ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

東北大学は女子学生入学100周年記念シンポジウムを開催します

2013年08月08日 | 日記
 2013年8月8日に、東北大学は女子学生入学100周年記念シンポジウムの「リケジョの100年から未来の女性リーダー育成に向けて」を、仙台市の東北大学川内キャンパスで開催します。

 東北大学は大正2年(1913年)に日本の大学として初めて、女子学生を受け入れ、入学させました。その100周年を迎えるのを記念して、女子学生入学100周年記念シンポジウムを開催するとのことです。



 同シンポジウムは国内・国外で活躍する世界トップレベルの女性リーダーや、企業で活躍されている女性リーダー、女性の活躍を支える男性陣がそれぞれ講演する予定だそうです。

 東北大学によると、東北大学が誕生した明治末ごろの日本の大学は、旧制高校を卒業した男子学生のための学校であり、正規の学生身分で女性が大学に入学することは想定されていなかったそうです。

 ところが、大正2年に、その“常識”を破る事件が起こりました。創立間もない東北帝国大学が、独自の判断で4人の女性の受験を認めたのです。

 この時の入学試験に対して、文部省は「元来女子を帝国大学に入学せしむることは前例これ無きことにて頗(すこぶ)る重大なる事件にこれあり、大いに講究を要し候」などとの頗ると事情説明を求める書簡を東北大学に送ります。東北大学は委細かまわず「黒田チカさん、牧田らくさん、丹下ウメさんの3人の合格を発表し、日本初の“女子学生”が誕生することになった」と、説明します。

 この3人の女子学生はやがて卒業して女性初の「学士」となり、その後も副手や大学院生として数年間、東北大学での研究生活を送ったそうです。

 この3人の中の黒田チカさんは1921年に文部省外国留学生として英国オックスフォード大学に留学し、1929年に女性理学博士の第2号となったそうでする。1949年にお茶の水女子大学が新設され、同大の教授に就任します。1952年にお茶の水女子大学を退官し、名誉教授になります。

 黒田チカさんは生涯独身でしたが、甥を養子に迎えます。この養子の方のお子さんが名城大学教授の黒田光太郎さん(前・名古屋大学教授)と東京理科大学教授の黒田玲子さん(前・東京大学教授)と、お孫さんを一流の学者・教員に育てました。

 今回の東北大学の女子学生入学100周年記念シンポジウムに黒田光太郎さんと黒田玲子さんのお二人が参加し、記念講演などをされるそうです。

 黒田光太郎さんは先日、黒田チカさんの遺品を、母校である東北大学に寄贈され、同大の史料館が整理・保管するようになりました。
 
 日本も大学を女性に開放してから、まだ100年しか経っていません。今後の日本は、女性に活躍してもらって、社会が活性化すると予想されています。男性社会から脱皮できるのかどうかが、今後の日本の行方を左右させます。