やあよ様
コメントを有り難う御座いました。
ご指摘のように「マグカップ&ソーサー」とは、天下の大メーカーAsahiの見識を疑いたくなります。私も学生時代に3年も続けたアルバイトで“cup and saucer”を知りましたので、深く馴染んでいた言葉です。また「マグカップ」という言い方は何となく聞いた記憶があります。
そこで、検索してみればWeblioには納得がいく解説がありましたので勉強になりましたので、ご参考までに引用してみます。
>引用開始
日本語で「マグカップ」と呼ばれる飲み物用の器は、英語では単にmugと呼ばれます。
mug は取っ手のついた比較的大きめの容器を指す呼び名で、語彙の粒度としては cup と同等、相互に交換可能な語です。mug ≓ cup 。つまり、mug cup という言い方は「チゲ鍋」とか「冷却クーラー」とか、「ハンドルネーム名」と言うに等しい重言なのです。
日本人は「マグ」と言われてもピンと来ないので、日本語としては「マグ(という種類の)カップ」という補足的な呼び名もアリといえばアリでしょう。ということで、マグカップは和製英語と割り切って、英語では mug と表現しましょう。
<引用終わる
納得がいかれたでしょうか。
これなどはほんの一例に過ぎませんが、カタカナ語排斥論者の私が常に慨嘆しているように、我が国の何処かに潜んでいるカタカナが語製造業者たち(もしかしてD通かも)は元の英語の意味も発音も、辞書を引いて調べる手間を省いて恣意的にカタカナ語化してしまっているようです。このmug等はUKのOxford English Dictionaryで確かめれば「マグカップ」はあり得ないと解ったはずです。
余談になりますが、このOxford (University)を何の躊躇いもなく「オックスフォード」とカタカナ表記するのも困ったことです。英連合王国の発音をカタカナ書きすれば「オックスフォド」となり、アクセントは第一音節にくるのです。「オックスフォード」はUKの人たちが嫌うアメリカンイングリッシュの発音に近いのです。これくらいのことをキチンと調べてからカタカナ語化した方が良かったと思うのです。
次はご意見に対する異論のようなことになるかと。それは、私は長年「小学校から英語教育を実施」には絶対反対の立場を取っております。理由は数々ありますが、第一は「その早い頃から始めずに、中学校1年からで十分である」と、私自身と今日までに数多く実社会で来た優れた英語の能力の保持者たちは、中学から学んでいただけ」でしたから。
第二は「小学校では特に英語の教え方を大学等で専攻してきた訳ではない、普通の担任の先生が教えている」と聞いたからです。無理がありすぎます。また、ELTだとか称して何処かの国からnative speakerを連れてきて補助させるのもgood ideaではないと疑います。その外国人の資格も問題ですが「如何なる階層の出身で正調乃至は正統派の英語を教えることが出来るのかを誰が見分けて採用するのか」という疑念です。あり得ないでしょう。
この意味は「多くのアメリカ南部の出身者はきつい訛りがあるから」であり、同じ英連邦(UK)でもLondonにはCockneyと呼ばれる独特の発音があってとても推薦できません。これと同様な訛りというかアクセントは、オーストラリアやニュージーランドの人たちにもあります。簡単な例を挙げておくとAustraliaを彼等は「オーストライリア」と発音するというようなことです。
第三には、言い出せば長くなりますが、我が国独特の英語教育で「単語を沢山覚えることが重要」となっています。だが、英語という言葉を構成する部品を沢山覚えても、それらを的確に繋いで文章を正確に構成できるのかと言えば、そうとはならないと言います。「言葉の意味を記憶するのではなく、その言葉を作文(書き言葉)の中や会話の中でどのように使えて良いか」をキチンと教え且つ学ばせることを優先した方が良いでしょう。
ここまでで締めくくるとして、私は、嘗て某大手製鉄会社の副社長さんが、「小学校から教えると決まった」と聞かれた後で「万人に強制することだろうか」と言われたのが、問題の核心を突いていると思っております。
真一文字拝
英語圏の各地域の訛りはなるほどです。
ロサンゼルスでは車のプリウスをプリアスとウーバーが発音していました。
聞くにも話すにも書くにも、実用性が重要ですね。
納得です。