スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

青春ノスタルジー

2012年05月22日 | Weblog
東京は大塚駅前に「千葉建夫事務所」とした看板で労務管理を生業にしている幼なじみの友人がいる。
小中学校同級生仲間で東京に出て来た出世頭であり成功者である。

彼は高校時代から一貫してバトミントンスポーツを通じて人生を組み立てて来たようである。
今や“池潮”で脚光を浴びているスポーツであるが、彼も若い頃は全日本レベルの選手であったし今も現役でラケットを握り続けているようである。
何よりもすごいと思うのは、長いこと日本バトミントン協会の理事として日本のリーダーをしていることである。

若い頃は彼のアパートが我々の根城のようなもので、自分も都落ちしてからも時々上京していたが、宿代を浮かせる為には6畳?ひと間のアパートは大変便利で世話になった。
人の迷惑も顧みなくても許される頃である。


      青春時代が夢なんて
        あとからしみじみ思うもの
         青春時代のまん中は
          道に迷っているばかり 


時々会っては、グチや悩みや将来を、夢も交えながら寝ないで語り合った。
朝になればそれぞれの生活の場に戻るのであるが、そんなことが不思議に生きる力となって湧き出てきたものである。
親しい呼び名は“タッテ”であったが、今は簡単に言えなくなったのが年月の長さであろう。

久しぶりに顔を見たくなって、その彼に声を掛けた。
うまく伝播して行ったようで、4月末のある日集合場所の大塚駅前に男5人女5人の10人も集まった。
特に女性に声を掛けたのは昔から心優しい隆夫君で、彼でなければこうは集らなかったのではないかと思う。



自分は分校の小学校からスタートした。
交通手段が無い時代であり、本校からの遠隔地には他にも多くの分校があった。
我々の増沢分校が本校と合流したのは3年生からである。

その分校で席を共にして過ごした、亨君や米子さんも来ていた。
暫しふる里の思い出話に大いに花が咲いた。
亨とは何故か気があって、リョー、キョーと呼び合う仲であった。
彼はスポーツに長けていてどうしてもかなわなかった記憶がある、今はそのふる里の家もなくなったとか!



その後、近くで寿司屋をやっている同級生の店に廻って二次会と相なった。
川口市のK金属に電気技師として現在も勤めている宏君が居る。
私が起業して間もない頃、電気分野に弱くて当社に誘った時があった。
彼は会社で後継者を探さないので、生きている限り飯の種に困らないんだとか。



彼の絡み酒は我々仲間内では知らないものは居ない。
どうも今宵もそんな雰囲気になって来たので後ろ髪を惹かれながら場を去った。





5月18日、ふる里江刺のリーダーとして活躍していた、同級生佐藤宗男君の告別式に参列する。
惜しまれての急逝であったが、そういうことがあっても不思議ではない年齢に差し掛かっているのだとつくづく考えさせられる。ご冥福を祈る。   

                “合掌”


<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ

熱海の一夜はプライスレス

2012年05月19日 | Weblog
50年近い以前の記憶を手繰り寄せるのは正直難しい年齢になってきた。
以前にも何度かこのブログに登場願ったが、三菱製鋼という一部上場会社の社員であった事がある。
その社会人としてスタートをきった同期の仲間から“熱海に集まれ”と案内が来たのは4月の始めであった。



こんなことをマメにやってくれるのは、南砂町の居酒屋「カメヤ」の店主、山田泰義君である。
当時総務部の中で机を並べた親しかった仲間で、福島商業卒の飾り気がなく気さくな奴である。
同期の中では私がいの一番で辞めたが、彼もそう長くは居なかった筈である。
彼はサラリーマンから料理人の道を目指した毛色の変わった人生を歩んでいる。

修行時代のことは聞いたことはないが、カメヤを構えてからは年に何度か顔を出すようになった。
25年にはなるだろう居酒屋の親父として、南砂町で市民権をしっかり築いているようでいつも常連客に賑わっている。
俄か料理人とは違い、本格的な酒のツマミを手際良く、然も狭いカウンターを挟んだ目の前で、何品も一気に作っている姿に触れれば、何も言わなくとも腕のよさがわかると言うものである。
身体が弱い女性と一度結婚したようだが、若い時に逝去され実家の墓地に眠らせたそうだ。
それから彼に浮いた話は聞いていない、男の操ってやつかな。

先日も店に寄ったが《ここの主人は人が良く、お酒を勧められれば、断ることが出来ませんので、勧めないで下さい》と貼り紙がしてあった。
そう言えば不整脈があり、心臓のバイパス手術を受けたとか。
職業病的で避けられないことだろうが、独り身なら心配なことだ。
その山田から“菅村が来なければ始まらないから”とくすぐられ、熱海に足を運んだのは4月28日であった。



集まった連中の殆どは途中転職組であるが、その中に同期以外の先輩の手塚仁志さんもいた。
この方も東北は米沢商業出の6年上の先輩で総務の仕事を多く教わった。
そして亀戸や錦糸町の一杯飲み屋で山田達と良く馳走になった。
高度成長前夜の高くはないサラリーだっただろうにと思うと、頭が下がった。



そのあとに寄る総武線平井の駅裏のバー“慕情”の美人ママが今でも脳裏から離れない。
そんな他愛のない思い出話で盛り上がった貴重な熱海の一夜であった。


<銭明日二世こと菅村経悦>
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13日の金曜日 その2

2012年05月16日 | Weblog
アポ島での夜、突然始まった下っ腹の痛みと下痢。
旅の常備薬を飲んだがトイレへの駆け込みを繰り返し、殆ど睡眠できず翌朝を迎えた。
ダイビングには高い体調管理を要求されるのに、この状況ではとても無理と判断し、この日は完全静養となった。


タートル

相棒、守屋氏の方が症状は酷いようであったが、彼は食べた物を全部出し尽くしたようで、夕方迄に体調は落ち着いてきた。
自分はと言えば、良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、その後アポ島、パングラオ島、バリカサグ島、セブ島へと移動したが完治にはほど遠い症状のままである。


タートル

以前にも水あたりを経験したが、その際に医者からは毒素のようなものが体内から全て抜けない限り完治には至らないと言われていた。


ミノカサゴ


ウミウシ


クマノミのハウス


ヒトデ?


アポ島のウバウオ


ウミウシ


ウミウシ

4月19日、体調が悪いままセブ国際空港7時50分発の成田行きPR434便の機内で間もなくの帰国フライト待ち。
突然、機内灯が消えると相棒の守屋氏が口走った「嫌な予感がする」と。
間もなく機内から搭乗待合室に移動させられた、どうも右翼周辺に問題が発生したようである。

数時間後、ホテルを用意したのでそちらでランチタイムをと言うことであったので、言われるがままにホテルへ移動しランチとなった。
どうなることやらと思っていたが、間もなく空港へ再度移動させられた。
今度こそ出発かと思っていたなら、またまたホテルへとタライ回しの挙句、午後3時頃欠航と相なる。

その日はディナーも寝酒もまずく、ベットも心地よいものではなかったが物事は考えようで、飛行途中での故障でなくて良かったと思うことにした。

翌日は無事に戻ったがケチの付き始めは、俗に言う“13日の金曜日"であった。
ダイビングを始めて15年、本数も275本、この道楽に卒業の二文字が浮かび上がって見えた?

- 完 -

<銭明日二世こと菅村経悦>
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13日の金曜日 その1

2012年05月15日 | Weblog
年度も新たになって決算対策の見通しもついた4月の始め、恒例になっている道楽ダイビングに出かけた。
行き先は例のごとくセブビサヤ地方、相棒は今回も守屋氏と二人旅となる。


盟友の守屋氏

ところが今回は散々の旅となった。
いつものように通い慣れたネグロス島ドマゲッティに宿をとり、翌朝ネグロス島の子供と言われているアポ島へ出掛けた。
目的地までは、この国のダイビング船の形となっている竹で両サイドのバランスを保つ加工を施したバンカーボートで向かう。


ネグロスの子のアポ島

アポ島まではホテル前のビーチから30~40分で行く距離である。
ところが中間あたりの海上で後方の水中から突然”バキン”と異音が聞こえてきた。
ダイビングショップのオーナーであり、船主であるグレンの顔色が変わった。


バリカサグ島

間もなくエンジンのスクリューのトラブルを船長から報告された。
今は携帯電話もあり必要以上に慌てることはないようである。
グレンの内心は我々客のことよりも費用のことで頭の中はいっぱいであっただろうと察っせられる。
ほどなく救助の曳航船が現れ事なきを得て、再度港に引き返し別のレジャーボートで出直す羽目になった。


アロナキューの朝

アポ島は私の見た海では間違いなくNo.1のダイビングポイントで珊瑚が特に素晴らしい。
その自然豊かな海で1本目を楽しんだ後は、いつもならばホテルから用意して貰うパックランチを船上で楽しむのである。
然し今回のランチはアポ島の漁民の家に委託してのフィリピンスタイルのランチとなった。
魚介類のバーベキューとキニラオという鮮魚と玉ねぎを香辛料と酢で〆た料理を頂いた。
ランチには満足したが、遅いスタートとなった本日のダイビングは2DIVで切り上げる事になった。


宿泊のホテルでの早朝ウエディングパーティ
ライジングサンを見つめている招待客


フィリピンの国の花は『サンパギータ』(Sampaguita)
低木の枝葉に咲く小さめの白い花びらは上品な2香を放つ清楚にして可憐な花  
中国のジャスミン茶に入っている茉莉花と同じもの


クマノミ


イソギンチャク


ウミウシ


ギンガメアジ


ギンガメアジ

ホテルに戻って夕食までは何ともなかったが、夜半ごろ下っ腹の痛みが始まった...下痢の症状である。

- 続く -

<銭明日二世こと菅村経悦>
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