スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

弥生雑感'20

2020年03月31日 | Weblog
 いつもの3月なら春の息吹で心躍り、爽やかな春風を胸一杯吸い込み、生きている幸せに浸れるのだが、新型コロナの所為で全く台無しな月になってしまった。
 月末の今日も、世界中コロナ一色のニュースで埋め尽くされている。

          (岩手山は郷土の守護神)

 無感染の3県に含まれている岩手ではあるのだが、商いを生業にしていた自分にとっては、人ごととは思えない。
 経営管理に損益分岐点比率ってやつを常に重視していた。それがコロナで売上が半分以下になり、この先いつまで続くのか分からないとなると、経営者の心境は如何に・・・・


 我が社はそんな影響を受けない方の業種ではあるが、お客様の中には既に影響を受けている会社もあり、この先長く続くとじわじわ不況の嵐が吹き荒ぶ。


 日本には10年サイクルで大きな災難が降りかかる、無神経にそんなことを発した政治家もいたが、この国難を救える、生活困窮者の生活を救えるのはやはり政治だろう。
                                               =おわり=

 

 

  
 

風水学

2020年03月27日 | Weblog
  自分が起業して10年近く経ち、盛岡バイパス北の上堂ってとこに事務所を移転し、29年ほどお世話になった。
 その頃の中心商業地区は盛岡駅〜盛岡城周辺であり、郊外のこの地域はまだ日の当たらない地区であったが、盛岡を代表する会社やDIYホームセンターや遊技施設が張り付いて"上堂安倍館振興会"組織もあり、盛岡のラスベガスとして会員も多くて徐々に活況を呈し始めていた。


 会社寿命30年説と言うが、どんな業種でも永遠ではない、それは取扱い商材やお客様の事情もあるが、多重債務や経営者の不慮の事故による場合もある。
  29年(自分社長22年、2代目社長7年)で自社事務所がありながら、この地区を去ろうとしたのには、それなりの思いがあった。


 
  社長の自殺死や突然死、社長の病死、老舗企業の倒産、暴力団に関係する倒産、スーパーや開業医の閉鎖、等々がこの地域で相次いだ時期があった。
 この地区は十一世紀の史実「前九年の役」の主戦場である。大和朝廷に滅ぼされた、安倍一族の最後の戦さ場、厨川の柵がある。


 平泉に繋がる地元の豪族、安倍一族の無念が眠るこの地区は、本当の地名は上堂ではなく、神道ではないかと判断し、風水学によって移転したのは今から13年前であった。
                                               =おわり=   

経済ゲーム

2020年03月20日 | Weblog
  "NYダウ平均$20,000割れ"
 45代🇺🇸大統領トランプさんが、2017.1就任以来3年間で70%も上がり続けたNYダウ平均、昨年末には$30,000にも届きそうな勢いだった。
何だかんだ言われながらトランプさんが揺るぎない立場でいられるのは、🇺🇸経済の世界で一人勝ちの好調さであったろう。


 🇺🇸が風邪をひけば🇯🇵もひくと言われるが、その通りで日経平均も2万円半ばに迫る上昇に推移していたのが、1万円半ば近くまで落としている。
 暴落の原因は世界に広がった🇨🇳コロナウィルスの影響である。10年前の🇺🇸リーマンショックから呼び名を取ったのか、コロナショックと呼ばれているようだ。

 人は大なり小なりギャンブルを楽しんでいる、🇯🇵庶民は宝くじや競馬やパチンコ、最たるものは政府に運用を委ねている(頼んだ記憶はないのだが)、GPIF(国民年金と厚生年金が資金源)である、昨年末迄は好調で169兆円の残高だったようだ。この資金高は世界トップと聞いている、借金だらけ🇯🇵の隠し米びつと言われている由縁だ。

 自分もリーマンショックでは痛い目にあって、投資には手を出すなを遺言と決めていた。
 そのリーマンの穴埋めも何とか昨年末終えていた。然し経済を学ぶのに投資ゲームは面白くて足を洗えないところが怖い。


 GPIFにせ、自分の投資ゲームにせ、コロナショックで相当落ち込んでいることだろうが、今はチェックもしたくないと言うより、何ともならない状況下であり、いつ回復するかも分からない。
 こんな出会い頭のように、突然襲って来る経済危機に何とも手はない・・・・
                                               =おわり=
 



3月13日

2020年03月13日 | Weblog
 13日で金曜日の今日はキリスト教の厄日と言われ、こんな日が年に時々ある。マルチタレントの伊奈かっぺいさんはこの日には長く青森でライブをやっている。

 もう一つ、今日はサユリちゃんの誕生日なのである。行きつけのスナックの娘っこ?
ではなく、あの映画スターの小百合様なのである。


 昭和39年錦糸町で涙を流して見た"愛と死を見つめて"が55年経った今でも思い出として残る。
 最近NHKの"プロフェッショナル 仕事の流儀"を見て、益々小百合様の魅力に取り憑かれた。
誰からも愛されて国民的スターになっているのに、全く驕りも己を誇示することもなく、120本も主演しているのに自然体で生きそして演じている。
 結びに、私はこれからもプロフェッショナルを目指して挑戦し続けるんだと言っていた。一流にあっても、この謙虚さこそ大和撫子に求められている、思い出して欲しい魂だと思った。


 小百合様の生まれた昭和20年3月13日から2ヶ月後の5月13日に自分が生まれた。
ただそれだけのファンなのだが、二十歳近かったあの日からずーっと自分には、女神様に見えている。
                 =おわり=