6月の押物「青もみじ」 (京都・植村義次製)
(つづき)
薄茶点前は洗い茶巾にしました。
洗い茶巾は十三代圓能斎が創案した夏季に行う薄茶点前ですが、
そのルーツは瀬田掃部(せたかもん)にあると言われています。
瀬田掃部は安土桃山時代の武将で、利休七哲のひとりとも言われている茶人です。のち豊臣秀吉に仕えて近江の地を与えられましたが、文禄4(1595)年豊臣秀次の事件に連座して刑死しました。
「南方録」に、瀬田掃部愛用の高麗平茶碗の大ぶりなのを(畳目十四半)、利休が「水海(湖)(みずうみ)」と称し、瀬田と湖に因んで瀬田唐橋の意味を含め、自ら大茶杓を削って茶碗に渡したが、掃部はこの因縁により自分の茶杓をこの型に拠ったため、大ぶりの茶杓を掃部形と唱えるようになったと記されています。(新版・茶道大辞典「掃部型」より)。
「さらし茶巾」と呼ばれる点前を考案したといわれています

比叡山山頂から琵琶湖を眺める
瀬田掃部のエピソードに興味を持ち、大きな清朝青磁茶碗(鉢)と特注の長い元節の茶杓を使い、
「さらし茶巾」を連想する「洗い茶巾」を愉しんでいただければ・・・と思いました。
洗い茶巾は水音を三度聞かせ、涼を楽しんでもらう点前です。
最初は茶碗に七分の水を張って茶巾を浸し、その茶巾を引き上げる時、
二度目はその茶巾を絞る時、三度目は茶碗の水を建水にあける時です。
三度目は大量の水をあけるので工夫のしどころと思い、いろいろ試してみました。
雨垂れや筧のようにチョロチョロと細く長くを試みていた時、
思いがけず隣室で寝転がって聞いていた息子から声がかかりました。
「何?その音!小便のように聞こえるよ。量もぴったりだし・・・」
びっくりして若旦那に幾通りか拝聴していただき、やっとOKが出ました。
・・・でも、思いがけなく愉しい時間でした。
お客様には如何でしたかしら?

干菓子「くるみの里」
干菓子は二種、
一つは京都で最初のお友達TYさんが茶会のために贈って下さった押物、月々により柄が違い、6月は青もみじです。
植村義次製(京都市中京区)の芸術品のような押物を盛りつける前に記念にパチリ。
もう一種は、先日の研究会茶会で出合った「くるみの里」、加賀・御朱印から取り寄せました。
7人のお客様にそれぞれ違う茶碗で薄茶を点てて差し上げました。
聴雨・・雨水・・水色、青と連想し、「青の幻想」と題して7つの茶碗を選びました。が、「青の妄想」だったかも・・・。
お客様に茶碗の感想を伺うのも愉しく、持ち主が知らない茶碗の特徴や魅力を発見したりです。
思い出に茶碗について記しておきます。

正客Yさま・・・瀬田掃部が使ったような大らかな茶碗は清朝青磁鉢です。畳目十四半と言われる「水海」とほぼ同じ大きさなので、「喫むとき、怖かった・・」という感想も納得です。
Mさま・・・葵天目、最近お気に入りの茶碗です。珠光青磁を思わせる色、葵文、侘びた趣きに心惹かれますが、如何でしょうか? 同じ青磁でも主茶碗と大きさ、形、色が対照的なので使いました。高台までしっかりご覧くださり、感激です。
Nさま・・・祥瑞(三代三浦竹泉作)、気に入って頂けて良かった! 御目出度い文様なので雨に因み「狐の嫁入り」と名付けました。好い天気なのに雨が降っている不思議な光景を言います。半東Aさんの心をこめた薄茶、お褒め頂き嬉しいです。
Aさま・・・上野焼の名碗(私が言うのも変ですが・・・)で、物語のできるお気に入りです。雨に因み「白雨(はくう)」と名付けました。夕立のことで、激しい雨中に一瞬、陽が差して白く見える様子から「白雨」と呼ぶそうです。
Mさま・・・瑠璃ガラスに銀色の「雨の涙」が美しい茶碗です。いろいろな連想(銀河系宇宙、天の川、空から降る雪など)が広がり、楽しめます。また、七夕茶会で大活躍してくれそうです。
Kさま・・・仁清写水玉文、躍動感のある水玉がモダンな印象です。雨に因んで「虎が雨」と名付けました。大きな水玉文が、大磯の遊女・虎御前が亡き恋人・曽我十郎を想って泣いた大粒の涙のように思われたので・・・。
詰Yさま・・・水色の薄手の茶碗は淡路島のT氏(心に残るステキな茶事をなさいます)から餞別に頂いた大事なもので、「淡路」と名付けて愛用しています。尼崎・琴浦窯の和田桐山作です。
茶会の後は再び椅子席にて珈琲を飲みながら茶論を交わすサロンと続きました・・・・
。
お客様、お手伝い頂いた半東Aさんに心から御礼を申し上げて、これにてこの項を終わりといたします。
ありがとうございました!
やっと
夕方から雲行きが怪しく
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(つづき)
薄茶点前は洗い茶巾にしました。
洗い茶巾は十三代圓能斎が創案した夏季に行う薄茶点前ですが、
そのルーツは瀬田掃部(せたかもん)にあると言われています。
瀬田掃部は安土桃山時代の武将で、利休七哲のひとりとも言われている茶人です。のち豊臣秀吉に仕えて近江の地を与えられましたが、文禄4(1595)年豊臣秀次の事件に連座して刑死しました。
「南方録」に、瀬田掃部愛用の高麗平茶碗の大ぶりなのを(畳目十四半)、利休が「水海(湖)(みずうみ)」と称し、瀬田と湖に因んで瀬田唐橋の意味を含め、自ら大茶杓を削って茶碗に渡したが、掃部はこの因縁により自分の茶杓をこの型に拠ったため、大ぶりの茶杓を掃部形と唱えるようになったと記されています。(新版・茶道大辞典「掃部型」より)。
「さらし茶巾」と呼ばれる点前を考案したといわれています

比叡山山頂から琵琶湖を眺める
瀬田掃部のエピソードに興味を持ち、大きな清朝青磁茶碗(鉢)と特注の長い元節の茶杓を使い、
「さらし茶巾」を連想する「洗い茶巾」を愉しんでいただければ・・・と思いました。
洗い茶巾は水音を三度聞かせ、涼を楽しんでもらう点前です。
最初は茶碗に七分の水を張って茶巾を浸し、その茶巾を引き上げる時、
二度目はその茶巾を絞る時、三度目は茶碗の水を建水にあける時です。
三度目は大量の水をあけるので工夫のしどころと思い、いろいろ試してみました。
雨垂れや筧のようにチョロチョロと細く長くを試みていた時、
思いがけず隣室で寝転がって聞いていた息子から声がかかりました。
「何?その音!小便のように聞こえるよ。量もぴったりだし・・・」
びっくりして若旦那に幾通りか拝聴していただき、やっとOKが出ました。
・・・でも、思いがけなく愉しい時間でした。
お客様には如何でしたかしら?

干菓子「くるみの里」
干菓子は二種、
一つは京都で最初のお友達TYさんが茶会のために贈って下さった押物、月々により柄が違い、6月は青もみじです。
植村義次製(京都市中京区)の芸術品のような押物を盛りつける前に記念にパチリ。
もう一種は、先日の研究会茶会で出合った「くるみの里」、加賀・御朱印から取り寄せました。
7人のお客様にそれぞれ違う茶碗で薄茶を点てて差し上げました。
聴雨・・雨水・・水色、青と連想し、「青の幻想」と題して7つの茶碗を選びました。が、「青の妄想」だったかも・・・。
お客様に茶碗の感想を伺うのも愉しく、持ち主が知らない茶碗の特徴や魅力を発見したりです。
思い出に茶碗について記しておきます。

正客Yさま・・・瀬田掃部が使ったような大らかな茶碗は清朝青磁鉢です。畳目十四半と言われる「水海」とほぼ同じ大きさなので、「喫むとき、怖かった・・」という感想も納得です。
Mさま・・・葵天目、最近お気に入りの茶碗です。珠光青磁を思わせる色、葵文、侘びた趣きに心惹かれますが、如何でしょうか? 同じ青磁でも主茶碗と大きさ、形、色が対照的なので使いました。高台までしっかりご覧くださり、感激です。
Nさま・・・祥瑞(三代三浦竹泉作)、気に入って頂けて良かった! 御目出度い文様なので雨に因み「狐の嫁入り」と名付けました。好い天気なのに雨が降っている不思議な光景を言います。半東Aさんの心をこめた薄茶、お褒め頂き嬉しいです。
Aさま・・・上野焼の名碗(私が言うのも変ですが・・・)で、物語のできるお気に入りです。雨に因み「白雨(はくう)」と名付けました。夕立のことで、激しい雨中に一瞬、陽が差して白く見える様子から「白雨」と呼ぶそうです。
Mさま・・・瑠璃ガラスに銀色の「雨の涙」が美しい茶碗です。いろいろな連想(銀河系宇宙、天の川、空から降る雪など)が広がり、楽しめます。また、七夕茶会で大活躍してくれそうです。
Kさま・・・仁清写水玉文、躍動感のある水玉がモダンな印象です。雨に因んで「虎が雨」と名付けました。大きな水玉文が、大磯の遊女・虎御前が亡き恋人・曽我十郎を想って泣いた大粒の涙のように思われたので・・・。
詰Yさま・・・水色の薄手の茶碗は淡路島のT氏(心に残るステキな茶事をなさいます)から餞別に頂いた大事なもので、「淡路」と名付けて愛用しています。尼崎・琴浦窯の和田桐山作です。
茶会の後は再び椅子席にて珈琲を飲みながら茶論を交わすサロンと続きました・・・・

お客様、お手伝い頂いた半東Aさんに心から御礼を申し上げて、これにてこの項を終わりといたします。
ありがとうございました!
やっと


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