暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

東海道を歩く(2) 茶室 城山庵

2010年02月02日 | ハイキング・ぶらり散歩
    (つづき)
県立大磯城山公園(旧三井別邸)の「城山庵(じょうざんあん)」は、
かつてこの地にあった国宝「如庵」を模して
平成2年に建てられた茶室です。
見学をお願いすると
「どうぞ上ってご覧ください」
気さくに見せてくださいました。

城山庵は二畳半台目、炉は向切りです。
「筋違いの囲い」の席と言われる如庵同様に、
床脇にうろこ板を入れて斜めの壁面を作り、
茶道口一つで給仕口を兼ねれるように工夫されています。

中柱と火灯口を刳り貫いた板戸で仕切られた点前座は明るく、
二畳半台目という狭さを感じさせない空間です。
勝手付にある二つの窓は竹を外から詰打ちした有楽窓でした。

三畳の水屋には丸炉が切られ、二畳の「鞘の間」もありました。
控えの間は、七畳床付きの「上の間」と次の間の六畳から成り、
渡り廊下で「城山庵」の「鞘の間」とつながっています。

           

床には白梅と有楽椿が竹花入に生けられていました。
三人で茶室に実際に座り込んでみますと、
客は二人または三人が良さそうです。
でも点前座向うの、半畳の使い勝手が今ひとつピンと来ません。

空間のゆとりと明るさを生み出すための半畳なのでしょうか?
それとも、誰かをそこに座らせたいのでしょうか?
書院と繋がっている「鞘の間」の役割にも改めて興味を持ちました。
どうして「鞘の間」を作る必要があったのでしょうか? 
次々と興味や疑問が湧きあがります。

池のある回遊式庭園も素晴らしく、こんな身近に「如庵」(写し)が
あったことにとても感激しました。
ただ一つ残念な事は暦張りではなかったことでしょうか。

1時間当りの賃料が城山庵1400円、控えの間930円というのも
驚きです。

          

如庵の跡地へ行くと、冬枯れの柴地に大きな庭石が残っていて、
如庵の変遷の歴史を伝える案内板がありました。
昭和12年から45年まで此処に「如庵」があり、
寄付(松声寮)、書院(旧正伝院書院)、露地とともに
茶苑が構成されていたそうです。

冬枯れや兵ものどもが夢の跡・・・の風情を眺めると、
「如庵」が犬山市有楽苑へ移築したことが悲しく、無念でした。

      (前へ)            

     写真は、上から「城山庵」「点前座」「如庵の跡」