スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

卯月雑感'23

2023年04月30日 | Weblog
 4月3日、岩手盛岡で桜(ソメイヨシノ)の開花、1953年に気象台統計を取るようになってから70年で最早を記録した。
温暖化・脱炭素社会が叫ばれている地球環境問題だから、決して歓迎出来ないが、桜の所為ではない。

 4月って一年で風が最も強いんだそうだが、御多分に洩れず北西方面からの冷たい風で寒い日が多かった。今年は春の訪れが早くて一時喜んでいたのだが、後半は特に風が強くて不快な気分にさせられた。然しそれも風の気まぐれでもない。

 Z世代って言葉があり、確かな定義付けはないそうだが、年齢的には25歳〜40歳くらいを指すようで、IT化やデジタル化が急速に進化した時代に育った人々を言うらしい。

 ことスポーツの世界では、⚾️の大谷(28歳)、🏀の八村(25歳)、⛷️ジャンプの小林(26歳)、⚽️の三苫、堂安、久保等々、Z世代が世界を席巻している。
 4月は新しい年度の始まりになるが、今年もどんなスポーツでどんな🇯🇵選手が世界に登場して来るのか楽しみである。

 昭和前半の頃、戦後の日本に光を灯したのはプロレスラー力道山であった。人々を白黒TVに釘付けにしたスポーツ界の英雄であって、世界に通用する🇯🇵日本人を演出してくれ熱狂した。
 力道山もその頃はZ世代だったのだろう。
                                 =おわり=






桜 観

2023年04月27日 | Weblog
 今年も桜を見ることが出来た。花見をする度にあと何年見られるのだろうと感傷的になる。

(盛岡医療センターの桜)
「散る桜、残る桜も、散る桜」
 自分が生まれた終戦の年、鹿児島知覧特攻隊基地の戦闘機隊員が命に立ち向かう覚悟を口にした言葉として残っている有名な言葉なのだが、語源が江戸後期の良寛和尚の辞世の句にあったとは知らなかった。

「みちのくの束稲山の山桜、吉野の桜ここに見るとは」
 1186年鎌倉時代の始め、歌人西行法師が古都平泉を訪れた際、山家集に残した歌なのだが、その数年後平泉が滅ぼされてしまい、法師も1190年亡くなるとあった。

(束稲山のお花見想像)
 その後、江戸時代の1689年に松尾芭蕉も平泉を訪れたのだが「夏草や兵どもが夢の跡」を残しているが桜の季節ではなかった。明治に入り石川啄木も「やはらかに柳あをめる北上の 岸辺目に見ゆ泣けとごとくに」の類の代表作はあるのだが桜の歌ではない。
芭蕉も啄木も桜の歌を残していたなら、未来永劫語り繋がれただろうにと残念に思った。

(盛岡米内の桜)
  北国盛岡の桜は4月末に合わせて咲いてくれるので、GWがより賑わいがあったものだが、いつの頃からだろうか4月半ばに満開が早まっている。
 何から何まで忙しく慌ただしい世の中になっているが、昔のまんまの方が落ち着いて嬉しいこともある。
                                 =おわり=



 


 



光 年

2023年04月18日 | Weblog
 大好きなTV番組に"コズミックフロント"があり、録画しながら殆ど見ている。宇宙の距離を表す単位に光年って単位が頻繁に出て来る。
 光って物体の速度は秒速で30万kmなんだとか、その光が一年間で到達する距離が1光年ってことなんだそうだ。kmで表せば9兆4600億kmになる。
太陽までの距離が1億4960万kmだから、割り算すれば8分19秒で地球に届くことになる。

 小学高学年の頃、夏だったか冬だったか忘れたが、休み明けの学習発表会のメンバーに推されたことがある。確か「星の研究」の様なことを発表したと思う。
 宇宙のことなど調べもしないで、殆どを兄から聞いたことを分かったふりをして発表してしまった。

 質問などされなければ良いなと思っていたのだが、ある先生が光年のことを聞いてきて応えられず赤っ恥をかいた。
 遠い過去のことになっているのだが、未だ悪夢として消えてくれない。

 高齢になった今、人生の総集編の様によく夢をみる。自分なりに世の為、人の為になることだって多少はやって来たつもりなのに、夢って薄情なもので楽しい人生を演出してくれない。
 明るい兆しが見えなく、暗いニュースばかりに囲まれている、世の中の所為もありそうだ。
            =おわり=

ATM

2023年04月12日 | Weblog
 我が家の奥さんは俺をATM(現金自動預け払い機)だと思っているようだ。
確かにいつの日からかは忘れたが家計支出のことは一切自分が担当している。

 奥さんに振り込まれている3号被保険者年金だけでは心細いだろうから、自身の着飾り、健康維持、友人との小旅行や飲食には人間ATMの機能になっているのだから、そう捉えて貰っても致し方ない。

 一方自分はと言えばコロナ禍になってから出不精で、遠出する旅には全く出かけなくなってしまった。
ホテル旅館へのコロナ支援の様々な得策制度も一度も利用していない。
また年齢の所為もあるが、おしゃれには無頓着になり、我が家の耐久消費財の購入も必要最小限になって、まだ使えるものの買い替え等は殆ど控え、挙句は自分で修理している始末である。

 そういう生活に馴染んでしまったなら、観劇や美食を求めたり、温泉旅行に出掛ける積極さが薄れてしまい、ケチになっている自分に成り下がってしまった。

 元々幼少期、田舎育ちの自給自足のような生活(極貧ではないが)で育った所為か、大盤振る舞いをする贅沢なことには罪悪感を持っているようだ。

 縁あって長いこと暮らしている奥さんに、"一人の女も幸せに出来なかった男にはなりたくないでしょう"
。と言われてみれば、それもそうだなとATMの役目を引き受けてしまう自分である。
            =おわり=