下鴨神社の大木(写真がないので・・・)
12月15日、淡路島のT氏の茶事へお招き頂きました。
四国遍路の折に通過しただけなので、淡路島は初めてでした。
T氏は真言宗寺院の若住職なので、このたびのご縁は
お大師様のお導きかもしれません・・・。
T氏の茶友でもあるSさまに同行して(はぐれぬように後を追って)、
神戸三宮から高速バスで明石海峡大橋を渡り、島をほぼ横断し、
バス停から茶友Mさまのご主人に車で送って頂き、無事到着。
思っていた以上に遠かったです。
初の御目文字にかかわらず、ご指名により正客は不肖暁庵、
次客はT氏の先輩Iさま(徳島より)、三客はSさま、
四客はMさま(淡路島在住)、詰はT氏の茶友Sさま(徳島より)です。
待合(洋間)へ入ると、
テーブルの上に舟の様な煙草盆と粉引の火入がありました。
煙草盆は機織りで緯糸をくぐらせるのに用いる杼(ひ)、
韓国の民具だそうです。
「嬉し悲しの六字あり 宗悦」
と書かれた掛物があり、六字とは嬉し悲しの字数かしら?
あとで伺うと、柳宗悦(やなぎ むねよし)の書で、
六字とは「南無阿弥陀仏」と知り、早や赤面です。
六字を唱えれば、嬉しい時も悲しい時も
仏がいつも一緒におわします・・・ということでしょうか。
その下に、何か書かれた紙が置いてありました。
それは・・・「藤村庸軒師走消息」の読み下しでした。

甘酒を頂戴して腰掛待合へ進むと、煙草盆が・・。
根来のような古盆、海揚がりを思わせる陶片の灰皿、漆器の煙草入れ、
(う~ん、私の好みをご存知みたい・・・どれもステキです)
手付てあぶりが人数分用意され、その温もりと精巧な造りに
一同歓声をあげてしまいました。
あとで高野山での修業の折、凍えるような寒さの中、
衣の袖に手あぶりを忍ばせて暖をとったというお話を伺い、
厳しい仏道修行の一端を知ることが出来ました。
迎え付けを受け、閑かに無言の挨拶を交わしました。
蹲で身を浄め、茶室「真清庵」(四畳半)へ席入です。
床の掛物は一目で待合にあった読み下しの本歌
「藤村庸軒師走消息」とわかりましたが、一字として満足に読めません。
当ブログで庸軒流Sさまの茶事へ伺ったことを知ったご亭主が、
何か庸軒流に因むものを・・と考えてくださったそうです。
茶室の淡い光の中、濃淡が美しくリズムのある庸軒の筆運び、
味わい深い表装を目に留めました。
消息は益田鈍翁旧蔵で、表装の一部は鈍翁が手を入れたそうです。
・・・お心入れの掛物に恐縮しながら(汗)
「ありがとうございます。
これからが(どうなることか?)楽しみでございます・・・」

金戒光明寺の山門
藤村庸軒は千宗旦の高弟ですが、なぜか身近に感じる茶人でもあります。
2010年の今日庵・宗旦忌で庸軒作の竹一重切・銘「時雨」と出逢い、
たしか楽美術館で庸軒好み「凡鳥棗」を拝見しています。
それに、我が灌雪庵近くの金戒光明寺塔頭・西翁院には庸軒の墓と
遺愛の茶室・澱看席があるのです(残念ながら非公開です・・・)。
先は長くなりそうですが、よろしかったらお付き合いくださいまし。

淡路島・師走の茶事-2へつづく
12月15日、淡路島のT氏の茶事へお招き頂きました。
四国遍路の折に通過しただけなので、淡路島は初めてでした。
T氏は真言宗寺院の若住職なので、このたびのご縁は
お大師様のお導きかもしれません・・・。
T氏の茶友でもあるSさまに同行して(はぐれぬように後を追って)、
神戸三宮から高速バスで明石海峡大橋を渡り、島をほぼ横断し、
バス停から茶友Mさまのご主人に車で送って頂き、無事到着。
思っていた以上に遠かったです。
初の御目文字にかかわらず、ご指名により正客は不肖暁庵、
次客はT氏の先輩Iさま(徳島より)、三客はSさま、
四客はMさま(淡路島在住)、詰はT氏の茶友Sさま(徳島より)です。
待合(洋間)へ入ると、
テーブルの上に舟の様な煙草盆と粉引の火入がありました。
煙草盆は機織りで緯糸をくぐらせるのに用いる杼(ひ)、
韓国の民具だそうです。
「嬉し悲しの六字あり 宗悦」
と書かれた掛物があり、六字とは嬉し悲しの字数かしら?
あとで伺うと、柳宗悦(やなぎ むねよし)の書で、
六字とは「南無阿弥陀仏」と知り、早や赤面です。
六字を唱えれば、嬉しい時も悲しい時も
仏がいつも一緒におわします・・・ということでしょうか。
その下に、何か書かれた紙が置いてありました。
それは・・・「藤村庸軒師走消息」の読み下しでした。

甘酒を頂戴して腰掛待合へ進むと、煙草盆が・・。
根来のような古盆、海揚がりを思わせる陶片の灰皿、漆器の煙草入れ、
(う~ん、私の好みをご存知みたい・・・どれもステキです)
手付てあぶりが人数分用意され、その温もりと精巧な造りに
一同歓声をあげてしまいました。
あとで高野山での修業の折、凍えるような寒さの中、
衣の袖に手あぶりを忍ばせて暖をとったというお話を伺い、
厳しい仏道修行の一端を知ることが出来ました。
迎え付けを受け、閑かに無言の挨拶を交わしました。
蹲で身を浄め、茶室「真清庵」(四畳半)へ席入です。
床の掛物は一目で待合にあった読み下しの本歌
「藤村庸軒師走消息」とわかりましたが、一字として満足に読めません。
当ブログで庸軒流Sさまの茶事へ伺ったことを知ったご亭主が、
何か庸軒流に因むものを・・と考えてくださったそうです。
茶室の淡い光の中、濃淡が美しくリズムのある庸軒の筆運び、
味わい深い表装を目に留めました。
消息は益田鈍翁旧蔵で、表装の一部は鈍翁が手を入れたそうです。
・・・お心入れの掛物に恐縮しながら(汗)
「ありがとうございます。
これからが(どうなることか?)楽しみでございます・・・」

金戒光明寺の山門
藤村庸軒は千宗旦の高弟ですが、なぜか身近に感じる茶人でもあります。
2010年の今日庵・宗旦忌で庸軒作の竹一重切・銘「時雨」と出逢い、
たしか楽美術館で庸軒好み「凡鳥棗」を拝見しています。
それに、我が灌雪庵近くの金戒光明寺塔頭・西翁院には庸軒の墓と
遺愛の茶室・澱看席があるのです(残念ながら非公開です・・・)。
先は長くなりそうですが、よろしかったらお付き合いくださいまし。


淡路島・師走の茶事-2へつづく