スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

水無月雑感

2016年06月29日 | Weblog
何年振りかで北国も梅雨らしい6月になっている、この季節は我が家のガーデンも花々で咲き乱れる、日本庭園というよりフラワーガーデンを好んで楽しんでいる。
その中で我が家独特の花がある、周辺の庭では見かけない花が塀を這いずり廻っている、スイカヅラ(忍冬)の名の蔓性の植物である。花言葉は「愛のきずな」とあった。何よりも好きなのは香りであるが言葉には表せない、ネットではやや甘いフローラルの香りで、大人の香水っぽい(たきo^)
(^o^)とあったが意味は理解できない。

(スイカズラのいい香りが周辺を癒す)

スイカズラの花言葉は今年知った、フランスの格言に「結婚は判断力の欠如に基づき」「離婚は忍耐力の欠如であり」「再婚は記憶力の欠如である」と聞いた、自分らには判断力の欠如💦から始まった結婚が、40数年で愛のきずなに変わってきているのだろうか、寧ろ愛のムチをたたき合うような気もするが・・・(笑)

(正面奥から滝水が流れている庭)

多忙な月も終わりに近くなったが、今月は酒席が10日あった、姉の一周忌は献杯であったが、他は楽しい酒を一杯飲んだ、兄弟や親戚とも会話できたし、余り会えない友人とも思い出話ができた、仕事をしていないこの歳になると友人も居なくなるが、自分は多い方で幸せだとも思った。
お陰で中性脂肪値だけは673と出た⚠️
=おわり=







名もなく貧しく美しく

2016年06月28日 | Weblog
27日の地元新聞に高校同級生の旭日章授賞広告があった、彼は胆沢町長を長くやった功労者なので推されて不思議はない。
二日前の25日は北上歓楽街青柳町で3月のブログ『友だち』に登場した山田と一杯やった、彼は東京の下町南砂町で居酒屋を35年もやって70歳を機に辞め、今はJR大人の休日倶楽部を利用して悠々自適方々旅行している。
彼との会話の中で、これからは"格好良く生きる"ことをモットーにしていると言っていた、オーケストラの生演奏にはまってからそうしたいと思ったようだ、東京にいればそういう場は一杯あるようだ、音楽は人の心に感動を与え魂を揺さぶるのだろう!
自分の生き方も"アンチエージング"だから、山田と共通している部分があるが、こっちはどっちかと言えば酒とカラオケである^_^


(緊張感なく爆睡中のエコ)

こうしてみると社会に出て50年も経つ古希年代は、どう歩いてきたかの足跡の集大成を問われる年でもあるのだろうか、別に結論を出さなければならない訳でもないが、何の授賞にも縁がなく、オーケストラに目覚めもしないが、今宵もホロ酔い機嫌でカラオケを楽しみに出かける我輩でした。🎶人生いろいろ🎶
=おわり=



すすき野のジョニー

2016年06月16日 | Weblog
札幌に来たもう一つの目的は、すすき野のジョニーことS氏に会う為である。彼がこの地で会社を起こしたのは30年以上も前のようだった、当時の社名は「夢幻」であった、織田信長の信奉者で、有名な「人間50年、下天の内をくらぶれば夢まぼろしの如くなり」から取ったようだ、「どうせ人生など一瞬の夢のようなものだから、死ぬ気になって思いきってやってやる」と熱い志でそうしたのだろう!
自分より若干年少であり、酵素という環境新商品を我が社にPRに来たのは、自分が35歳の頃であった。
我が社と同じビルメンテの仕事もやりたいということで、自分も北海道出張し業務協力したりもしたこともあった。
久し振りですすき野の和食の最高級店でゆっくり懇談し、誰にも邪魔されず思い出話に花が咲いた。



今や三つの会社を仕切るオーナー社長であり、優良企業になっているようで、大都会札幌で大成功した偉人である、社名は夢幻から変えたようだが、志は変えなかったのだろう。
彼は趣味も凄い、グライダーの操縦、乗馬、タンゴ、バイオリン、ダイビング、蕎麦打ち、ワイン、どれも極めていないとは謙遜していたが・・・、世界中に旅をしていて100回になったとか、今月はベネズエラに行くそうだ、アルゼンチンタンゴを踊り現地にも行ったとか、正に昭和に生まれ変わった織田信長だな

(ジョニーとツーショット)


昔、すすき野で遊び回った時の名がジョニーであったが、今やその名で呼ぶのは自分くらいだろうか?
私を5人の中の親友と言われたのには、目頭が熱くなりホロっときた。先に逝ったなら弔辞を読む約束をし、深夜に別れた。
=おわり=


夢は夜ひらく

2016年06月15日 | Weblog
高校の仲間と札幌に来た、目的はゴルフとクラス会の幹事会である。
千葉市に居を構えている茂くんが、旗振り役をしてくれた。
彼はこの歳で最近フルマラソンを走った奴であり、マラソン歴100本の健脚は超人に値する。東海銀行(現.三菱UFJ銀行)を勤め上げ、今は悠々自適な人生を過ごしているようだ。
敏夫くんは仙台から参加した、自分の姉の長女に婿入りした奴で、会社の会長であり前回のブログ「姉の一周忌」に登場頂いた。
惇くんはいわき市で同じように婿入りした奴で、菱光産業(現.三菱マテリアル)を勤め上げた温厚な性格は、婿向きである。
それぞれ羽田、福島、仙台、いわて花巻空港から集まってのゴルフ会であった。

(キタキツネがゴルフボールに)

一年で最高の季節を迎えているから訪れた札幌だったが、梅雨のないこの地には珍しい荒天でのラウンドはボヤキゴルフになった。田舎のゴルファーには、風雨と寒さとタフなコースでは好スコアの夢は蘇らなく散々に打ちのめされた。

ススキノに宿を取っての前夜祭には、私の経営者人生にとって忘れてはならない、札幌在住の恩人友子さんを加え楽しい酒宴の場になった。
彼女は札幌出身の転勤族のご主人と盛岡赴任時代に我が社を手伝ってくれた方である、パソコンを使ってのエクセル手腕は相当なもので、各地を渡り歩いては会社事務を高効率化してしまう、並みのパートさんじゃない達人の域にある。


今回の旅は、天候とゴルフスコアには恵まれなかったが、すすき野や千歳の夜に友人達と旧交を温められ言うことなし(^O^)
=おわり=

姉の一周忌

2016年06月03日 | Weblog
関東は梅雨入りしたが、東北はまだである、平成24年8月から3年間余りブログを中断していたが、その間に鬼籍に入られた大切な方も居る。湿っぽいブログになるが、想い出多い方なので一年前を振り返る。
今日は姉の一周忌命日である、1年前の葬儀の際に贈った感謝の言葉はこんなだった。


「生前に申すべきであったが機会を失い、こんな場になってしまった反省と共に生前のご厚情に感謝を述べさせて頂きます、特にも故弘義兄さんが起業した会社に自分は就職したが数年で飛び出し、迷惑を掛け申し訳なかった、生前に詫びなければならないことであったと後悔している。自分は仙台で学んだ事を糧にし、盛岡で起業し、こうして長く会社を継続していることにも感謝する次第です。


娘婿の敏夫氏は、私とは無二の親友であり、自分が仙台ボイラに引き入れたが、現在は創業の仙台ボイラから進化した東日本ボイラーの会長として隆盛している。菊池家の繁栄は創業者弘氏から敏夫会長へ、今は孫の亨社長と繋がってきている、この歴史上に私が居なかったなら果たしてどうだったか・・・⁉︎

50年になる長い歴史にあって、創業者に嫁いだ姉が全ての原点であり故事に言われる"井戸を掘った人"だから、誰もが忘れはしないし、自分も語り繋いで行かなければならないことだ。
ここに集まっている、光子一座の子や孫夫婦とその子供達は25人にもならんとしている、この末広がりを見れば幸運を与えてくれた偉大な女神であった。もっともっと見続けたかったろうにな・・・
残念ながら、しばしのお別れになるが、こんなに大きな存在だった姉を誇りに思います。母のようなネッチャンありがとう!」
=おわり=