スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

神無月雑感'23

2023年10月31日 | Weblog
 季節って徐々に変化するものだが、昨今はここまでは夏、ここからは秋って区切られる様に急変する。夏が長いからか秋は極端に短く、我が家の楓🍁も散り始めた。

 鹿児島の旅では霧島に連泊し、ルーティンにしている朝のウォーキングは雨降川沿いをしっかりこなした。緯度では盛岡市39度、霧島市31度とあるから凡そ900kmの距離差だったのだが、夜明けも寒さもさほど変わらなかった。然し霧島連山に🍁は未だ見えなかった。
            (宿泊のホテル京セラ霧島)
 同行した孫たちが旅のしおりを準備してくれた。それによれば最年長の自分に対するご配慮?に思わず苦笑いした。老いては孫に従えだと思った。
 鹿児島の名産は薩摩揚げ、薩摩芋、焼酎、黒毛和牛、鰹節等々さまざまある様だが、自分がえーっと思ったのは日本茶であった。道すがら茶畑の多さに驚いたが、生産量が日本の20%で静岡に次ぐとは新たな発見だった。

 10代の孫たちには、知覧平和会館はどう見えたのか分からないが、平和の尊さをしっかり学習したことだろう。
 それに付けても、今一度ホテルの美味しい日本茶を飲みたいものだ!
                                 =おわり=




 

鹿児島の旅2

2023年10月30日 | Weblog
 日本人として一度は訪れておきたかった南九州市の知覧特攻平和会館を訪れた日は終日大雨の日であった。この会館の企画展示する案内文をそのまま引用する。

「戦後80年近くが経過し、戦争体験者から直接話を聞くことが難しい時代になりました。そのような中、物言わぬ証言者として戦争遺跡の重要性が増してきています。 太平洋戦争中、鹿児島県内には20カ所もの航空施設があり、戦争末期には特攻隊の出撃基地としても使用されました。また、九州南部に米軍の上陸が予想されたことから本土決戦に備えて多くの施設が造られました。これらの施設は年月の経過と共に失われつつあります。 本展を通して鹿児島県内に残る戦争遺跡を、そして戦跡が戦争の歴史を伝える大切な遺産であることを知っていただけたら幸いです。」


 特攻で散った英霊の方々の最後の言葉や手紙が写真と共に遺品として数多く展示されていた。
10代の若さで散る無念・・、母さんに会いたい・・、先に行く不幸を許せ・・、妻よ後を頼む・、子よ立派に生きろ・・、弟よ家を頼む・・、家族の幸せを願う・・、明日の日本に望む・・、役目を果たしに・・等々、どの方にも泣き言はなく、旅立つ覚悟の重さに声も出ない。

     (知覧ロビーの鎮魂の賦)
 この日は散った多くの英霊の涙雨に濡れつつも、今ある日本にお陰様と手を合わせ、安らかな眠りをと願った。
 "散る桜、
   残る桜も、
       散る桜"
                                =おわり=

 

 




鹿児島の旅1

2023年10月26日 | Weblog
 旅って何泊から言うのだろう、一泊程度は近場だろうから旅と呼ぶのには憚られる。そんな屁理屈を口にする自分も、旅らしい旅をしたのは2017年秋に熊野古道に出かけて以来であり、あれから6年も経っている。

 コロナ禍になって宿泊施設の支援策で、奥方は近場の温泉にちょくちょく出掛けるが、自分はと言えば日帰り温泉にも行かなくなっている。そんな生活に慣れてしまえば、費用もかからないTVの旅番組を楽しむ側で、映像で満足する様になってしまっていた。

 今年に入り、コロナ感染で命を落とす人も無くなって、新薬も開発され、普通の日常に戻りつつあり、人々は堰を切ったように動き出している。その上円安の所為もあり外国からの訪日客が溢れ出している姿を見るにつけ、旅って虫がむっくりと起き出して来た。

 然しである、夫婦年齢を合わせれば150歳を上回った自分らであり、2人だけで旅に出る体力にも自信がなく二の足を踏んでいた。

 そんな折、生きかた上手の娘が、だったら私たちが一緒に行くからと名乗りを上げて来たのである。そんな次第で自分ら夫婦の最後になるだろう旅は、太平洋戦争の爪痕の鹿児島知覧になった。
 過去に、広島-長崎-沖縄と巡ったが、終戦前後に生まれた昭和の人間としては、一度は見ておきたかった巡礼の旅に出かける羽目になった。
           =つづく=


 


ルーツ探し

2023年10月12日 | Weblog
 人はどこから来てどこに行くのか、まだ生きている自分のことは、100年も経っていないから分かるのだが、ご先祖様のこととなれば話は違ってくる。

 娘が幼かった頃、自分の母が冗談にバァバの先祖はロシア人だと語ったことがあるようだ。その証拠にバァバの目がブルーだろうと言ったことを、娘は長いこと本気にしていた節がある。

 そのことを自分も信じたわけではなかったが、母親はどこから来たんだろうと探してみたくなった。よく見ているTV番組で今田耕司司会の"ファミリーヒストリー"はその道のプロに依頼しているのだろうが、有名人のルーツを原点まで遡って調べ上げているので感心して見ている。

 ちょっと前になるが、ルーツ探しを得意分野としている近くの行政書士さんにコンタクトしてみた。結果は親一人数十万円、両親となれば片手は用意しなければならない様であり、現在の順番待ちで40番目と言われた。

 高齢社会になって先が見えてくれば、自分のルーツを何故か知りたくなる方々が如何に多いものなのかと知った。
 自分事はと言えば、貧乏神が顔を出して来て、そんなに知りたければ暇つぶしに自分で調べな、とご先祖様からの声が聞こえた様な気がした。

 たどったルーツ探しが仇になることもあるので、"知らなかったままでいた方がいいよ"、と言っている人も居るのだが・・・・・
                                =おわり=