スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

葉月雑感'23

2023年08月31日 | Weblog
 7月ブログ「文月雑感'23」の続きになるが、趣味のダイビングで最も多く通った珊瑚礁の島は、北緯10度に位置するフィリピンセブ島の南端のLILOAN(リロ-ン)という小さな田舎のリゾートである。
 '97年最初に訪れた頃は冷房も着いていなかったが、夜は海風が入り酒を喰らって寝てしまえば、快適でそれほど苦にならなかった。

 雨季と乾季だけの熱帯性気候は降水量の違いが高い気温を妨げ、年中30℃以上にはなるが、カラッとした気候で猛暑日には滅多にならなく、日本のジワーっとした高湿度とは違った。
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 余談になるが、当時1万円をヤミ市場でフィリピンペソに換金すれば6500ペソ程度だったと記憶している。現在は3900ペソ程度になっていた。居酒屋で飽食しても数千円で済んだ。

 今年の盛岡の夏は、今日31日現在41日連続で30℃以上は観測史上最長、この間の35℃以上の猛暑日は5日で、最高気温は36.4℃。9月になっても、まだ暑さは治らない様なので記録は更新されそうだ。

 日本もフィリピンも同じ島国なのに、年々夏は堪えきれなくなった。文明の違いが、環境破壊に繋がる国土開発やコンクリートジャングル化、CO2の排出、豊かな暮らし向きの追求は、益々人間を含んだ動物には暮らし難くなっている。
            =おわり=
 



選挙戦線

2023年08月29日 | Weblog
 真夏のクソ暑い中、地方選挙戦で賑わしている岩手県と盛岡市である。
 前半は市長と市議会議員選挙が行われ、新人市長候補が3度目の挑戦で現職に勝利した。
 現職市長は6期目の挑戦であったが、市民は若い血を望んだ結果に終わった。経済が停滞している盛岡にも、待ち望んでいた風が吹きそうな予兆がする。

 後半の現在は知事と県議会議員の選挙戦でヒートアップしている。
 こちらも現職は5期目の挑戦である。小沢一郎色の強い現職知事で革新対保守の全面対決になっている。然も岩手初の女性候補であり、過去に辛酸を舐め尽くして来た自民としてもメンツを掛けた戦いになっている。

 選挙の度思うのだが、投票率の低さが勝敗を左右する。このところ60%にも程遠い投票率である。若い層が真剣に岩手を変えたいと投票所に出向くのなら、新しい風は吹く様な気がしている。

 何十年前だったか、友人が県会議員選挙に挑戦した。残念ながら次点落選したが、その時選対に入り込んで、選挙は魑魅魍魎の人を信じられなくなる世界だと思った。
 あの時の学習したことは忘れることはできない。狐と狸の化かし合いには付いて行けない^_^
                                 =おわり=



 

カラダ

2023年08月25日 | Weblog
  このところブログに書くテーマ探しに苦慮している。コロナ禍になった影響もあるが、社会活動も生活活動も必要最少限に留めている間に、それが日常になって、自演の場が失せ話題を探せないでいる。

 この歳では大人しく暮らすことは当たり前なんだろうが、そんな引き篭もりは健康にも影響する。
 '21年の日本での癌の新たな罹患者数は100万人とあって、毎年横ばいの数なんだと知った。
 癌細胞に侵されれば消えて無くなることはないと聞く、現代医学の進歩は日本が世界一の長寿国に押し上げた、それでも癌は難しい厄介な病なんだろう。

 最近自分の周りにも癌と診断されている人が複数いる、それも昨日まで健康な人が突然癌と診断されるので怖い。その原因は代々のDNA遺伝子にもある様だが、まだまだ原因不明な病である。

 自分も数年前には緑内障で片眼に陥り落ち込んだ時もあったが、そんな生活にも慣れるもので、現在は幸いカラダは年相応ではあるが健康で暮らしている。

 親がくれたカラダが丈夫だったこと、会社経営と言う重責から早めに手を引いたこと、趣味のダイビングと巡り合ったこと、そして今は早朝ウォーキングと太極拳でカラダを保っている。

 そう言えば子供の頃、生活用水が湧水であったこと、山菜と漬け物で育ったこと、美味いものにはありつけなかったのも一因かもな( ◠‿◠ )
            =おわり=

終戦記念日

2023年08月15日 | Weblog
 8月15日は太平洋戦争の終結の日として、我が国では終戦記念日にしているが、戦勝連合国からしてみれば、それは降伏した訳だから敗戦記念日だろうと見られているのではないだろうか?

 1945年(昭和20年)8月15日、昭和天皇が敗戦を国民に向け発信し戦争は終わった。自分らが生まれた年なので否が応でも、あれから78年になるんだと即答出来る。この4年半の戦争による戦死者及び犠牲者は310万人以上とは・・・🙏
戦後の統計で人口は7200万人に落ち込んだ日本であった。

 終戦当時我が家には電気設備がない石油ランプ生活だったので、ラジオなどはなかった。親達は何処で終戦を知ったのだろうか?
 実家の寺を根城にして兵隊さんが、航空燃料としての松根油を製造していたそうだから、敗戦の一報は先ず兵隊さんに入ったのだろう。
 幼少の頃、通称コウバと呼ばれる跡地があり、遊び回った記憶がある。また近くの山々には松の木を掘り起こした穴が多くあった。それらの全ては戦争の為であったことは後々知ることとなる。

 日本は不戦の誓いの元、78年歩んで来た。国連は第二次世界大戦後の国際間の問題解決や平和を維持する為に、世界の国数196ケ国の193ケ国が加盟している国際機関である。
 然し、この安保理の存在が弱体化し、勃発から1年半になる🇷🇺🇺🇦戦争を解決出来ずにいる。

  争いごとは、長引けば長引くほどに落とし所が難しくなる。78年前の悲惨な日本の姿が、ヨーロッパの地で再現されないことを祈るのみである。
                                =おわり=