今年も桜を見ることが出来た。花見をする度にあと何年見られるのだろうと感傷的になる。
(盛岡医療センターの桜)
「みちのくの束稲山の山桜、吉野の桜ここに見るとは」
(束稲山のお花見想像)
(盛岡米内の桜)
(盛岡医療センターの桜)
「散る桜、残る桜も、散る桜」
自分が生まれた終戦の年、鹿児島知覧特攻隊基地の戦闘機隊員が命に立ち向かう覚悟を口にした言葉として残っている有名な言葉なのだが、語源が江戸後期の良寛和尚の辞世の句にあったとは知らなかった。
「みちのくの束稲山の山桜、吉野の桜ここに見るとは」
1186年鎌倉時代の始め、歌人西行法師が古都平泉を訪れた際、山家集に残した歌なのだが、その数年後平泉が滅ぼされてしまい、法師も1190年亡くなるとあった。
(束稲山のお花見想像)
その後、江戸時代の1689年に松尾芭蕉も平泉を訪れたのだが「夏草や兵どもが夢の跡」を残しているが桜の季節ではなかった。明治に入り石川啄木も「やはらかに柳あをめる北上の 岸辺目に見ゆ泣けとごとくに」の類の代表作はあるのだが桜の歌ではない。
芭蕉も啄木も桜の歌を残していたなら、未来永劫語り繋がれただろうにと残念に思った。
(盛岡米内の桜)
北国盛岡の桜は4月末に合わせて咲いてくれるので、GWがより賑わいがあったものだが、いつの頃からだろうか4月半ばに満開が早まっている。
何から何まで忙しく慌ただしい世の中になっているが、昔のまんまの方が落ち着いて嬉しいこともある。
=おわり=
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