75年前の今日長崎の街が原子爆弾の被災にあった。今年も長崎平和記念式典の時間に手を合わせた、改めて平和の尊さに感謝した。戦争の終わりはこんなことでなければ幕引きにならなかったのかと胸が痛くなった。
🎶こよなく晴れた青空を 悲しと思う切なさよ うねりの波の人の世に 儚く生きる野の花よ・・・・・・・・・・・・・・・・・
🎶こよなく晴れた青空を 悲しと思う切なさよ うねりの波の人の世に 儚く生きる野の花よ・・・・・・・・・・・・・・・・・
なぐさめはげまし長崎の ああ長崎の鐘が鳴る🎶
先日の地元新聞に昭和20年太平洋戦争末期に釜石の街も米英連合軍の艦砲射撃に二度襲われた記事が掲載されていた。そんなことがあったのは知っていたが、犠牲者が750余名にのぼるとは知らなかった。
長崎も釜石も大手の軍需産業工場があり、そこを突かれ攻撃されたのだろうが、戦争やテロは一般住民を巻き込んでしまう。
75歳になる自分は終戦っ子であり、日本が敗戦の最貧国状態から徐々に脱し、立ち直って行く戦後を経て、高度成長の平和な時代を当たり前の様に生きて来た。言わば平和の有り難さにどっぷり浸り欲望も留まらなくなって来ている。
そんな矢先の新型コロナ禍は、人間に戒めの反省を促しているようだ。この辺でリセットしなさいと天は投げかけて来たと捉えた方が良さそうだ。
=おわり=
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