スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

霜月雑感'17

2017年11月30日 | Weblog
いつもの年より冬の訪れが早く、既に岩手山は真っ白に薄化粧している。昨日は当家の家長も厚化粧して花巻温泉「佳松園」に幼友達と出掛けて行った🙌

国技の相撲界はモンゴル勢の力士に掻き回されている、今月起きた力士暴行事件も、加害者日馬富士が横綱として責任を取り昨日引退した。核になる強い日本人の出現を待ち焦がれて久しいのだが・・・


11月もあっという間に終わろうとしている。働いても居ないのに結構多忙な月であった、奥方からはマグロと命名されているが、秋の夜長を読書で過ごすことは全くしなかった、心の片隅ではこの本を読もうとしているのだが、いつも積ん読で終わる。
生来は貧乏性なのだろう、家でのんびりすることはなく、それがすっかり板についてしまっている。

(葵の妹思い)

土日は隣に住む孫の朝食を作るのが数年前から続いている。
ダンスが得意な葵は11歳になる、4歳の頃から習っている、今はそっちこっちのイベントから声がかかる。7歳の日向はスイミングスクールに通っている、身体がでかいのでやる気が出れば、大化けする可能性を持っている。

(日向 7歳お宮参り)

この孫達の習い事費用のスポンサーは自分である、何れ将来が楽しみな姉妹であるが、健やかに素直に育ってくれれば、ジジィとしての願いはそれだけ(ᵔᴥᵔ)
=おわり=


心の目

2017年11月26日 | Weblog
北東北のゴルフシーズンも終わりになっているが、今年のスコアも芳しくなく終わっている。70歳以上はシルバーティから打っていいことになっているが、よくプレーする仲間が60歳代なので、レギュラーティから打つ方が殆どでパワーがなくなった今は好スコアが出ない。

(ゴルフ仲間)

40歳後半に遡るが、急にゴルフプレー中に異変を感じた、ボールが芯に当たらなくなったのである、こんな筈じゃないと我が身を疑った。
それまで眼科には無縁だったが、盛岡の中央病院を訪れて検診を受けた、その結果左目に眼底出血が見つかって、レザー手術で1/4を塞いだ。原因は動脈硬化が最も考えられるという事で、院内のそっちこっちの検査を受けた記憶がある。

その時のドクターが盛岡駅前に開院し、今も世話になっているから、あれから25年くらいになる。一年程前には何故か医大に回された、そこでの最新医療を受けた(当ブログ「持病 2016.12.28」)。
ここで中央病院以来2回目のレザー施術を受けているので、我が左目は相当壊れているのだろう。

そんな次第で最近どうも目の調子が良くないので、眼鏡店に相談に行く、案の定左目の視力は衰えていて新しく眼鏡に変えざるを得なくなった。

(効果はあるのか?)

問題は来春の車免許の更新も心配であるが、ゴルフが出来なくなったのでは、生きる力に影響するだろう。心の目を養わなくちゃ・・・(ᵔᴥᵔ)
=おわり=

クラス会後編

2017年11月17日 | Weblog
忘れもしない東日本大震災に三陸が襲われたのは平成23年3月だったが、45年振りの最初のクラス会は少し前の平成20年に開催した。あの大惨事が起こるとは夢にも思っていない、美しい松原で有名な陸前高田で開催した。
それからは2年サイクルに、宮城遠刈田(h22)、福島白河(h24)、岩手厳美(h27)、今回の仙台秋保(h29)と継続開催している。

(震災前の高田の街と松原)

40名編成のクラスであったが、先に旅立った奴が8名居たので、32名の半数以上は集まる。今でも働いている奴は稀で、殆どは前期高齢の年金生活者である。然し都市銀行や上場企業を勤め上げた奴等は今でも余裕があるようだ、女性は結婚と共に会社を辞める時代であったから、こうしてクラス会に参加できる奴等は幸せな人生を送ってきたのだろう・・・

この夜は初参加の及川省司君が宴を盛り上げて居た。学生時代の彼は陸上の長距離ランナーで、地味な存在だったが、就職した松下電器では宴会部長であったとか、退職後の今では趣味が変じて社交ダンスやヨガの指導者をやっているようだ。
殆どの奴らは学生時代と顔も性格も余り変わらないが、こいつだけは相当変わっていた(ᵔᴥᵔ)

誰もが思ったことだろうが、改めて振り変えってみれば、高校を出てからの54年の月日の長さと重さは、一夜二夜では到底語り尽くせないものがある。
=おわり=




クラス会前編

2017年11月15日 | Weblog
岩手県立水沢商業高等学校、昭和39年卒業、3年A組クラス会は、還暦を少し過ぎた10年程前、陸前高田の一杯飲み屋で自分と菅野征一君が酒を酌み交わしながら持ち上がった。

それまでの高校卒業後の45年間、3年A組クラス会はただ一度も開催されなかった。菅野は高田、自分は盛岡と岩手に住んではいるが、地元水沢にもクラスメートは残っていたので、先頭に立っての音頭取りにはいささか遠慮があった。
酒が入るとカラオケ好きな二人である、この夜も青春ノスタルジーに浸りマイクを握った。

🎶 赤い夕日が 校舎をそめて
ニレの木陰に 弾む声
ああ 高校三年生 ぼくら
離れ離れに なろうとも
クラス仲間は いつまでも 🎶


この歌は遠藤実作曲で舟木一夫が学生服姿でデビューし、大ヒットした「高校三年生」で、終戦っ子と呼ばれた我々世代が高三の昭和38年と重なったから、正に我々の為に作られた歌と言っても過言ではなく、甘酸っぱい青春時代が懐かしく蘇る。

3年A組は男女半々位の40名編成のクラスであった。東京オリンピックが行われた年に卒業し、2/3位は都会に出て行った。この実業高校は岩手ではトップクラスの就職率を誇っていて、金融機関を筆頭に上場企業の求人が多かった。

今回はこの仲間のことを少し触れて見たくなった。
=つづく=