書評に対する批評をしよう:
件名に掲げたPresident誌では杉田米行氏(東京外国語大学、神戸打大学等で教授を務められた方)の「著者インタビュー」で「大人の英語学び直し」について語っておられた。私はこのページは書評欄の中にあったので、敢えて「書評に対する批評」とした次第だ。
私が気にしたのは副題的に“中学英語を侮るなかれ。「英語が苦手」な自分から必ず脱出出来る一冊“となっていることだ。「そんな事を今更言われるのか」と言いたくなった。後難を恐れずに言うが「そんな事は私が30年前から主張していたではないか」なのだ。
後でも触れるが、この「中学英語」という点では、私は永年(と言っても1990年以降だが)中学1年の英語の教科書を探してきて、今からで遅くないから、それをレッスン1から終わりまで10回でも100回でも意味が自然に解るようになるまで音読しなさい。暗記しなさい。暗唱出来るようにしなさい」と唱え続けてきた。その理由は中学1年の教科書に出てくる程度の単語と文章が英語の基礎になっているからだ。
杉田氏は「本書に載っている英文を暗唱する。机に座ったままではダメ。部屋の中をグルグル歩き回って、大きな声で発話するのがコツだ、そして暗記した内容を紙に書き、テキストと照らし合わせて正しいかを検査する」と言っておられる。この手法は私が某総合商社で若手を個人指導したときの用いたものとほぼ同じであるし、音読・暗記・暗唱は自分で実行してきたし、家庭教師で中学1年の男児の指導に使って成功したものである。
それほど英語(外国語)の学習法に効果があるやり方なのだ。それを杉田氏が唱えておられたのは歓迎すべことだとは思う。だが悔しい思いを禁じ得ない。それは繰り言になるが、30年前からそう主張し、その方法で成功例あるにも拘わらず、私が言ったのでは受け入れられず、大学教授が言われれば、大手出版社が取り上げたこと。
我が国の学校教育の中の英語の指導法で育ってきた方々というか、育てようとされた先生方には「私が言う音読・暗記・暗唱は空論的であり単なる理想論に過ぎない」かも知れない。だが、実際には「某総合商社で受け入れられ、個人指導まで依頼された事実をどう評価されるのか」なのだ。
実際に英語(私の場合にはアメリカ語と言えるかも)の世界に入ってみれば、日常的に出てくる単語というか表現の圧倒的多数は、それこそ中学1年の教科書に出てくる程度の単語の種々雑多な組み合わせなのである。特に屡々出てくる慣用句(idiomatic expressions)などは元の単語の意味とはかけ離れた表現なので戸惑わされる。
だから、ある程度以上知っているつもりでアメリカ人の中に入っても“I’ll buy you a drink.“に戸惑うし、“I’ll take a rain check.”で「???」となるのだ。言いたいことは「音読・暗記・暗唱を積み重ねて、ただ単に沢山単語をバラバラに覚えるだけではなく、流れの中での使い方とその上に応用編である慣用句や口語体や俗語まで範囲を広げる努力を積み重ねよう」なのだ。
換言すれば「中学1年の教科書に出てくるような単語を確実に覚えて基礎を固め、その使い方を流れの中で覚えるようにしよう」なのだ。「その覚える為の基本的な方法が音読・暗記・暗唱だ」というのが私の主張である。という具合で些か感情的になったかも知れないが、書評を批判した次第だ。