スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

弥生雑感'21

2021年03月31日 | Weblog
 厳しかった冬からやっと抜け出した。加齢と共に酷寒は辛く、ここに来て今年も無事乗り越えられたと安堵する


 春になれば🚗の免許更新もあるので、眼科検診に出向いた。見えるのは右目だけなので、両眼で0.7以上の更新条件にはイエローシグナルなのである。
 その右目も元々遠近のメガネをかけているのだが、老眼が進行し白内障も追い討ちをしているようで0.6程度まで悪化していた。Doctorには年相応と言われた。
 娘には免許返上した方が良いよと、軽く言われてるのだが・・・・

 月末にコロナワクチン接種の知らせが届いた。WHOの調査報告では武漢のコーモリ説は証明されていないが、否定もされていない。

 いつの間にやら中国は超大国になっている。経済力を見るGDPでは🇺🇸に次いで世界二位、軍事力でも🇺🇸🇷🇺に次いで三位とある。
 かの国の首脳陣は強気一辺倒で対外的には笑顔は見せることはない、然し自分さえ良ければと映る、東・南シナ海、西・南サ諸島でやりたい放題、一帯一路とかでは後進国に多大な資金援助をばら撒く、分担金二位の立場で国連さえも押さえに掛かっているようでもある。
 民主主義と社会主義、1億人と13億人、乾杯は飲み残すと飲み干す(ᵔᴥᵔ)等々、隣国として避けられない付き合いをせざるを得ないのだろうが、今後どうなって行くのだろうか?
              =おわり=

 

 

地震と自信

2021年03月28日 | Weblog
 21日の春彼岸に奥州市岩谷堂の故郷に墓参りに出向いた。父親は50年前、母親は17年前に他界したので、夢にも現れなくなって、ここに来なければ会えない気がしている。
 

 ついで参りは良くないと言うが、6年前に逝った親友の墓にも立ち寄る、ノンアル🍺を飲みながら思い出話に花を咲かせて来た。

 帰りに北上在住で旧知のSさんと一献酒を酌み交わし始めた6時頃、スマホが異常信号を発し、築100年の居酒屋が大揺れして、外に避難した。
 最近強い地震が時々起こる、10年前に関係する余震とのことだ。地震って怖い。


 社会に出て、いつの間にやら酒呑みになってしまった。若い頃はいくら飲んでも翌日には回復し、連日の様に飲み歩いたものだ。酒を飲む奴は仕事も出来た時代で、大病はしたことがない。


 最近はそうは行かなく4飲3休にしているのだが、コロナ禍では外出は控えていた。
 然し、今宵は新幹線も止まって動かないことを口実に、ハメを外して痛飲した。
 地震も時には昔を思い出して自信になった。
               =おわり=

 

 



キンキ

2021年03月15日 | Weblog
 今、国会の政治の世界では民間会社からキャリア官僚や大臣が接待を受けたのは、倫理規定や規範違反にあたるとやらで、槍玉になっている。 
時代劇では悪代官が発っする"越後屋、お主もワルだな"の迷場面の現代版に相通じる様だ。


 最近小説家で冒険屋の開高健さんの実録をBSで見ることがあった。巨大魚を釣りに世界中に旅したようだが、この方はその魚を食したそうで"人心が通じる道は、胃を通る"と言っていた。
 いつの世にも、美味しい食べ物を共に味わい語り合えば、心が和み笑いが絶えなく、交渉ごとも纏まると言うことなんだろう。


 昨夜はキンキ(吉次)を食べる機会に恵まれた。今が最高に脂がのった北海道産で、憧れの高級魚である。


 やはりこう言う料理を食べる席では、話しも弾む。
 今夕は小難しい交渉ごとではなかったが、いつかそんな場で食べてみたいと思った👎
               =おわり=




10年の歳月

2021年03月11日 | Weblog
 "歳月人を待たず"、2度と戻らない時間を大切に生きよう、と言うことなんだろうが、日々を笑顔を絶やさず、明日を夢見て暮らしていた人々の人生を、一瞬にして閉ざしてしまったのが、10年前のmag9.0の東日本大震災であった。


 海岸の住人にはこのような大惨事が過去にあったことは耳にし、学校でもコミュニティでも学んではいたのだろうが、忘れた頃にやって来た巨大な地震と津波では、一瞬の判断に迷い避けられなかったのだろう。


 自分も75年生きて来た。その間、天災、人災は数多く、人命を無視するような秩序なき事件報道にも接して来た。
今も経験したことがない、感染症パンデミックと闘い続ける、どれを見ても多くの人々の大切な命を奪い去る。東日本大震災の犠牲者と関連死は22200人にもなっている。


 我が身が被災者になるとは誰もが、夢にも思っていない。自分に降りかからないと人の記憶は次第に薄れてしまう、被災された当事者だけが永遠に心に傷を負って生きなければならない。どれほど辛いことであろうかと思う。

 幸いとは言うべき言葉ではないが、自分はあの日、陸前高田に居たのだが、震災からは免れ大きな被害はない、コロナ禍でも今のところ感染の疑いはない。然し、幼い頃のような澄み切った青空に戻ることはない。
               =おわり=