乗りの気持ちが分かったような気がした。


その彼も故郷の復興を見ず、急ぎ足で64歳の生涯を閉じてしまった。
今も告別式で弔辞を述べなかったことを悔いている自分がある。
海の日には彼を偲ぶことにしている、どっかの海で魚になって 生きていることだろう!
=おわり=

南三陸の友だち

2016年07月13日 | Weblog
久しぶりで南三陸の会社保養施設の管理に行く、陸前高田の街に入り買い物を思い出しホームセンターに立ち寄った、そこで偶然に菅野征一君とばったり会う。
彼とは水沢商業高校で3年間机を並べた仲である、彼は就職に有利だからと内陸の実業高校に越境入学した、自分も岩谷堂中からだから越境入学には違いないが、就職などサラサラ考えたことがない能天気な人間であった。
昨年秋の厳美渓でのクラス会以来であり、積もる話もあり今宵一杯やろうと、ほんの数分で話はまとまった^_^


彼は高校卒業後河合楽器に入社し、東北を渡り歩き気仙沼営業所長を最後に退職し、河合ピアノ教室を気仙地区で数店自営する傍ら、家業としては酒とタバコを扱う商店として大いに羽振りが良かったようだ、今は広田湾を一望できる長部と言う漁村の高台で野菜を作りながら、奥様や長女夫婦と悠々自適な人生を過ごしているようである、私のブログにも時々登場するが、地元では相当名家でありこの町の有志である、彼の家は岩場の高台であり、3.11大地震の際も全く影響を受けなかった。

高田の街の震災復興は大型ベルトコンベヤーを使ったので、他の自治体よりは相当早いが、やっと商店街の建築に目処が付いたところで、飲食店も方々に散在している。
「居酒屋参吉」を皮切りに数店はしご酒をしたが、移動するのにも相当な時間も金もかかるが、彼の酒飲みスタイルは徹底的にやるタイプなので、こっちもふんどしを締めなおして遅くまでお付き合いした。カラオケも全身で歌うタイプで相当上手い、実弟が歌手だったそうであるからうなずける。


翌朝は彼から差し入れて貰った新鮮なウニで、どんぶり物を作って食べた、至福なひと時であった。1日も早い復興を祈る。
=おわり=