大切な友人の一人がまた一つ消えてしまった...
数年前に癌に冒され闘病生活を余儀なくされていたが、力尽きたということなのか早過ぎる旅立ちである。
45年前の春、東京の製鋼会社に就職した際、隣県秋田出身ということもあって特に親しくなり、我が人生において忘れられない友となっていた。
彼は技術畑、私は事務畑の違いはあったが、妙に気の合う仲だった。
上野駅13番ホーム
当時は高度成長期の入口であり、工場は3交代のフル生産体制。日本の重厚長大産業は今では考えられない好況で活気溢れていた。
東京に身寄りの無い我々は四六時中一緒で、夢や悩みを語りあっていた。
世間知らずの田舎者でもあったから、一国一城の主になることばかり語っていたような気がする。
間もなく自分は都落ちするが、彼は10年ばかり奉公してから転職した。
それからは点での付き合いになるが、彼がいたから今の自分があるような気がしてならない。
私にとっては忘れることができない一等星であった。
今一度桜の花の下で酒を酌み交わしながら、義っさんの大好きだった「あ~上野駅」でもしんみり聞きたかったなぁー!
・・・・どこかに故郷の便りを乗せて、入る列車の懐かしさ、上野はおいらの心の駅だ・・・・・・・・・
<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ
数年前に癌に冒され闘病生活を余儀なくされていたが、力尽きたということなのか早過ぎる旅立ちである。
45年前の春、東京の製鋼会社に就職した際、隣県秋田出身ということもあって特に親しくなり、我が人生において忘れられない友となっていた。
彼は技術畑、私は事務畑の違いはあったが、妙に気の合う仲だった。
上野駅13番ホーム
当時は高度成長期の入口であり、工場は3交代のフル生産体制。日本の重厚長大産業は今では考えられない好況で活気溢れていた。
東京に身寄りの無い我々は四六時中一緒で、夢や悩みを語りあっていた。
世間知らずの田舎者でもあったから、一国一城の主になることばかり語っていたような気がする。
間もなく自分は都落ちするが、彼は10年ばかり奉公してから転職した。
それからは点での付き合いになるが、彼がいたから今の自分があるような気がしてならない。
私にとっては忘れることができない一等星であった。
今一度桜の花の下で酒を酌み交わしながら、義っさんの大好きだった「あ~上野駅」でもしんみり聞きたかったなぁー!
・・・・どこかに故郷の便りを乗せて、入る列車の懐かしさ、上野はおいらの心の駅だ・・・・・・・・・
<銭明日二世こと菅村経悦>
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