暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

播州姫路・師走の茶事-1

2013年12月11日 | 思い出の茶事  京都編
            京都市山科・毘沙門堂(12月2日撮影)

12月6日、姫路に住む茶友Sさまの茶事へお招き頂きました。
Sさまは某家庭茶事の会・会員で、相客のSさま、Nさまも会員です。

広々とした玄関を入り、待合の広間へ進むと、床に
「一瓢の・・・・・冬ごもり」  反古庵
とあり、時代を経た一升枡の煙草盆が用意されていました。

襖の一面に男物の着物と羽織が吊るされていたので
「あらっ! しまい忘れたのかしら?」
・・・と、うかつな正客は思いましたが、羽織の紋に見覚えがあります。

「丸に違い鷹の羽」は確か、浅野家の家紋、しかもここは播州姫路。
やっと、ご亭主が投げかけたヒントがわかりかけてきました。
たしか、討ち入り前夜に赤穂浪士(赤垣源蔵でした・・)が兄を訪ね、
留守なので仕方なく、兄の羽織を衣行に掛けて別れの盃を交わす・・・
というエピソード(徳利の別れ)が頭をよぎりました・・・。
(ふぅ~ヨカッタ! 見落とさないで・・)

           

白湯を頂き、庭の腰掛待合でご亭主の迎え付けを待ちました。
青銅色の苔が美しい庭石に見惚れ、面白い形の灯籠がアクセントの庭を
3人で眺めながら、風もなくほっこりとあたたかでした。
ご亭主と無言で挨拶を交わし、席入しました。

           

茶室へ入ると、ご亭主のお茶への思いが溢れる空間がありました。

ご亭主Sさまは膝を悪くされ、手術を受けて茶事ができるまで
ようやく回復されたのですが、正座は無理・・と伺っていました。
六畳の茶室は、茶事がお好きなSさまならではの創意工夫のある
立礼席になっていました。
大きな座卓の左隅に置炉、右側が点前座になっていて、
下から引き出せる建水を置く小さな台と椅子もあります。

客座にもテーブルと椅子があり、ご主人と合作の手づくりのようです。
テーブルの高さが絶妙で、椅子に腰掛けても、椅子から下りて正座しても
丁度よい高さになっていて、感心しました。
横浜へ帰ったら、炉の立礼席を設えてみたい・・とヒントを頂戴しました。

紫色の着物がお似合いのご亭主と笑顔の挨拶を交わし、
羽織の家紋やお軸の話を興味深く伺いました。

                        
           『義士四十七図 赤垣源蔵重賢』
           (尾形月耕図)

壁床のお軸は、「刻苦光明」。
赤穂浪士の討ち入りまでの艱難辛苦、残された家族の悲しみと苦労
を思いながら、その後の光明あれ・・と掛けられたそうですが、
私には膝の病の刻苦を乗り越えて、今日生き生きと茶事をなさっている
ご亭主の姿が重なりました。素晴らしく、これだけでもう感激でした・・・。

次は、初炭ですが、庸軒流の炭手前をはじめて拝見しました。
                                      

         播州姫路・師走の茶事-2へつづく




晩秋の夕ざりの茶事-2

2013年12月07日 | 茶事  京都編
(つづき)
玄関に設えた腰掛待合へ中立をして頂きました。
陽が落ちて真っ暗な待合には灯りをいくつか用意しました。
露地行灯、手燭、そしてHさま手づくりのランプも・・・。

                (クリックすると大きくなります)

後入の鳴り物にはじめて喚鐘を使いました
2週間ほど、毎日1回打ってみたのですが、
強弱をつけるのが難しく、なかなか風情のある音が出せません。

「大・・・・小・・・中・・中・・・・大」

それでも、暗闇に響く喚鐘は後座への案内役にぴったりでした。
雨の正午の茶事にも喚鐘を使ってみたいです。

              

後座の床には
「応無処住 而生吾心」(足立泰道和尚筆)を掛けました。
友人のご主人黒河氏が造ってくださった燭台を添えて・・・。

座が鎮まるのを襖の外で座して待ちます・・・緊張感溢れるひと時。
襖を開け、茶碗を運びだし、次いで建水と手燭を持って入りました。

南蛮人燭台と手燭の灯りが四畳半の茶室を照らしだしています。
火相よし湯相よし、釜から湯気が上り、松風も聞こえ安堵しました。
三人の先輩が見守る中、いつもより少し緊張して点前をはじめました。

灯りの暗さがほどよく、亭主も客も次第に点前に集中していって、
一体となる様な静寂の中で、濃茶を一心に練り、お出ししました。
「お服加減はいかかでしょうか?」
「大変おいしゅうございます・・・」
・・・ふうっ~と、緊張が解けていきました。
茶銘は「青雲」一保堂詰、菓子銘「錦秋」のきんとんは自製です。
茶碗は赤楽・銘「玉三郎」、佐渡無明異焼・渡辺陶生造です。

           

続いてお薄を差し上げました。
座布団の代わりに茶友Kさん直伝の手作りの椅子をお出しして、
ゆっくりくつろいで頂きました・・もっと早くにお薦めすべきだったかも。
少しでも長くお茶を楽しむためには膝や足腰の無理は禁物なので、
閑座や椅子をおすすめするように心掛けているのですが。

炉の続き薄茶は半年ぶりで新鮮でした。
ベテランの優しいお客さまなので
安心して会話しながら愉しい薄茶の時間を過ごしました。

後でMさまから
「ご亭主が楽しそうで、それが伝わって愉しいお茶でした・・・」
・・・そうなんです。
茶事をやれることの幸せがたぶん溢れ出ていたのだと思います。
これも遠路お出ましくださった先輩方のお蔭と感謝です。


           
                  (山科・毘沙門堂にて)

後日、Hさまから素敵な便りが届き、
阿仏尼の十六夜日記の発端となった細川荘がお近くにあるそうで、
次のような歌を教えてくださいました。

     南淵の細川山の時雨なる
         まゆみの栬(もみじ)今盛りかも  

・・・再び茶事の余韻に浸りながら、紅葉と南天の実で真っ赤になった
灑雪庵の小さな庭を眺め暮しています。

                          

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晩秋の夕ざりの茶事-1

2013年12月05日 | 茶事  京都編

    夕づく夜小倉の山に鳴く鹿の
        声のうちにや秋は暮るらむ    紀貫之


銀杏並木が美しい11月29日、夕ざりの茶事をしました。

社中の先輩、Yさま、Mさま、Hさまをお招きしました。
秋の陽はつるべ落としに暮れるので、3時半の席入です。

            

待合に「舞秋風」を掛けました。
紅葉が絵で表された、矢野一甫和尚筆のお軸は、
準教授拝受の折に恩師N先生から贈られたお品です。
正客YさまはN先生の茶友でもあり、一入喜んでくださって嬉しいです。

本床には、白椿一枝を尺八にいれました。

            
            (翌日で花が開いていますが・・) 

ご挨拶のあと、初炭です。
灑雪庵には炉が切られていないので、置炉です。
大好きな炉の風情が置炉では今一つなのが気になっていました。
するとYさまから
「阪神大震災の後、一時関東住まいしていた時は置炉でした。
 懐かしいです・・・」
とお声があり、流石、N先生の茶友です・・・心がぴったり寄り添いました。
いつか京都で必ず役立つと思い、早くから買い求めた置炉に
釜は、これ一つだけと持ってきた天命写・責紐釜。

初炭で香は焚かずに、香席を設けました。
折据をまわして札を開けると、
正客のYさまが月(本香)、次客のMさまが花(次香)を引きました。
Yさまが香包を選び、香を焚いて廻すと、仄かな香りが漂い始めました。
末席でその香を聞くと、上品で清らかな伽羅の香です。
香銘は、和歌(夕づく夜・・・)より「小牡鹿(さおしか)」です。

Mさまが次香を焚いてくださいました。
本香とは全く違う香りで、強く、やや甘く?・・お香は表現が難しいです
香銘は「時雨」、香木は真那蛮(まなばん)です。
香炉をまわしながら、奥深い香りの妙を楽しみ、
2種の異なる香の魅力に全員で酔いしれたひと時でした・・・。

            

一人亭主なので懐石準備に時間が掛かるのが気がかりで
「香銘に因む和歌でも如何かしら?」と思ったのですが、
清談をご所望され、これもお客さま次第で好かったようです。
「ごゆっくり準備してくださいまし」のお声かけを頂き、
安心して準備に掛かりました。

 懐石献立
   向付   蕪蒸し(蕪、穴子、百合根、きのこ、銀杏)
   ツボツボ 紅白なます
   飯    コシヒカリ(近江産新米)
   汁    色紙大根  紅葉麩  白味噌  辛子
   煮物椀  真蒸(ホタテ、銀杏) 椎茸  紅葉麩 
         三つ葉  柚子
   焼物   金目鯛
   炊合せ  海老芋(柚子添)  鳥の丸  オクラ
   箸洗   南瓜の種  梅仕立
   八寸   鴨ロース  銀杏の松葉刺し
   香の物  タクワン、きらら漬、柴漬
   酒    越の寒梅
                         懐石はいつも 

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紅葉のさんぽみち-2  栄摂院の散紅葉  

2013年12月02日 | 京暮らし 日常編
                 栄摂院の散紅葉

法然上人ゆかりの金戒光明寺は「くろ谷」さんと親しみをこめて呼ばれ、
朝な夕なに鐘の音が聞こえるご近所さんです。

山門の修復が終わり、2年ぶりの公開とのことで、はじめて登りました。
山門上には釈迦三尊と十六羅漢が安置され、天井には蟠龍図もありました。
高台にある山門なので、京都市中と京都を取り巻く山々が一望でき、
有名な南禅寺三門より「絶景かな!絶景かな!」です。

            
         金戒光明寺山門にて

            
金戒光明寺から真如堂へ抜ける道の途中に栄摂院がありました。

   

普段は非公開ですが、この日は門が開いていて入って行く人があり、
後についていくと、素晴らしい庭に出逢うことができました。
緑の苔の上の散紅葉も美しいのですが、
頭上の錦秋を映し出した池の散紅葉に魅せられました。

          

          

素晴らしい庭を特別公開してくださった栄摂院さんに感謝しながら
しばし見惚れて時を過ごしました。
こんなに近くにこんな穴場があったなんて・・京都ってスゴイです!

次は真如堂、正門から一歩一歩本堂へ近づいて行くのが大好きですが、
この日は大勢の人でイメージ通りには進めません。
いつもは閑静な真如堂ですが、紅葉の最後の見頃なので賑やかです。

                
                   真如堂にて

15時をまわっていたので、吉田山荘・真古館で一服しました。
吉田山荘は元東伏見宮家の別邸で、今は料理旅館です。
真古館は、宮家時代の舘をそのまま残したそうで、
外観も内装も大正ロマン(?)の香が残る、素敵なカフェです。
散歩途中に時々寄りたくなります。

          
                  真古館の窓辺(西側)

二階の三方に窓があり、それぞれ趣が違う景色を楽しむことができます。
「紅葉の頃にはさぞや美しいでしょうね・・」
「その頃は混みますので、静かな雰囲気ではないかもしれませんが、
 ぜひいらしてください」
・・それで今日は、空いていた比叡山側の窓辺へ座りました。

珈琲とぜんざいを注文して外を眺めていると、
電柱に鴉が数羽留まっているのが目に入りました。
「あの鴉、何羽だと思う? 5羽かしら?」と私。
「いやいや、2羽じゃないか?」と主人。
北村美術館の「鴉と鳶」を思い出しながら・・・・・平和です。


          
                  真古館の窓辺(東側)

真如堂が見える窓辺に座っている男性が詩を朗読しています
思わず耳を傾けると・・・宮沢賢治の「雨ニモマケズ」でした。


   雨にも負けず           宮沢賢治

   雨にも負けず
   風にも負けず
   雪にも夏の暑さにも負けぬ
   丈夫なからだをもち
   慾はなく
   決して怒らず
   いつも静かに笑っている
   一日に玄米四合と
   味噌と少しの野菜を食べ
   あらゆることを
   自分を勘定に入れずに
   よく見聞きし分かり
   そして忘れず
   野原の松の林の陰の
   小さな萱ぶきの小屋にいて
   東に病気の子供あれば
   行って看病してやり
   西に疲れた母あれば
   行ってその稲の束を負い
   南に死にそうな人あれば
   行ってこわがらなくてもいいといい
   北に喧嘩や訴訟があれば
   つまらないからやめろといい
   日照りの時は涙を流し
   寒さの夏はおろおろ歩き
   みんなにでくのぼーと呼ばれ
   褒められもせず
   苦にもされず
   そういうものに
   わたしはなりたい


・・・とても満ち足りた気分になり、
夕陽が沈みかけている西山を眺めながら、近衛坂を下りました。

                             
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紅葉のさんぽみち-1  竹内栖鳳展

2013年12月01日 | 美術館・博物館
               栄摂院の散紅葉


11月30日午後、昨日の夕ざりの茶事の余韻が覚めやらぬまま、
小春日和に誘われてぶらっと散歩へ出かけました。
コースは、京都市美術館「竹内栖鳳展」~金戒光明寺・山門~栄摂院~
真如堂~吉田山荘・真古館~夕陽の近衛坂です。

           
                    京都市美術館

先ずは、気になっていた京都市美術館「竹内栖鳳展」へ。
閉展(12月1日まで)が迫っているせいもあり、思った以上の混雑でした。
京都市美術館80周年記念を謳っているだけあって、京都市美術館はもとより
東京国立博物館、京都国立近代美術館、山種美術館、個人などから
竹内栖鳳の代表的な作品が出品展示されていて、見ごたえがありました。

「斑猫(はんみょう)」(重要文化財、大正13(1924)年、山種美術館)や
「金獅」(明治34(1901)年、株式会社ボークス)なども好かったのですが、
次の2作品が心に残っています(両方とも後期展示)。

           

1点目は、「観花」(個人蔵)。
花を観る・・・という題名の如く、女性らしき骸骨が
舞扇をかざして踊っています。
桜とおもえる花はどこにも描かれていませんが、
花を観て思わず舞い始めてしまった骸骨の、何とも言えない色気、
悲哀、喜びを感じる絵で、深い印象を受け、立ち止まりました。

解説によると、
「観花」  明治30年33才
江戸中期の俳人・上島鬼貫の
  「煩悩あれば衆生あり
   骸骨のうへを粧て花見哉」
の句意を絵画化した作品とあり、
竹内栖鳳は京都府立病院から八十歳を越えた女性の遺骨を借り出して
骨格などを丹念に調べて画いたそうです。

八十歳を越えたときに、この強烈な絵を思い出しながら
「観花の茶会」を催せたら・・・・と、つい妄想を。
身は骸骨になろうとも、うへを精一杯粧て、涙を隠して粗茶一服・・・。
(忘れないように書き記しておきます)

            

            
2点目は、富士図(明治時代、本間美術館蔵)。
雄大な富士が六曲一双の金屏風に画かれています。
右端から歩いて行くと、
原の千本松原か三保の松原を思わせる松が描かれ、
それからゆっくり広い裾野を歩き、次第に高度を増して、
絵筆の動きは野太く生き生きとし、色彩の変化も美しく、
富士の高みを麗しく表わしています。
昇りきると、雪を微かに抱いた山頂が天に向かって聳えていました。

・・・そして、山頂の次の二曲(枚)には何も描かれていません。
富士山の高みを昇りつめ、そこですとーんと潔く終わっています。

             
                     岡崎公園の紅葉   

まるで人生みたい・・・です。
きっと竹内栖鳳は自分の一生をかくありたい・・と
願ったのではないでしょうか。
最後の最後まで目指す高みを究めて己む
・・・そう思いながら「富士」の絵を何度も見直しました。
                                  
 

         紅葉のさんぽみち-2へつづく