徳島県を流れる大河である吉野川の上流となる小歩危(こぼけ)・大歩危(おおぼけ)という渓谷に行って来ました。「四国三郎」(しこくさぶろう)の異名を持つ吉野川は、四国のほぼ中央部に当たる三好市(みよしし)で、北向きからL字型に曲がって東に向かって流れ、徳島市で太平洋に流れ出ます。
高知県の源流部から吉野川は北上し、そのまま三好市の山間部を北上し、三好市北部でL字型に曲がって東側に流れます。三好市の山間部を北上する渓谷は、小歩危・大歩危と呼ばれる深い谷です。
大歩危付近のV字渓谷を流れる渓流は青く澄んだ清流です。
大きな岩の石畳などが渓谷の両側に続いています。吉野川の東側の川岸にはJR土讃線が通っています。乗ると、かなりすごい景観を見ることができそうです。
大歩危の南側にある橋を渡って、曲がりくねった山道を東に向かうと、秘境と呼ばれる祖谷渓(いやけい)に入ります。祖谷渓の南東にある有名な観光地の「祖谷のかずら橋」に出ます。
多くの観光客が押し寄せ、次々と数珠つなぎ状態で観光客が並んで渡ります。多くの人が同時にかずら橋に乗って、安全なのか少し不安が頭をよぎりました。
かずら橋はサルナシ(シラクカズラ)などのつる(葛類)を編んで架けられた原始的な吊り橋です。
祖谷のかずら橋は、渓流から高さ14メートルのところに、幅約2メートル、長さ45メートルの吊り橋です。全体の質量は約5トンにも達します。
架け橋の歩く部分に渡した木の板の隙間(すきま)から眼下の清流が見え、少しスリルを味わうことができます。
祖谷のかずら橋は、国と県の指定重要有形民俗文化財です。3年ごとに、かずら橋は架け替えられるそうです。このかずら橋は、平家の落人を探す追っ手が現れると、平家の落人がかずら橋を楽に切り落とせるようシラクチカズラで作ったという説などがあるそうです。
道路が整備される以前、例えば明治時代以前は、山をいくつも越えてやっとたどり着く、厳しい山奥の秘境でした。特に、冬期に雪が降ると、事実上は閉じ込められ、春まで自給自足を余儀なくされたと想像しました。村人は厳しい環境下をたくましく生き延びていたようです。
高知県の源流部から吉野川は北上し、そのまま三好市の山間部を北上し、三好市北部でL字型に曲がって東側に流れます。三好市の山間部を北上する渓谷は、小歩危・大歩危と呼ばれる深い谷です。
大歩危付近のV字渓谷を流れる渓流は青く澄んだ清流です。
大きな岩の石畳などが渓谷の両側に続いています。吉野川の東側の川岸にはJR土讃線が通っています。乗ると、かなりすごい景観を見ることができそうです。
大歩危の南側にある橋を渡って、曲がりくねった山道を東に向かうと、秘境と呼ばれる祖谷渓(いやけい)に入ります。祖谷渓の南東にある有名な観光地の「祖谷のかずら橋」に出ます。
多くの観光客が押し寄せ、次々と数珠つなぎ状態で観光客が並んで渡ります。多くの人が同時にかずら橋に乗って、安全なのか少し不安が頭をよぎりました。
かずら橋はサルナシ(シラクカズラ)などのつる(葛類)を編んで架けられた原始的な吊り橋です。
祖谷のかずら橋は、渓流から高さ14メートルのところに、幅約2メートル、長さ45メートルの吊り橋です。全体の質量は約5トンにも達します。
架け橋の歩く部分に渡した木の板の隙間(すきま)から眼下の清流が見え、少しスリルを味わうことができます。
祖谷のかずら橋は、国と県の指定重要有形民俗文化財です。3年ごとに、かずら橋は架け替えられるそうです。このかずら橋は、平家の落人を探す追っ手が現れると、平家の落人がかずら橋を楽に切り落とせるようシラクチカズラで作ったという説などがあるそうです。
道路が整備される以前、例えば明治時代以前は、山をいくつも越えてやっとたどり着く、厳しい山奥の秘境でした。特に、冬期に雪が降ると、事実上は閉じ込められ、春まで自給自足を余儀なくされたと想像しました。村人は厳しい環境下をたくましく生き延びていたようです。