スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

海ホタル?!夢ホタル?!

2010年07月23日 | Weblog
我が社にとっての将来の為にも是非成功させなければならない商材に太陽光発電がある。
然し取り組み開始から足掛け14年になるが、未だに私の仕事の道楽の範疇である。
2000年頃この商売が花開くのはいつだろうと
当時あたることで評判だった占い師に相談したなら2008年と言われた。

それを信じて盛岡と仙台でやってみたが、資金が続かなく今は細々の事業になっている。
占い師の言われた通りここに来て大きく開花したから尚更に悔しい。
先見の明はあったが戦略の立て方が貧弱であったと反省している。
原因他人論にしたくはないから自分の非力さを嘆くのみである。

そんな太陽光発電であるが、昔からの仲間が集う会があり千葉県房総に出かける。
リーダーをしている前橋の山田さん、事務局を担っている名古屋の森さんと羽田空港で落ち合い初めて海ホタルをわたった。



ハマコーが作った最たるものと聞いていたが、一瞬で木更津に着いたのには驚いた。
私にとって太陽光発電はビジネスでは成功しなかったが、掛け替えのない友人達も連れて来て貰ったと感謝している。



翌日今後の成功を決起して別れ東京に向かう。
向かう先は47年前に社会人の入口として就職した三菱製鋼時代の同期の会である。
昨年3月に不幸にもガンで倒れた佐藤義勝君を偲ぼうとして集った仲間である。(ブログ2009.4 夢を語りあう時もあった)



あの時高卒の同期が60人くらい居たと記憶しているが、集まったのは8人である。
最後まで勤めあげたのは数人であったそうだ。
自分はいの一番にやめたので覚えてくれているようだが、10年も勤めたなら辞められなかったのではないかと思う時がある。
そうした場合の我が人生はどんなだったのだろうか!

彼とは青春の悩みをぶつけては酒の味もわからないのによく飲んではウサをはらしたっけ。
またいつか飲もうぜ 待ってろよ 合掌!

<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ

「節目の65歳」人生ってこれから、それともここまで!

2010年07月20日 | Weblog
還暦を廻ってから5年間、あっという間にみるみる内にここまで来てしまった。
65歳は俗に言う国から給料を貰えるフル年金受給年齢である。

問題の多い年金問題でもある。
何よりも個人事業主が加入している国民年金
会社が加入している厚生年金、公務員が加入している共済年金の制度が
夫々で一体化して不公平感を払拭しなければならないのに
制度改革が一向に進んでいないのである。

大体にして民間から多く吸い上げた税金が多いのに
共済年金が一番高いとはどういうことだ。
誰しもが考えることは収入に併せて支出を図るのが当たり前なのに
支出ありきで収入を画策している愚かな役人天国の日本である。(怒)
 
年々減額されているとは言え我々の年齢はまだ良い方としても
これから年金制度はどうなって行くのだろうかと危惧される?
然し45年間も継ぎ込んできた訳であるからここは貰うに越したことはない。


話は変わるが「孫の可愛いと向こうずねの痛いのはこらえられぬ」とはよく言ったものである。

閑話休題
我が社では年金上積み制度の厚生年金基金が発足してすぐ加入(昭和63年発足の任意加入)したので
その上乗せ分もあり夫婦とペットと孫支援の暮らしをするのには何とかなる年金額ではある。

反面、年金基金制度はその掛け金のほぼ全額を会社で負担しているので経営が厳しいこの時代
脱退も視野に入れているのであるが、今はそれすら簡単にできない悪制になっている。
私が事務局を担っている業界(冷凍空調業者70社)でも15%程度の加入率である。
言うなれば制度に加入している会社は良い方に分類される企業の証でもあったと思う。
 
果たしてこの先何年受給できるか先のことは分からないが
健康を害しては受給価値も半減するので、何とか元が取れる10年間は心身ともに元気でありたい。

私の健康プログラムを再度考えてみなければと思ってはいるが
夜な夜な宴席の誘惑に勝てず嬉しそうに出掛けてゆく自分である。

”明日からは己に厳しく生きよう”

<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ

「人生はあざなえる縄のごとし」ではあるが?

2010年07月03日 | Weblog
スポーツジムに通って間もなく4年になる。
週に数回ひたすら筋トレと有酸素運動だけやっている、このジムの中では少数の一握りの目立たない地味な会員と自負している。

ここのインストラクターにKと言う方がいる。
歳の頃は40歳くらいだろうか?
出身が同郷に近い所為もあり、親しみを感じていた。


「啄木歌碑と岩手山」


ひと月ほど前になるが、そのKに「今日は元気がないね」と声を掛けたなら
「人間だからそういう時もあるんだよ」と、つっけんどんな応対で返された。
なんだよ客に言う言葉かよと思ったが、息子みたいな年の差でもあるので会話はそれで終わっていた。

それが今日はロッカールームで携帯メールしていたなら
「ここは携帯使用禁止です」と謙譲語も入れないで、直球を投げかけられた。
確かに禁止ではあろうが、口の聞き方に腹が立った。

「何か最近、俺に随分つっかかるんじゃないのか」と言ってしまい後には引けない空気に包まれてしまった。
持病の高脂血症からもメタボからも遠ざかり、健康体になっているので、そろそろ辞めても良いかなと感じていたことがその後の二言三言になっていた。


Kが言葉のやりとりは兎も角、客である私に悪いと思ったんだろうか
「実はひと月前に女房と一歳の息子が失くなり、自分でもどうしたらいいのか分からないんです」と急に嗚咽された。(茫然自失)



その一瞬、後に続く言葉は見つからなかったが「そうか事情も分からず申し訳なかったな」と言うだけで精いっぱいであった。


Kもこんな人生を迎えるために生きて来た訳でもないだろうに、と思うと何にも言えない...
言えることは、ひと月前のKの心情は計り知れずいかばかりだったんだろうかと思った。
またこれでジム通いを辞める訳にもいかなくなったな~


<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ