スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

皐月雑感'23

2023年05月31日 | Weblog
 今月の締めに、自分の見た大相撲5月場所感に触れます。
一人横綱の照ノ富士が3場所休場明けの不安を吹き飛ばす圧倒相撲で8度目の優勝を飾った。やはり横綱が芯にならなければ格好が付かない。

 そんな中、3段目で地元の漣(本名佐々木陸)が初優勝した。23歳のこの力士は奥州市水沢南中出身と聞いた。あの大谷君と同じ母校出で5歳ほど歳下の様で、やたら期待が大きい。

 漣を先に掲げたが、最高位の幕内力士の中で錦木の活躍には失礼ながらびっくりした。ここ数場所で覚醒した感がある、32歳は円熟期にあり、岩手人らしい力士である。
1勝6敗から8連勝した、解説の舞の海さんは敢闘賞を与えても良かったのではないのかと語っていた。

 照ノ富士の所属部屋は大部屋伊勢ヶ濱部屋で現在関取(幕内・十両)力士は5人と多い。
 錦木や漣は伊勢の海部屋所属で関取は錦木一人であるが、有望若手力士が多い様だ。時津風部屋一門で伊勢繋がりはない。

 岩手県は相撲王国にランクされる様で昭和以降の幕内力士には横綱宮城山を頭に、前田川(関脇)、宮錦(小結)、栃乃花(小結)、初代柏戸、若ノ海、花光、及川、景虎が活躍した。
 錦木は結婚して愛娘が生まれ、好きな芋焼酎を飲んで、念願の三役力士の座をと願う。
                                 =おわり=



株主総会'23

2023年05月30日 | Weblog
 トライスグループの定時株主総会が先週末に開催された。トライス53期、カパス盛岡32期の開催であった。昨年度も4〜5の経営通信簿で長い歴史を刻み続けている。

 総会後は重要な仕事先関係者、経営者OB(下記に紹介)、現役経営者、課長以上の社内幹部面々を一同に介し和気藹々に懇談懇親することが出来た。

 創業オーナーとしての開会挨拶は、高齢になり今回からgr代表に変わって貰ったが、創業期の歴史を知っている関係者が殆ど居なくなった現在、唯一の場なので話し伝えておきたいこともあった。
 社歴に忘れてはならない、今回出席の我が社のOBに敬意を表す。

・菅村巻雄氏(創業期監査役)
実兄。自分が盛岡で起業したのは、兄がこの地に居たからであり、自分にとり大きな存在
・宍戸 守氏(二代目社長)
巻雄夫人の実弟。我が社の特に工事部門を育て上げる。彼の頑張りがあったから50周年を迎えられた。
・菊池征一氏(創業期常務)
地銀から転身。創業期に弱体営業力を強化し支えてくれた。初代入社の銀行OBであり、メインバンクとして絆を固めて貰う。
・佐藤 光氏(二代目時代常務)
二代目社長と高校野球の同期生。二代目社長を支え総務部門を堅牢なものにしてくれた。
※他にも多くのOBを輩出したのであるが、順風満帆とは行かず、物故者及び会社去った方々にも敬意を表して止まない。
            =おわり=


 


母の日

2023年05月26日 | Weblog
  TV番組「Familyヒストリー」に興味がありよく見ている。
人は生い先短くなると自分のルーツを知りたくなるのではないだろうか?

 自分が生誕した時の家族は、祖母、父、母、姉、長兄、次兄と7人家族であった。78年経った今は次兄と二人きりになってしまった。
 母が逝去して20年になるが、生前母はもう一度自分の父親の墓参をしたいとよく口にしていた。
    (栗原市の照明寺)
 母がいなくなってから、次兄も自分も仕事に追われて、そんなこともすっかり忘れていたのだが、最近になり何を思ったのか、次兄から母の願いを実現したいと言われ先週墓参に出掛けた。
    (19世隆道和尚=祖父)
 隣県栗原市築館の照明寺に母の父親(自分達には祖父)が眠っている。大正の頃この寺の住職をしていたそうだが、三十代半ばの年齢で、熱い夏に突然倒れたと母は語っていた。その時母はまだ幼かった訳だが、記憶にあってよく涙していた。寺の住職って後継ぎがいなければお払い箱になる冷たい職業で、母親子はその後縁戚を頼って彷徨う旅路になってしまった。

 ここの寺には、終戦(昭和20年)以前の過去帳の類い記録は一切残されていないと現住職は嘆いていた。
 母の父親は、何処から来て、何処に居住し、いつ何歳で亡くなり、その後に残された母達は何処に移って行ったのか?、この日のルーツ探しは想像の域だけの、宙に浮いたままで終わった。

 せめて写真でもあれば面影を忍べるのに、100年前はそんな時代ではなかったのだろう。
 母の日にあたり、お袋の思いを20年振りに成し遂げることが出来、何となく胸のつかえが取れた様な気分になった。
            =おわり=



 
 

 

金婚式

2023年05月15日 | Weblog
 5月13日は我々夫婦の金婚式で自分の誕生日でもあった。
 昭和48年の誕生日に結婚した。あの頃の28歳の年齢って未熟者で心身共に不安定な歳だったのは自分だけだったろうかと懐古している。

 既に小さな会社を立ち上げていて、年から年中仕事と酒に明け暮れる日々であった。
その頃は兎に角忙しかったので、仕事がある内は殆ど休まないで働いた。親に貰った肉体は一晩寝れば回復するほど頑丈に出来ていた頃である。

 父親が結婚する前に病気で亡くなった。入院先の病室で親族から結婚する相手が居るなら連れてきた方が良いよ。と言われた。
 その時、この女性と結婚するだろうとは薄々感じていたが、正式に求婚したわけでもなく、会わせ仕舞いで終わった。

 親父が死んで一周忌を過ぎた後、私らは結婚した。
その頃世の中に"アゲマン"と言う言葉が流行っていた。この相方は私は"アゲマン"よと良く囁いていた。

 あれから50年経っている。確かなことはもう少し先延ばしするとして、こうして金婚式を迎えられた訳であるから、俺はアゲマンに支えられて来たのだろう(ᵔᴥᵔ)
 昨夜は息子・娘夫婦に温泉に招待を受け祝って頂いた。感無量‼️
                                =おわり=