スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

霜月雑感'21

2021年11月30日 | Weblog
 温暖化とは言うが、24日には初雪が降り今年も季節は冬になる。月末の気温も朝は0℃を下回る、日中最高も5℃と真冬の感、朝の天気予報では、東京は15℃で、寒い寒いと報じる、生き物の体質って住んでいる自然環境に慣れるのだろうか、10℃も高いのに腹立たしい。

        (雪帽子の岩手山)
  先週だったか、NHK全国放送でここ1ヶ月での岩手県のコロナ発症が1件だけを取り上げていた。然し、夜の街に人は戻って居ないことも報じていた。時間さえあれば率先して飲み歩いていた頃を思い出す。
 確かに自分の様な浪費癖の奴や、飲み会が好きな社用族が街に溢れ出さなければ経済は回らない。

 
 今月、春夏秋と楽しませてくれた樹木や花々も休眠期に入り、畑の野菜も終わりを告げ、やることも無くなって来た。
 こんな時はのんびり、過ごせばと思うのだが、持って生まれた性格が邪魔をする。

 以前途中まで作成をを手がけていた、アルバム整理を始めた。年代ごとに40冊もあり、未だ道半ば。
 棺と共に消えてしまう、終活資料だろうが、写真を見ながら思い出に浸る。
こんな俺を、奥方は本マグロと茶化す\(^o^)/
                                =おわり=

 

 
 

準中型免許

2021年11月24日 | Weblog
 18才高三になって🚗普通車免許を取得した。当時ペーパー試験は県に一つの公安委員会だけだったので、奥州市〜盛岡一本木まで友人のバイクに便乗、初日は不合格で盛岡駅に泊まって再試験に臨んだ記憶がある。

 あれから58年になる、最近こそゴールド免許を継続しているが、若い頃は怖いもの知らずの危険と隣り合わせなドライバーで、スピード違反を繰り返し、未成年の頃は家庭裁判所に父親と出頭したこともある。

 最たるものは、命の危険にも遭遇した。ガードレールも中央分離帯もないR4国道で、よそ見運転の大型トラックが正面から襲ってきた、間一髪で後部ドアから4、5m吹っ飛ばされた。あの時、アクセルとブレーキの瞬時判断が違っていたなら若くしてこの世から消えたことだろう。

 数を重ねた何度目かの免許更新が今年6月に迫っていた。時を同じくして左目の視力が全く失って、免許返納も覚悟した。
 然し、コロナ禍で人との接触を避ける対策の為、有効期限手続きの延長通達があり、その間に右目の手術や治療に専念出来た(6月のブログ"眼の手術")。

 その甲斐があり、先週何とか更新手続きを終えることが出来た。
 向こう3年、安全運転を心がけ次回は返納することにする。
 然し、自分にはまだ残り運が残っていたようだ。
                               =おわり=

てんど

2021年11月18日 | Weblog

 自分はご飯より麺、特に好きなのは日本蕎麦が大好きだ。美味い店があれば毎日でも食べたい。
 最近近くの、AEON盛岡周辺に“ゆで太郎"と言う名の店が開店した。岩手はここだけだが全国に180店舗ばかり展開中だとか、今は週数回はここで朝飯を食う。

 何せ7時〜11時までのサービスタイムは360円〜で蕎麦が食える。店内の製麺室をショールームの様に実演させているのも売り物のようだ。
 今朝も冷やし蕎麦に焼鯖明太高菜小鉢丼で腹を満たした。日本のソールフードは健康にも優れている。

 日本蕎麦って寒い地方産が有名だ、岩手産も美味いのだが会津、山形、長野で食べた味が忘れられない。
 
 10年ばかり通った男の料理教室で知り合った連中と蕎麦打ち会も何度かやった。自分でも時々は蕎麦粉を買って実践してみたり、この県では盛んな栽培産地、山形村開催の蕎麦打ち体験ツアーにも参加してみた。蕎麦って山間地の方が適しているのかナ


 そんな訳だから、経験は相当積み重ねたのだが、腕より口が先に出る所為か、いつの間にか蕎麦打ちを辞めてしまった。
 自宅の倉庫には蕎麦打ち道具が泣いている。
 盛岡弁ではこの様な不器用な奴を"テンドわるー"と言うΣ(-᷅_-᷄๑)
            =おわり=


 




明と暗

2021年11月07日 | Weblog

 人生半ば頃、友人の選挙に携わって敗北したことがある。ショックと虚しさでなかなか立ち直れなかった。
 今回の衆議院議員選挙岩手3区で小沢一郎が敗れた。1969年(昭和44年)に27歳で初当選から17回連続勝って来たのだが、その伝説が終わった?

 自分が20代始めの頃、仙台の会社勤務時代、岩手開拓の拠点を水沢市(現奥州市)袋町に事務所を置いたことがあった。
 この事務所の大家が小沢さんの父親佐重喜代議士の生家であったから、里帰り中の代議士が突然事務所に見えられお茶を飲んでいった。自分には誰なのか分からなかったが、後で知る。当選10回で自民党一筋のたたき上げ大物代議士であった。

 その数年後代議士は突然亡くなり二世議員として、華々しく登場したのが小沢一郎であった。
 田中角栄時代や47歳での自民党幹事長時代には、岩手に5人目の総理誕生かと将来を嘱望されていたのだが、今となっては語るに落ちた。

 東日本大震災の非常時に岩手に東北に被災者に寄り添わなかった、そのことが原因なのか、和子夫人に三下り半を突きつけられた。
しっかりと留守がちの地元選挙区を守っていた、高評価で信頼が厚かった和子夫人であったのだが!

 政治ジャーナリストで小沢の天敵と言われ、和子夫人の離縁状スクープ記事を書いた、松田賢弥氏が選挙結果を見ずに10月初め亡くなった。松田の出身地は北上市である。
 ここを拠点に小選挙区で戦って来た、藤原崇(38歳)は初めて小沢に勝利した、大金星である。藤原崇もまた北上(西和賀町)出身者である。何かわからないけど因縁めいたものを感じる。
            =おわり=