スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

皐月雑感'17

2017年05月31日 | Weblog
5月も今日で終わる、何かと行事ごとも多かったが、今日は月末でもあり身体のケアに温泉に来ている。

数日前には仙台で姉の三回忌と義兄(姉の旦那)の十三回忌法要が行われた、姉は菅村家のボス的存在だった。果たしてこの先今日の一族が一同に集う機会はあるのだろうかと思ったりした、高齢な方々とは最後の場になりそうな気もした。


昭和45年頃に「夢は夜ひらく」という演歌が流行った。どっかの少年鑑別所で歌われていたようだが、出だしは
🎶赤く咲くのは けしの花
白く咲くのは 百合の花
どう咲きゃいいのさ この私
夢は夜ひらく🎶

先々がどうなるのかも分からない、20代前半の自分のかけ出し人生も不安定でその日暮らしの頃であったので、妙に頭にこびり付いて離れないフレーズだった。

50年も過ぎた今、こうしてのんびり出来るのは、本当に夢のようである。その最たるものは食うに困らない暮らしが出来ているからだろう。
然し、もうこの辺で良いのにと思いながらも、違う煩悩が、まだ老け込む歳じゃないだろうと邪魔をして来る。
🎶一から十まで 馬鹿でした
馬鹿にゃ未練はないけれど
忘れられない 奴ばかり
夢は夜ひらく🎶

=おわり=


株主総会29

2017年05月28日 | Weblog
トライスは47期(実質45年)、カパス盛岡は26期の株主総会が無事終了した。
トライスは昨対比大幅な増収増益で、創業以来最高の数字を残すことが出来た。
昭和43年に「みちのく冷熱サービス」の名で産声をあげ創業し、47年2月に「有限会社 みちのく冷熱」として法人設立スタート、平成12年度に2代目政権に交代、平成25年度には社名も現在の「株式会社 トライス」に変更し、代表社長役員共に若返り3代目に引き継いだ。自分社長時代に生まれ成長した会社が、宍戸守社長時代で成熟され、工藤裕之社長時代で第二創業として再スタートし3年が過ぎた。

我が社がここまで来られたのは、一貫して変わらない"環境サプライヤー"としてサービス業の奉仕精神を重んじて来たこと、平成4年度から世界NO1空調メーカーダイキン工業さんの特工店(販売・工事・サービスに優れている技術会社に付与)資格を承認され、24年間継続して維持して来たことにあると思います。

一方菅村泰介社長が仕切る「株式会社 カパス盛岡」にあっては、赤字こそ免れましたが大幅な減収減益に終わっております。全スタッフの入れ替えをして立て直し中とは言え、最大のピンチでカパス本来の目的にはほど遠く、材料屋の範疇でもがいています。然し再び蘇る時は間もないことを願っている。

(我が家のミヤコワスレ)

いずれこのトライスグループが人を大事にする会社であり、この会社なら社員が幸せライフプランが組み立てられる会社に成長し、お客様においては財産や快適環境を安心と安全で任せて貰える、そんな信頼マークの会社を目指して50周年に向かって行って欲しい。
トライスグループのみなさんは素晴らしい"バンザイ"
=おわり=


エコがつぶやく春'17

2017年05月20日 | Weblog
男主人がブログの題材が見つからない、と本犬に振ってどっかに出掛けて行った。また下手なカラオケにでも行ったのだろう、致し方ないのでこの春の感想でも🐶

この間、角館って言う街に🌸に連れて行かれた、本犬は人混みが得意でないのだが、半ば強制的に🚘に乗せられた、案の定ストレスで身体中にフケが出て痒いのなんのって、"犬の心人知らず"の下男である。
でも武家屋敷通りを、人力車に乗ってのしだれ桜見学は楽しい初体験だったナ。

我が家の庭に見事な藤の木がある、自分と昨年昇天した妹スシはペット三代目、二代目はルパン、初代はテツと聞いたが、初代時代の30年前から咲いているそうだ。ほのかな匂いを近隣に醸し出し、自慢できる我が家のシンボル的ものであるが、今年は満開の時期の天候で今一の花姿である。

今年も一年で一番いい季節が巡って来た、我が家の庭には癒しの水路もある、ここでオシッコするのは何とも言えなく気持ちが良く、その際に周辺を見渡せば百花繚乱花々が賑わし始めた。

間も無く本犬も14歳になる、人間年齢では古稀になり主人達も同年齢になるから、あと何年見られる花々だろうかと思っている。
=おわり=


母の日に想う

2017年05月14日 | Weblog

(平成15年12月19日逝去 享年87歳)

19日の旅立ちの朝に見送りが出来ず悔しいが、こんな嬉しそうな遺影を見ていると、私どもも生きる力がみなぎる、ありがとうおふくろ!
58年の付き合いだったが、俺がこうしていられるのはおふくろのお陰だよ、女房には怒られそうだが、優しくて厳しいが、荒れた時、苦しんだ時、死のうと思った時、救ってくれたのは結局おふくろの無言ではあったが、この笑顔だったと思う。
大した親孝行は出来なかったが、こうして皆んなが集まることがささやかなはなむけだと捉えてくれ。
おふくろの息子で良かったよ、想い出がいっぱいいっぱいです。

おふくろよ、こんな多くの方々に見送られて旅立つなんて幸せだな、たった一人の幼くして病で倒れた妹のりつ子さん、追分けを唄わせたならうまかった母親のシゲさん、先に旅立ち33年も迎えに来なかった親父、一緒に旅立った小一郎おじさん、皆んなで萬松寺地域の皆さんや檀家の方々の安寧を念じて、やっと戻れたふる里で安らかに眠ってくれ。そして寺の行く末を見守ってやってくれ。
=おわり=

*母が逝去した際に書いた日記です。
萬松寺は私の生家で、世界遺産「平泉」になった、歴史遺産に関連する地で、岩手県奥州市岩谷堂増沢地区にある。