スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

師走雑感'22

2022年12月31日 | Weblog
 2022年の大晦日になっているが、今年は良い年だったと口にする人にお会いしたことがない。
来る日も来る日もロシアによるウクライナ侵攻とコロナのことばかりで明け暮れたような感がある。

 数日前の地元紙の一面に日本の50歳時生涯未婚率が掲載されていた。統計史上最高値で男が25.7%、女が16.4%の記事があった。明治維新の人口は推定3500万人、それが現在は12000万人に膨らんだのだが、22世紀の初めには6000万人になると予測されている。

 日本の一人当たりGDP(国内総生産)はこの間までアメリカに次いで世界2位だった筈なのだが、間もなく台湾、韓国に並ばれアジアで5番目に↘️、世界では30位になりそうなんだと、何れ相当なスピードで転げ落ちているのが現実の日本なのだろう。

 食、水、エネルギーは生きる為には必要不可欠なものだ。
瑞穂の国なので水資源だけは国内で賄っている、然し食もエネルギーも他国に頼っている、それも昨今はどんどん価格が上昇して🤷‍♂️

 ネガティブな令和4年締めブログになったが、レジリエンスが試される日本の現状なんだと、評論家の寺島実郎さんは語っていた。
賢く上手く適応しなさいと言われてもな〜(-_-)

 当地は北緯39度だが、ウクライナは国の南端で北緯44度に位置している。電気も暖房もままならないのではどうやってこの冬を生き延びれる?
これ以上語る言葉が見つからないヨ、"明日は明るくなることを祈る"
                                  =おわり=



煩 悩

2022年12月27日 | Weblog
 いつの頃からか、月が丘のカラオケ「スナック🌸」の常連仲間に加わったマキちゃんがクリスマスイブに亡くなった。

 とても魅力的なかすれ声の歌は、長いこと盛岡の繁華街で、美人オーナーママを張って来たようで、🌸店仲間との触れ合いも手慣れ上手なもので、人たらしの愛される面があった。

 人の欲はこれで良いと言うことがない。もっと上を、もっと長く、と欲が出るものだろうから諦めが尽きない。
 人の煩悩は108つあると言われるが、病と対峙すれば生きたいとする煩悩は、何を差し置いても究極な願いになることだろう。
 誰しも、もうこの辺が潮時と言いながらも、本心ではもう一度花を咲かせたい、健康を取り戻したいと思っている。

 マキちゃんも病が癒えたなら、「スナック🌸」のマイク🎤を握る日が必ず訪れると信じながら、まさかの旅立ちになったのだろうか?

マキちゃんの持ち歌"腕に虹だけ"
🎶
 強がり生きてるしかないね
 一番暗い 夜明け前
 泣きたくて 一人笑うと
 自分にさえも 見栄を張ってる
 ・・・・・
 人生は咲きながら散る桜
 眠りもいらない 慰めもいらない
 酒もいらない 腕に虹だけ抱いて🎶      (12月24日早朝永眠🙏)
            =おわり=

愛情ホルモン

2022年12月21日 | Weblog
 最近の自分ら高齢者の会話は"カラダの調子はどう"とか"どこの病院に通っているの"など、まるで人生の終わりをさぐり合っているようだ。
初代:てつ
 2年前、最後の愛犬と死に別れた。それ以前は、我が家は40年間、いつもペット達と共に暮らして来た。前半は奥方が嫌いだったので室外、後半は奥方の方が可愛がるので室内で飼うようになった。
 居なくなってからは、心にぽっかり穴が空いたのは言うまでもなく、夫婦の諍いも多くなったような気がする。
二代目:ルパン
 最近の雑誌で長生き術として、食べもの、運動、睡眠はよく言われるが、新常識として「犬」の効用の記事があった。
それも癒しと言う曖昧なイメージではなく、科学的なバックグランドがあり、米国の有名な科学誌「サイエンス」に掲載された記事だ。
三代目:スシ
 犬と戯れることによって、オキシトシン(別名愛情ホルモン)がもたらされ、飼い主に安心と信頼が湧き出て「心の健康度」が上がった。と考えられることが実証された。これは犬特有のもので他の動物にはないそうだ。
四代目:エコ
 人生の最終段階に入った今、健康談義を交わすのも結構だが、自分は愛犬と"eye to eye"のコミュニケーションの「幸せ感の共鳴」で終わりに向かいたいものだナ・・・・
            =おわり=


菜園の街

2022年12月13日 | Weblog
 盛岡城跡公園の直ぐ西側に菜園通りの街がある。その道の先には北上川に架かっている開運橋があり盛岡駅に辿り着く。
(開運橋・北上川・岩手山)
 開運橋は二度泣き橋とも言われている。東京から転勤して来た時には遠くに来たと悲しくて泣きながら渡る橋。
そして転勤が終わって東京に帰る時には優しかった人たちと別れるのが辛くてまた泣きながら渡る橋。盛岡の人柄が忍ばれる例え話ではないだろうか!
(菜園の川徳デパート)
  昨夜、馴染みの店「スナック桜」のマスターから忘年会の誘いを受けた。
俺が懇意にしている盛岡城公園下の菜園の居酒屋でやるからと言われ喜んで駆けつけた。
(盛岡城跡=不来方城)
 その店「居酒屋網玄」は、自分が50年ほど前に、この菜園の一角に事務所らしきものを構え、会社として商いのスタートをした、正にその場所であった。

 ここに10年ほど居たのだが手狭になり郊外に移転した。その後に網玄さんが店を構え今年で38年になるようだ。
 長い年月を繁盛店で切り盛りして来た田中大将(オーナー社長)の手腕に敬意を表すのだが、我が社もこの地から巣立って50年になるから、ここは商いの神様に見守られている幸運な地であるようだと、関西弁の大将と懐古し盛り上がった。

 今宵は久しぶりで味わう、前沢牛のすき焼きや鱈の白子料理と新潟の銘酒にすっかり酔ってしまった。
 ゴチ酒に遠慮することがない自分であった🙏
            =おわり=